2024年からのツインレイの再会の企画書
先日、既にツインレイの再会を終えているはーちゃんに出会い、その日の夕寝から起きたら「あ、世界線が切り替わっている。はーちゃんの世界線だ。」と理解。
ようやくこの世界線に乗っかったか~と気分である。
さて、これからいくばか、ツインレイの再会の企画についてを書きあげていこうと思う。
こたび、私自身は「ツインレイ」という用語を使っているが、実際、使命(というよりも『お役目』)的には、この地球自体への建て直しの実行にある。
ツインレイたちは「縫い合わせ」の糸のようなものである。地球の空間の縫合の糸の役割を担っている。そのように私からは見えている。それは『過去』と『未来』という縫合を行いながら空間を縫い合わせている状態である。
この地球における縫合における内容は「北海道」のようである。
私たちの記憶は常に改ざんされ続けているともいえるんじゃないか——と思う。そのなかで空間的にはそれぞれ再び繕いなおしをしているので、その空間を縫い合わせたり、繋げたりなどの実行を行っているのがツインレイ。そして「龍」なのではないかということだ。
また、この世に生まれてきている龍たちも「天からきた」わけで、やっぱり普通の人とは視点が違うようで。また、龍の半身である女性人たちも「天からきた」わけで、やっぱり普通とは言い難いんだろう。
とにもかくにも、この地球の空間を縫合する企画は来年には終わるんじゃないか——ということ。
ちなみにまだその先にお役目は存在していて、そのお役目そのものを実行するために、ツインレイたちが必要とも言える。
私自身が管轄しているのは「龍」であり「土地」やらの縫合であり、地球の縫物を龍により実行している部署であり、またこの企画は日本を港として機能させていく必要性があることだ。
そして、ほかの部署の方々もいらっしゃると思われる。この地球の縫合後、ほかにもお役目を持っている人たちもいる。その人たちが何をするのかを私は知らない。
とりあえず、先ずは「この地球を縫合させる基本」の部分を実行しているが、その後は小さい部分を縫い合わせていく必要性があると思われる。糸通しが上手な龍さんたちが動くようになると思っている。
それは2025年以後のお働きになるだろう。
真剣にやるな、楽しめ、楽しめ。
この世においてだが、世界は二層になる。
二層のうち、上の層と下の層としているが、上の層が成立しつつある。地球は同じであるため、ひとつのタイムライン上に存在しているふたつの空間が重なり合っていると言える。
この空間のうち、上の層の構築を行っている。上の層の空間と下の層の空間は、水面により分け隔てられている。
上の層が成立した後に人がやってくることもあるけれども、そもそもこの空間の縫合が終わらないうちは上の層が成立していないうちに次元上昇することはできないと思われる。
この二層のうち、上の層にくる人たちの多くが「分別」を行っている。分別とは、心のなかに魔がないか、あるかの違いにある。その心に淀みがあれば、上の層にはむかえない感じ。
とはいえども、下の層にいることが悪、上の層にいることが善というわけではない。よりどちらのほうが幸福なのか——の違いがある。
私自身は下の層にいることが苦しいから上の層にいくことになるが、上の層にいることが苦しい人もいる。
空を飛ぶ鳥が水中は苦しいように、水中の魚が空を飛ぶには苦しいように、それぞれ息ができる場所がある。息ができる場所が今までひとつしかなかったがゆえに、ある一部の人たちが——。もとい、これから生まれてくる新しい人種たちが苦しくなってしまうために、新しい層を創っているのである。
そのためには空間を縫合したりなどもある。空間の縫合が終わったら、一挙公開になるけれども、それも少々時間がかかるよって感じだろうか。
並行的にも色々ある。
人間の約20年前後における前半において、心のなかにある淀みの除去が行われ、後半ではひとつ覚醒状態へと向かわされていく——という感覚がしている。
「ツインレイ」というそれそのものが目的ではない。
ツインレイはトリガー。あなたがあなたに戻るためのトリガーのひとつでしかない。ツインレイは究極の恋愛物語でもあるが、同時にあなたがあなたらしい自分に戻るための物語。
自分が自分であるために、私たちはツインレイに出会い、自分を取り戻していくことになる。
私たちの男女は反転している。女性は男性的だし、男性は女性的だろう。そしてそれこそが「私たち」である。
ツインレイがどうして男女の恋愛により折り重ねられているのか。その理由は「男女の概念が崩れている」のもある。私たちがより私たちが持つ性別に近く戻るために、ツインレイによる性別の課題を孕むことになった。
たぶん、これからよりツインレイには出会いやすくなるんだろう。だけど、それが「ツインレイ」という意味合いをもたなくなったとき、私たちの企画が本当に終わるときである。
この地球で会いたい人がいたはずなんだよな。それを思い出すことがなかなか難しいこと。
なんとなく、ツインレイの覚醒にも色々あって、私は「母になる覚悟」がひとつの覚醒でもあるけれど、こっちは私個人的な覚醒であり、ツインレイによる普遍的な覚醒は「会いたい人がいることを思いだすこと」だと思う。
霊的覚醒とか色々あるけれども。あたいの場合、ちょっと他にも覚醒しないと役割が担えないのもあって覚醒はしているけれど、本質的にはツインレイの覚醒そのものを私は「会いたい人がいることを思いだすこと」だと思っているよ。
会いたい人がいる、だけど、会いたいことすら忘れてしまった。この世で待ち合わせをしていることを忘れてしまった。
魂の記憶のなかにあるのに、その記憶を忘れてしまった。
これが覚醒できていないことであって、覚えていない夢の中にいるってこと。
ところで、あなたは誰に会いに来たの。
自分に問いかけてみるといいよ。
「誰に」会いに来たのか。もしかしたらもう出会っているのかもしれないよ。
だけど、誰に会いに来たのかを思い出せていないから、スルーしちゃっている可能性もあるよ。
2025年以後、多くの人が誰かに会いに来たことを思い出すかもしれないね。そして、それが誰なのかを思い出すかも。
自分らしく、自分の人生を生きたらいい。そこに「誰か」なんて必要がない。あなたの人生をまっすぐに生きてみたらいいよ、その先に待っている「誰か」がいる。その誰かに会いに来たのであれば、自分の人生をまっすぐに生きたらいいよ。
苦しいけれど、その苦しみがあるから、あなたは誰かに到達する。
ツインレイの再会は「会いに来たことを思いだすこと」の覚醒と「自分が自分らしく戻ること」の覚醒のふたつがキーワードなのかも。
このふたつがなければ、わからないものね。相手が相手なのか。
外見とか、そういうわけじゃない。
魂がピュアピュアに透けて見える状態じゃないと相手が相手なのかがわからない。それが「自分らしい」ということなんだろう。
もうほとんど書くことはないような感覚がしている、終わったかな? 彼くんが小さい自分を受け入れたぽい。