風の時代(水瓶座時代)とツインレイの関係性—占星術②
よく風の時代に入った——と巷で話を聞きはしてもどういうことなのかはわからなかった。わからなかったので、あんまり気にも留めていなかったのだが、実はガッツリ私のツインレイに関することだったということが今更に判明。
私の直感には2025年にすべてが終わる——とあるのだが、この2025年にはしっかりと水瓶座時代に突入するということのようである。
そして、私は水瓶座に適応した存在になっているらしく、徐々に水瓶座を生きる人っぽい雰囲気に切り替えつつある。
ツインレイの出会いと別れを経験した経緯で、私は山羊座から水瓶座へ移行しているということだ。つまり、この風の時代、水瓶座時代とは、ツインレイと確実に繋がっている。
今までツインレイの再会が出来なくてよかったな~と少々不謹慎にも感じながら、新しい時代でツインレイの再会を迎えていく方が長いお付き合いになれそうだって感じです。
風の時代と水瓶座時代とは
2000年ごとに周期を変えている時代の切り替わりをユングやプラトンが考えていたらしく、それが『水瓶座時代』に突入したということ。
今までは『魚座時代』である。
風の時代とは、土星、木星、冥王星、天王性が地から風のエレメントへ移動したことらしい。
そしてグレートコンジャクション(合する)を風のエレメント上で起こしやすくなるということのようだ。
そのなかでも冥王星が山羊座と水瓶座の領域を行ったり来たりしてプラプラしている状態が続いている感じ。
とりあえず、私の風の時代と水瓶座時代の基本情報はこんな感じ。星の並びの詳細についてなんかは、占星術やっている人たちのほうがもっと詳しいだろうから、そっちで説明を読んでもらったりした方が語弊が生まれないだろう。
魚座から水瓶座時代への突入
魚座の時代では『宗教』『信仰』って意味合いもあり、信仰みたいなものだったんじゃないかと思う。
聖書が全国で一番売れているキリストさんの時代が魚座時代にあったんだと思う。
信じる、信じないっていう感じの争いでもあって、自分の信仰をまもるために争ってきた経緯もある。宗教戦争って感じ。
もちろん日本人には宗教観ってあまりない感覚の人が多いように思うんだが、例えば『感謝しない人はおかしい』とか『ご飯を食べる前にいただきますを言いましょう』とか、日本人独特の生活のなかに宗教観は根付いているところがある。
「感謝をする」これも信仰だし「いただきます」なんて、ご飯を食べる前の聖書読み上げみたいなもんだって話なんだ。
感謝しない心はおかしい。これが『感謝宗教』で、いただきますが言えないのはおかしい、これが『いただきます宗教』みたいな感じだな。
これが日本人が独特に抱えている生活に根付いた宗教なんだ。(日本人以上に、宗教的な存在なんていないんだよ。だって、日本はもはや『信仰』すら感じない『宗教』だとすら認知していない宗教が存在しているんだから。神がいるだなんて思ってもいないのに祈ってるって感じ。)
日本は最終的に『宗教が生活のなかに根付いている』わけなんだが、他の国々では宗教っていうカタチで仏教やキリスト教、イスラーム教を構築してきた。
魚座の神話とは
あと魚座が魚であることも気になる。
アフロディテとその子がエリダヌス川のそばを歩いていたところ怪物テュポンが現れたため、2人ははぐれないようひもをつけて魚の形になって逃げた。 という神話があります。引用:うお座
アフロディーテとその我が子による二人が魚座時代のツインレイなのでは? とも感じられる。
親子によるツインレイの関係性——、私のなかでは地上のツインレイ(特に初期の楽園のツインレイ)がそれに適応するんだが、そこには『怪物』というテーマが必要。
ふたりを引き裂くだけの問題が存在し、その問題を克服していく経緯が魚座にあるということだ。
これが二元性のテーマでもあるのかなとは思う。
ツインレイたちのなかでもテーマが『親子』だったり『怪物が存在し、引き離される原因がある』とか。ほかにも『聖母マリアとキリスト』みたいなテーマを持っている人たちもいるように思う。
ツインレイの多くが、ひたすら無償の愛を語り続けているのもそのせいなのかな? と思う。磔になって死にますって言っているようなもんだとは思うが。
つまり、ツインレイは『わかればなれ』になっている状態が魚座の時代だと思われる。だけど、紐づいている感じ。
新しい水瓶座時代とは
2000年あたりからずっと水瓶座時代にはいってたわけなんだが、2023年の元旦に「2024年だよ!」と言われてもあんまり実感が湧かない感じがあると思う。
2023年と2024年の両方ともが入り混じっている感覚というか。その感覚が2000年単位で起きているのもあって、2000年にはいっても、すぐさまピッと水瓶座時代に切り替わっていくわけではない。
ほかにも冥王星が水瓶座にやってくる時期が今重なっている。ゆえにいつもよりも、より水瓶座のターンなのだと思われる。
徐々に水瓶座時代へ切り替えていくことになるのが今である。
この水瓶座時代の切り替えが入ることにより、情報社会にも切り替わっていったことが多く挙げられている。携帯電話が生まれ、今やスマートフォンが主流だが、姪っ子なんかはテレビが白黒だったなんて理解しないし、携帯なんて概念もない。
スマホがあるのが当たり前の環境で生まれてきた彼らは確かに『水瓶座時代の子たち』なんだと思う。
水瓶座の神話とは
水瓶座の神話を見てみよう。
そこでゼウスは大鷲の姿になって、最も美しい少年と言われるトロイアの王子ガニュメデスをオリンポス山に連れ去り、酒宴の席をまかせることにしたのです。
簡略して説明すれば、
ゼウスの神さんが行っていた宴があったんだが、その際にずっと神の酒をお酌して回っているゼウスの娘がおったんだが、その子がついに結婚することになったので、神の酒をお酌する人がいなくなった。だから、新しく美しい王子をさらってお酌係をさせることにした。
そんときにゼウスさんも「勝手に息子をさらっちゃったしな。」ってことで、親に神馬と黄金のブドウの木を褒美を出して、星にすることで親の心を癒すようにした。
って感じの話。
星座にされたのは『酒をふるまっている男性』ってことだ。
ここから、
- 女性は結婚して神のお酌係を終える
- 神のお酒係は女性から男性へ
- 親へのご褒美は『神馬』と『黄金のブドウの木』
- 息子の親離れ、娘の結婚による親離れ
- さびしい親心と慰め
っていう意味合いが汲み取れるように思う。もしかして神馬ってユニコーンのことだろうか。
どれも私たちの精神構造内に存在している人物たちである。
女性とは女性性(アニマ)。男性とは男性性(アニムス)。親とは女性の親と男性の親の違いが存在している。
女性たちは親の世話をすることなく結婚をする。男性たちは親元を離れ、神の仕事を請け負う。この2種類がツインレイにとっても肝になってくるのではないか——と思っている。どちらも『自立』がテーマとなっている。
水瓶座時代は『革命』とも呼ばれているけれども、神のお酌係の性別が切り替わったんだから確かに革命なのかもしれない。
水瓶座の相関図
ゼウスとヘラの子供がヘベ。
ゼウスと人の子供がヘラクレス。
ゼウスの浮気者としてよく捉えられているが、私たちの精神構造の『絶対的権利』を持っているのがゼウスってこと。その間に多くの女性性と交配をすることにより、新しい気質を生み出していくことになる。
ヘラはヘラクレスが嫌い(浮気相手の子)だからめちゃくちゃ苛め抜くゆえに、試練がいっぱいある。ゼウスなんて最も最悪で、人と書いたが、貞操観念が強めの女性で夫のために貞操を守るわけなんだが、ゼウスが夫を装って交配することになる。(私のツインソウルの経験かな)
この経験から『いかなる困難でさえも乗り越える力』を手に入れることになるのだと思う。
そんなヘラクレスがまずは必要で、次にゼウスとヘラによる娘であるヘベの結婚が許されるとき、新しく娘の代替が必要になる。それが『人の子の息子』なわけだ。
今までは『神の子の娘(神)』が宴担当だったわけなんだけれども、次には『人の子の息子(人)』が宴担当へと切り替わっていく。
ここから、神と人っていう上下関係はあんまり理由にならなくなっていく時代にはいるということなんだと思う。それから女性がやっていた仕事を男性がするようになる。これも時代の切り替わりのように思う。
ヘベが行っていたことは、神々の世話とお酌をしてまわること——。つまり人の話を聞き、人の世話をすることになる意識のことだ。今までは女性性と呼ばれている『聞き上手』の部分や『人の世話』の部分が男性性へ切り替わっていく。
女性的な受動性よりも、男性的な能動性をつかって「論理的な」とかそういう意味合いを持って人の話を聞き、人の世話をするようになっていくということだ。
この男性性は『人』であるがゆえに神とのつながりも論理的に処理されていくことになるのだと思う。また、感情的に人の話を聞くこともなくなると言う感じ。
それに、人が神に引き立てにあうことから、一般人と上の人たちの差もなくなり『平等』という概念が生じる。
引き立てにあうような子を育てた親には黄金時代の平和が与えられるのかなと思われる。
いわば『神に相応しいほどの魂』を持っている人は、神が引き立て、平和をあたえる精神構造が生まれると言うことだ。
男性性はここで『平等主義』と切り替わっていくと言うことだ。
女性性は『ヘベとヘラクレスの結婚』により生じる為、いわゆる『男性性と女性性の結婚』が重要とされるのではないか——と考える。
ツインレイと水瓶座時代について
ツインレイたちの関係性にも『水瓶座時代のツインレイ(楽園のツインレイ)』と『山羊座時代のツインレイ(地上のツインレイ)』の2種類が存在しているのではないか——と考えられる。
これは冥王星の流れに沿って『水瓶座』に入ってくるとき、山羊座の人たちと水瓶座の人たちで分配されていくのではないかとも感じた。
山羊座時代のツインレイたちは親子の関係性を持ち、旧制の社会性を重んじる。縦社会のなかに生き人を支配するか、人を犠牲にするか——の道を選んだ人たちなのだと思う。
しかし、山羊座時代と呼ばれている時期に『犠牲になる』という立場にいた人たちもいたように思う。
この犠牲になることを選んだ人たちって『山羊座の時代を生きる人』であって、支配をする人は『山羊座の運命を支配する人』なのだと思う。
山羊座のいいところって忍耐だと思う。この忍耐が『自己犠牲』にあって、自己犠牲が出来ない人たちは忍耐が生まれない。
さて、水瓶座時代の話に戻すが、忍耐が備わっている人たちは感情論がない。自分の感情のままに発言することもないし、ある種、とても理性的な考え方をも持っているんだと思う。それが水瓶座時代の人たちなのかなと思っている。
今までの過去2000年の魚座時代(信仰)に対しても忍耐強く考えているし、古今の約200年ぐらいの山羊座時代(自己犠牲)に対しても忍耐強く考えている。
考え続けた結果、この最近の2008~2025年にかけて冥王星が水瓶座と山羊座をうろうろしているときに『そうだ、水瓶座だ。』とひらめていく経緯があるように思う。
ちなみに私も水瓶座時代について調べたりしてみたんだ。そうしたら、まんま『なとり』のことが書かれていたように思う。
感情論で話をすることが恥ずかしいことだと思っているし、言葉のバックグラウンドまで考えていること。本質的な部分に触れていきたいことや、既存概念に対して色々と考えていること——。
私はツインレイの彼くんも『水瓶座時代の人だな』と思っていて、精神的部分では水瓶座なんだが、現実的部分では山羊座となっているような感じ。
ブラック企業のなかで戦いながら自己犠牲的に生きているけど、精神的には平等主義で理知的なところがあって、それに根拠はあるのか? みたいな感じの視点で話をする。
私は真逆で精神的部分が山羊座のまま。現実的部分が水瓶座なのである。
今回、ツインレイの関係性がうまくいかなかったのは、お互いのなかに山羊座という古い習慣が残っているせいなんだなと思った。
山羊座とは『自己犠牲的な部分』と一概に言葉にしてしまえば、私は容易に理解することができる。
私は精神的な自己犠牲が存在し、彼は現実的な自己犠牲が存在しているから。
私がこの水瓶座時代に乗っかるまでに精神的な自己犠牲を組み替え、ツインレイの彼は現実的な自己犠牲を組み替えていく必要性があると言うこと。
上記ではぐだぐだ『水瓶座時代ってどゆこと』って書き続けているんだが、簡単に言葉にすれば『自己犠牲を終わらせること』であって、今までの山羊座時代で自己犠牲をしてこなかった人たちは、水瓶座時代で生きるための糧が存在していないとも言える。
支配をすることで考えないで済んだんだと思う。本質的な部分を見つけることがなかったんじゃないか——とも思っている。
そもそも水瓶座時代の感覚で山羊座時代を生きていた人たちなのかな? とも思う。
私たちは『社会のなかに存在している』わけなんだが、彼らはこんなふうに思っている。自分を中心に社会が回っている——って。
山羊座のテーマは『社会的なルールを守ること』でもあるんだと思う。そして忍耐強く生きることが求められた。
だけど、山羊座のテーマに乗っかることなく、支配することで時代に乗っかれなかった人たちもいる。少なからずこれを『運命から逃げだ』とも言えるんじゃないかと思う。
社会そのものに対して溺れていき、そこで何を得ていくのか——。これが人のできることであり、私たちがするべきことは革命や改革ではない。
少なからず、自分が革命や改革を出来ると思い込んでしまう自意識過剰な感覚は山羊座時代では排除されたんじゃないだろうか。
山羊座では常に『思い通りにならないことに対しての忍耐強さ』を求められていて、その忍耐が結果、水瓶座の基盤を構築することになるんだろうなと思う。
世明けのツインレイの経緯では、私の思考回路の組み換えが起きている。私は、書くことで『山羊座の精神論』を『水瓶座の精神論』に組み替えているのだなと理解している。
ツインレイの再会も『水瓶座になったら』なんだと思っている。私たちは魚座のように糸を括りつけて離れ離れになった。そのあと、再会するのはゼウスの宴会になるだろう。そのときは、親子ではなく、水瓶座時代を生きる男女としてである。