ツインレイの愛と恋と心の解釈を次元上昇に合わせて解説(アセンション先の世界での愛とは)

| Ⓒ なとり

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ツインレイステージまとめ

私のステージが進むごとに更新していくステージをひとつの記事にして販売しています。


さよなら、ツインレイ Kindle版
さよなら、ツインレイ

当時はこれでおしまいなんだ・・・。そんな風に思いながら書いた『さよならツインレイ』。結果的にさよならしたのは、神交法の相手であるツインレイの霊体だった件。今更振り返って読んでみると納得がいく一冊だが、当時はよくわかっていなかった。

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私たちは私たちの精神構造のままの世界を体現している。私たちが引き寄せる人たちも私たちの精神構造に起因し、また私たち自身の精神構造のまま現実化させている。

私たちは、私たちが思っているほど『精神』を理解しない。理由はひとつ。把握できない領域のことを把握できないようにされているから——と言える。

だけど、次元上昇と呼ばれる私たちの精神領域を再構築することにより『新しい次元の世界』が生じるようになる。

よく3次元から4次元へ次元上昇をする、アセンションをする等の話があるが、私たちの精神構造が組み替えられることにより、精神が理解している世界像が複雑化し、認識量が増えている状態へとなることだ。

低次元が切り離される等語られることもままあるが、低次元が切り離されるのではなく『低次元への扱い方』や『低次元への理解の仕方』がひとつうえの次元を内包すると同時に、低次元の存在を理解させる状態へといたるということだ。

もし、低次元を切り離すなどのことが起きれば、それこそ、低次元が存在しているからこそ高次元が成立している——点という0次元が存在しているから、立体である3次元が成立し、3次元が存在しているから4次元による時間という概念が成立する——という視点を持って世界が破滅する話になってくる。

人体であるならば、そのような精神構造の人はアメーバ状態だと思われる。

理屈はなかなか難しいが、アメーバだと思う。形を持つ次元が3次元にあるんだが、3次元を切り離してしまうと、形を持つことが出来なくなってしまう感じのことがいいたい。

が、タブン、3次元を切り離してしまったら『消滅』になる。自分を構成する『すべての消滅』が起きる。事実上、魂の死そのものを意図する。ここで、錬金術が出来る側と、錬金術が出来ない側の2種が生じるかと思われる。魂の復活する側と魂の復活しない側。タロットカードの審判のこと。

タロットカードの順番
審判 世界
図の説明:タロットカード『20.審判』
図の説明:タロットカード『20.審判』
図の説明:タロットカード『21.世界』
図の説明:タロットカード『21.世界』

審判(錬金術)の次には『世界』がやってくる。

世界とは『新しい世界の創造』なわけなんだが、これが『次元上昇先の世界』であり『アセンションする』ってことでもあるんだが、審判で復活しないものと復活するもので振り分けられている。

ここだけ切り取ってみても、タロットカードって錬金術にしか見えてこない件。


さて、このように低次元が存在しているから高次元が存在している。この次元の層のなかではそれぞれ『概念』が変わってくる。

概念を善悪二元論から二元性へ組み替えていくことが私にとってはひとつの次元上昇だと考えている。

ツインレイたちの多くが『愛せよ』という話をキリシタン並みにしているわけなんだが、ではそもそも『愛とは何か』とし、対局する『犠牲』と、また『恋』による定義が成立しなければ、私たちは愛を証明させられない。

そして、それを証明する人生を模すことにより、それが『次元上昇した先の世界』になっている。

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愛と恋と心の次元の説明

まずは恋を成立させ、次に愛を成立させる。最終的には、すべてをひっくるめて『心』を成立させていく。これが次元上昇と愛・恋・心の仕組みである。

0次元 1次元 2次元
図の説明:自分のみ
図の説明:自分のみ
図の説明:自分と他者(異性)のみ
図の説明:自分と他者(異性)のみ
図の説明:自分と他者(異性)とそのほかの第三者
図の説明:自分と他者(異性)とそのほかの第三者
エゴイズムによる自我 片想い 不貞
社会による自己 両想い 家庭

ツインレイの人たちは、この1次元の話をしている。そして、ツインレイが不倫関係だったり、自分に子供がいる場合は2次元の話をしている。

0次元ではまず『自我』を構成し、自分そのものを意味するが、ツインレイの相手と出会い、結ばれるとき『片想い』の状態になる人と『両想い』の状態になる人がいる。

前者が地上のツインレイであり、後者が楽園ノツインレイである。

前者は『エゴイズムによる自我』により構成された縁であり、後者は『社会性を重要視した自己』により構成された縁である。

ツインレイたちは、

  • 0次元の相手(自分のことしか考えていない相手)
  • 1次元の相手(片想いにしかならない相手)
  • 2次元の相手(家庭を持っている相手)

の恋愛をまず行っている可能性がある。トラップはここにある。私たちは、この低次元における層で『自分のことしか考えていない相手』と別れを覚え『片想いにしかならない相手』と別れる。そして『家庭を持っている相手』と出会い、別れを経験する。

最後の最後にやってくるのが『家庭を持っている相手』であり、不倫にしかならない相手との縁談である。多くのツインレイたちがまずここで詰んでいる。理由はひとつ、下段にある『社会性の欠落』である。

私たちは『自己と他者』という自他認識を深めるために、この物質世界に生まれている。他者は『他者である』という認識だ。自分ではないのである。その相手を『愛する』『受け入れる』という慈愛なる行いにより成長することになる。

社会性とは『愛する』ことを基盤にしている。少なからず私腹を肥やすことではない。愛するとは『自分以外の人の幸福を認めること』であり、これが社会性にあり、他者の存在を認めることにある。

不倫関係とは『他者の幸福を認めないこと』が起因してくる。他者の幸福を『結婚』として定義するとき、私たちは他者の幸福を壊すような行いをしてはならないということ。なぜ不倫をすると裁判にかけられるのか——、そりゃ道徳のうえに成立していない行いだからだよっていうのが美しい法律なんだ。

法律とは社会性であり、その社会性を身につけられているのかなっていうのが2次元の『不倫』についてのテーマがあげられている。

で、皆、ここで詰む。理由は『他者を愛せよ』の本質をまずは理解が出来ていないから。というか、この世で、またこの日本で、ほとんどの人が『いかなるときであっても、自分の幸福よりも他人の幸福を想う行動をせよ』という道徳を学ばなくなったということが原因にもある。(知らないってこと。そして、第二次のときに十二徳目が消されたはマジででかいと思う。これを機に、日本人の『質』が落ちたとも言える。なにも特攻隊員になれって話じゃない、心の在り方の話である。)

ちなみにまだ、この時点で人は『2次元思考』である。不倫を克服する、家庭を持っている人を諦められる、子供がいる時それ以外の人に恋をしない等の思考が成立してようやく『2次元思考』を脱出して『3次元』へと入っていく。

そもそも、この時点で『エゴイズム』の領域が抜けることが出来なければ、2次元を抜け出すことができないのである。

2つ目の低次元のトライアングル

3次元へ到達するためにはもうひとつのトライアングルが必要である。

0次元 1次元 2次元
図の説明:0次元
図の説明:0次元
図の説明:1次元
図の説明:1次元
図の説明:2次元
図の説明:2次元
社会を軸にした自己
(愛)
両想いの異性
(ツインレイ)
生まれた子供
(ホムンクルス)

もうひとつの側面による『自分』を構成する必要性がある。

それは『社会』を軸にした『自分本位たるものを全て捨てること』が必要で、前回の『エゴ』『異性』『第三者』により構成されたトライアングルは捨てられ、新しい『人格を構成する』ようなものである。

そのとき『社会を軸にした自己』をまずは構成し始める。いわばこれが『愛』の基盤である。

愛とは、私たちにとって『自己犠牲』に当初存在している。当初に作成したトライアングルは『自己犠牲による愛』により、自己を確立させていく。

まずは、エゴイズムを捨てる経緯において私の場合は5年から7年近くかかっている。(ただの修行的な感覚でやっていくところがあるのと、この経緯において神さんが夢見に増える。)

エゴイズムを全て捨てきることが出来たとき、二つ目のトライアングルによる『自己』が成立し、その後、異性であるツインレイと出会い、その後、霊体によるホムンクルス(子供の霊体)と出会うことになる。

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2つの2次元を合わせることで3次元が成立する

2次元の学習が終わったら、次は3次元の学習をする——と思うかもしれないが、2次元の学習を終えたら次は再び『2次元の裏側にあるもうひとつの2次元の学習』を行う必要性がある。

そのもうひとつの2次元の学習を終えることで『3次元の学習がセット』される。

図の説明:2次元と2次元を足すと3次元が生まれる
図の説明:2次元と2次元を足すと3次元が生まれる

当初のエゴイズムによる2次元では『自分を主体的に考える』ことが重要視される。

2つ目の社会による2次元では『自分を打ち捨て、自分を抹殺させる』ことが重要視される。つまり、前回で作成した2次元によるトライアングル(エゴイズム)を全否定するような人格を構成していく。

それにより最終的には3次元のヘキサグラムの構造が成立するわけである。

図の説明:審判のタロットカード

審判のタロットカードには、向こう側にも『もう一組』が存在している。つまり、三人と三人が必要であり、私たちは自らのなかに『昔のエゴイズムにより構成したトライアングル』が必要であり、今こちら側にも『今社会性により構築したトライアングル』が必要なのである。

このふたつのトライアングルを併せ持たせることにより、世界が成立する。

図の説明:タロットカードの世界
図の説明:タロットカードの世界

少々文章を省くが、これにより『自己』と『社会』による葛藤や軋轢を消し、私たちは社会との一体化を覚え、束縛のなかに自由を見つけることができる——ということだ。

2次元のツインレイたちとは

たぶん、多くのツインレイがこの領域のような気がしている。

図の説明:1次元と1次元を合わせることで2次元を理解する
図の説明:1次元と1次元を合わせることで2次元を理解する

いわば、自分と社会による葛藤と、かなわない片想いと両想いを経験している——という領域のうち、両想いのほうをツインレイとして定義していると言う感じ。私はこの『叶わない片想い』を地上のツインレイとして定義している。

この段階で『2次元』が成立するのである。2次元思考では『平面的に理解する』ことが出来るようになるが、3D的な理解は出来ないのだと思われる。

セフィロトの樹なども3D化して解釈はできない感じ。2Dの平面図的な理解のほうが分かりやすいと思う。

段階を追って理解していく必要性があって、2Dを理解することが出来たら、次にようやく3Dの理解が出来るようになる。スキップして1次元の人が3次元の思想を手にとっても、たぶん「よくわからん」になるのだと思われる。そもそも思考回路が精製されていない部分を『わからない』として定義するから。

またはわからないことが悪いことだと思っている人は、3次元思想を『悪いヤツが書いた文章』『間違えている』とする。理由は理解できないから。

でも「よくわからんけど、気になるし、理解したい」と思うとき、それは『それを理解したい』ってことだから、読んでみたり手に取ってみたりしてもいいんだと思う。でも、たぶん「よくわからない」だと思われる。

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次元的な愛情の違い

次元別にある愛情のカタチ
象徴 心の体現性 マイナスの体現性
0次元 自分 自己愛 エゴイズム
1次元 異性 異性愛 エゴイズム
2次元 他者 博愛 エゴイズム
3次元 意識 エゴイズム
4次元 無意識 エゴイズム
5次元 エゴイズム

ちょっと変な図になってしまったが、基本的に私たちは『0次元を軸にしている』ことは変わりがないゆえに、マイナスの体現性は常に『エゴイズム』にある。

よくエゴを捨てろと言うが、そもそもエゴを捨てることそのものも『捨てるものがそこにあると認識している時点でエゴ』やねんっていう話にもなってくる。4次元ぐらいになると、そんな感じ。そもそも「認識がエゴ」にもなってくる。

あると認識した時点でエゴ。で、エゴを捨てろってなると『何も感じるな』『何も思うな』ってこと。

「ここにコップがある!」って思ったら、それがエゴだよってなるのが4次元とか5次元の感覚になってくる。マジで無謀な話をしているんだけど、この状態が『瞑想』でもある。で、瞑想を始めると低次元の自分が瞑想中に出現をもしてくる。

で、高次元の人になってくると『愛が溢れている』わけなんだけど、これは『何も思っとらんよ』ってこと。

他者に対して強く何かを想うことはほとんどないよって状態になる。だけど別に『嫉妬』とか『恋心』とか『好き』とか個人的な感覚も愛おしいと思っているし、それが悪いこととも思っていないから、なにも思わない状態を維持することができる。

悪いことと思っていないから、普通に嫉妬したりもする。それで振り回されたりはしない。ただ「嫉妬めらめら!」ってだけになる。特にそれ以上でもないし、それ以外でもない。ただそういう感情を実感するだけになる。

低次元と高次元の違い

次元があがるっていうのは『理解している領域が増える』だけであって、低次元の領域の愛を体現しないわけでもない。

だけど、0次元における『自己愛』を知るには『エゴイズム』と『抑圧』の両方を学習し、その両方を統合し、両立していかなければならない。

そのことが理解できるようになるのが1次元へレベルアップしたとき。1次元では『他者』の概念として異性が存在している。これが『異性の親』にあり『好きな人』である。同時にここで『嫌いな人』も生じるわけである。

私たちは、0次元のままではいられない存在ともいえる。

ワンネス的な感覚は0次元に存在している。つまり、私たちは『ずっとワンネスを持っている状態で発生している』わけなんだが、そのワンネス的感覚を忘れている。このワンネス的感覚を知るためには『他者』という概念を常に広げていく必要性がある。

一は全である、全は一である。

つまり、低次元は高次元であるということ。

高次元へ進むことにより、ワンネスへ進むことにもなるが、そもそも私たちは0次元にあるのだからワンネスなのである。ただ、肉体という弊害を持っているから『他者という概念』を学習していくことにより、根源にあるワンネスから遠のいているということ。

肉体を凌駕し、抜け出すことを学ぶことができる(死)状態で、ようやくワンネスを知る。

他者という概念を私たちの脳のなかで完全的にシナプスが繋がりあうように概念の学習が終わる段階が、3次元にある。

0次元が『自分』、1次元『異性』、2次元『他者』であり、次の段階である3次元でようやく私たちの知性は『ワンネス』へと繋がると言うこと。

0次元へこの地球で回帰するためには3次元への到達が必要ということなんだ。

ここから、私たちは0次元により『自分と同じような人』と恋愛をし、1次元により『地上のツインレイという自分の異性性』と恋愛をし、2次元により『ツインレイという他者による全体性』と恋愛をすることで、3次元へ到達すると言うこと。

そもそもツインレイと出会った時点で2次元による回路は生成される。これが雷に打たれたような衝撃にある。

そのときに0次元へ回帰することができる——ということだ。

私たちは自分のなかに『自分である』という感覚も、0次元へ回帰することにより理解を進めることができるようになる。

 

で、今、人間は何をしているのか?

それはずっとほかの0次元を探し続けているということ。点と点を結び、その点を結び付けていくことで『次元を上昇』させていくことができる。

他者からしか学べないことが多くある。人から学び、人から多く享受する。それは『その人が持つもの』ではない。

その出会いそのものに私たちは意味を持たせることができる。点と点を繋ぎ合わせる時、それがちょうど『ひとつ次元が上がるまでにパーツが揃ったとき』。私たちは『運命』をも感じるほどの出会いを感じるだろう。ただ、それだけの話なのだと思われる。

 

また、私たちは高次元的なものをしっかりと享受している。

私たちには『無意識』がある。そして『無』である瞬間がある。0次元であるエゴイズムを捨て去ることができる瞬間がある。自分のことばかりじゃなくて、人のことを優先できる瞬間があるよね。そのとき、私たちのエゴは無にある。

私たちは『低次元から高次元へ行く』というのではなく、そもそも『高次元であるときもある自分』がいるし『低次元であるときの自分』も存在している。

そして、どちらも『自分』であり、どちらも『大事にするべき自分』でもある。