ツインレイが戸惑う霊的世界と現実世界へ戻ってこれない仕組み
ツインレイたちのうち、ツインレイ女性の多くが霊的世界(精神世界)へ向かうのですが、そこからの帰り道を忘れるのか——現実世界へ戻ってくることがなかなかできずに、幻想世界へ囚われたままでもあります。
その場合、ツインレイの再会をすることはなかなか難しく、霊的世界のなかに入ったままです。これはサイレント期間があけないということ。
ツインレイは、現実世界から霊的世界へ入り込むとき、ツインレイの相手と約束をします。それは恋心を持ってツインレイの相手を現実世界へ軸として持ち、霊的世界へ進みます。
ツインレイ女性たちは、霊的世界で『精神領域』を学ぶようになりますが、その世界から戻ってくることが出来なければ大問題です。
ゆえに、ツインレイ男性が現実世界で軸を持ち、ツインレイ女性は霊的世界へ飛び込みますが、最終的にはツインレイ男性との縁や繋がり、心などで繋がっているため、ツインレイ女性はその繋がりを手繰り寄せるようにして現実世界へ戻るようになります。
現実世界へ戻ると、ツインレイ女性は「ツインレイ男性のことを忘れる」にまで至り、手放しが完了します。
ツインレイの女性が向かう『霊的世界』とは
ツインレイ女性がサイレント期間で向かう場所は『霊的世界』。わかりやすくすれば、精神世界とも言えます。
その場所へ向かい、ふたたび現実世界に戻ってくるには、ツインレイ男性との間に生じる恋愛感情が命綱となっています。
私たち人間には『現実的感覚』と『霊的感覚(精神的感覚)』の2種類あります。
現実的感覚とは『生きている』という感覚であり、霊的感覚とは『精神的な部分』のことを意味しています。
現実世界では生きている実感のもと『事実のみ』が存在しており「ある」ということが意識されますが、精神世界では死んでいる世界のもと『精神のみ』が存在しており、「ない」ということが意識されます。
時間の概念的には、現実世界は『時間の流れがある』のですが、霊的世界では『時間の流れがない』状態であり、時間停止をします。
霊的世界では時間が止まりますので、この期間、現実世界ではなにひとつ動きをすることがありませんし、行動などもおこりません。
霊的世界から戻ってくる為には、まず『時間を動かす』ことも重要だったりします。
霊的世界を主体として軸を持つのか、それとも現実世界を主体として軸を持つのかでは、世界観が違います。
霊的世界を主体として軸を持つ人たちは見えないものを中心として考えるために、スピリチュアルへ没頭し、スピリチュアルを介して現実を見ることになります。(これはある種、現実を直視したときに受け止められない防御的機能です)
ツインレイ女性たちは、サイレント期間で多くの霊現象を引きこし、霊的世界の存在と関わります。
もちろん、彼らが『ツインレイ』と自分を見せかけ、からかってくることもあります。
ツインレイ女性たちの課題は『霊的世界でツインレイと結ばれたいのか』ということ。
私たちは現実でツインレイと結ばれたいはずなのに、霊的世界を肯定すれば肯定するほど、霊なる存在としてツインレイを求め続け、また、ツインレイと結ばれなかったことを認められないだけ、霊的世界へ没頭していくことになります。
いわば、私たちのサイレント期間とは『ツインレイの相手とサイレントに突入した』『ツインレイの相手と結ばれることが出来なかった』という現実的事実が持つことができない為に、霊的世界へ吹っ飛ばされるイメージでしょうか。
現実世界へ戻ってくる為には、ツインレイたちは『ツインレイの相手の認められなかった部分』や『ツインレイの相手を否定してしまっている部分』をすべて受け入れていかなければなりません。
霊的世界とは
霊的世界は、多くの霊が存在し、また『精神』を重要視しています。
この世界では『前世』や『神の世界』、『幽霊』など、多くの視えない世界を肯定せざるをえない世界となります。
たとえば、私たちが精神疾患などを患ったときなども、この霊的世界へ進むことになります。現実的な感覚よりも霊的な感覚のほうが強くなり、霊的世界へ縛られることになるのです。
うつ病になったことがある人ならば感じたことがあるかと思いますが、他者との繋がりの『精神的な部分が繋がりすぎる』ようになります。(なので、精神疾患を患ったときにはネットなどはやったらいけんのです、繋がりすぎて戻りが遅くなるから。)
そして、相手の精神が筒抜けでみえるようにもなります。
人の本質そのものも筒抜けになるのが、この霊的世界でもあるのです。たいていが皆、エゴイズムによる行動は発言をしているのがわかります。(うつ病の人にアドバイスをして『自分を認めて』と承認欲求を求め、精神力が落ちている人をフルボッコにしているような世界観が見えてきます。)
現実世界の役割
霊的世界で『存在する』ためには、現実世界を放棄してはならないのです。
人みんな生きています。生きているからこそ、霊的世界に没頭してしまえば、何もできなくなってしまうのです。
私たちはアイデンティティを『現実的な世界によるアイデンティティ』と『精神的な世界によるアイデンティティ』を生み出しますが、現実世界によるアイデンティティが明確に確立しないまま、精神世界に足を突っ込むことになると、現実世界を放棄することになるので『気狂い』になります。
いわゆる、霊的世界に入り込んだまま、戻ってきません。常に幻想を見続け、常に現実と向き合わず、常に無意識のままに生きることになる。
たとえば、教祖の類で、松本被告などは霊的世界に没入し、現実世界を放棄したため、霊的世界に意識が存在し、現実世界に意識がない感じでしょうか。
霊能者は『より現実を重視する』ことがなければならず、霊的世界を主体として考えすぎてしまうと、統合失調症のまま戻ってこれなくなります。
いわゆる『現実逃避』をした場合、霊的世界に入り込みます。
ツインレイの現実逃避とスピリチュアル
スピリチュアルのなかでも単純に『運が悪い』などの話もあります。これはひとつの『自分の自我をまもる防御』の精神の仕組みでもあるんですね。
防御をすればするほど、私たちは現実から離れていきますので現実的な自分に対して『客観的』な意見を持つようになります。
ひらたくすると、目の前の現実に向き合えないでいると、現実逃避が始まって、ツインレイは特にスピリチュアルに没頭しやすくなるサイレント期間を過ごすようになる——ということです。
ツインレイのサインを探し、ツインレイの霊体を探し、ツインレイの相手を霊的世界で探し続けることになる為、霊的世界に依存するようになるのです。
ですが、私たちはツインレイの相手とサイレント期間に突入し、離別したという事実が受け入れられないからこそ、霊的世界へ突入してしまっているのです。
もう「ツインレイの関係性は終わった」と言うことをまずは受け入れていく必要性があるのですが、私たちは『サイレント期間なんだ』『再会が待っている』という希望を持って、霊的世界へ進むことになること自体が、現実を受け入れることが出来ていない自我の防御に過ぎません。
サイレント期間の霊的世界の役割
サイレント期間では、霊的世界へ現実逃避の為に向かうことになりますが、それは『現実を受け入れる準備』をしているにすぎません。
現実を受け入れるとは『ツインレイの相手はもうここにはいない現実』です。
私たちは受け止め兼ねているのです、事実を。その事実を受け止めるために、霊的世界で学習を進め、どうやったら受け止められるのかを修行しているようなものです。
ツインレイの関係性は、ものすごく大きな打撃を与えることになります。ゆえに、その打撃を受け止め兼ねている人であればあるほど、現実世界へ戻ってこれなくなるのです。
霊的世界は時間が止まっています。私たちは人生の主軸を霊的世界に置いたとき、私たちの時間は止まり、動かし始めたとき、ようやく現実世界の時間が回り始めます。
一次的に非難した場所で『なにかしらの経験』を積むことにより、今度は失敗しないぞ! という意気込みと共に、霊的世界で学んだことを主体として人生を再び構成していくことになります。
これが『人生のモラトリアム』という停滞期とも言えるのです。
この霊的世界で出来ることは、
- 霊的世界を知ること
- 精神領域を学ぶこと
- 精神への干渉
です。霊的世界ですので、霊と精神について学ぶことが出来ます。
霊的世界から現実世界へ戻るヒント
―サイレントを終わらせるために―
サイレント期間を霊的世界で過ごすことになりますが、この霊的世界へドップリはまってしまう人たちもいます。そのまま抜け出せない状態になる人もいるということ。
原因ですが、霊的世界を肯定しすぎることにあります。
霊的世界は、現実ではない事実を受け入れていかなければなりません。そして、そこには『ツインレイがいない』という事実をも受け入れていく必要性があります。
その道を進んでいても、どこにもツインレイはいないのですが、その霊的世界にツインレイがいると思っているので「ここにはツインレイはいない自覚」を持つことで現実世界へ戻るヒントになります。
人のせいにしない――ということ。これは、自分のせいなのに人のせいにすることが霊的世界の『軸の思想』でもあります。
自分の感情を人のせいにすると、その対象者はトラウマを背負うことになります。
霊的世界の住人たちがやっていることは『人のせいにする』『人のせいにされる』の二極となっている状態です。
ゆえに、この領域では『人のせいにした人(加害者)』『人のせいにされた人(被害者)』が取り残されていきます。
つまり「誰も悪くない」を知らなければならないと言うことでもありますね。
自分が悪いのか、他者が悪いのか——ではなく、誰も悪くないと思える人こそ、この領域から抜けていき、現実へと戻ることが出来ます。
霊的世界の循環のなかへハマりこんでしまう人は、誰かが悪いという思想をもっているときです。
ついでにインナーチャイルド癒していく
ツインレイの関係性を持つ人たちは『精神領域』をよく知ることができるようになります。
ゆえに、ついでといっちゃァなんだけど、インナーチャイルドも癒していくといいんじゃないかな? と思っています。
いわゆる霊的世界では、明らかに『精神』に手をかけるにはもってこいの時期なんです。この時期にどれだけ精神をピカピカにして戻ることができるのか? は自分次第ということでもあります。
ツインレイの理想を捨てること
どうしてか、この霊的世界に留まり続けると『理想』が生まれてくる。
ツインレイの相手にどうであってほしいとか、どんな存在であってほしいとか、どういう関係になりたいとか。そういう現実的ではない理想を抱え、それまた、この霊的世界に留まりやすくなります。
現実だけを見れば、ツインレイの相手への理想なんぞ何も浮かびませんので、ツインレイの相手に対しての期待はすべて捨てるに限るのだろうなと思いました。
ツインレイを忘れていくとき
私は自分のはらわたに、しっかりとツインレイの相手からの命綱が結ばれており「なんだこれ、外れねえ!」と思っています。
これがなければ、私は現実世界へ戻ることが出来なかったんだァと思います。
最悪、人のせいにされたものを背負い、トラウマを抱えて霊的世界にい続けた可能性があるということ。
そして、この世界で「彼きゅん・・・」とか思いながら、くーくー泣き続けていたのかと思うとゾッとする。
ツインレイの彼を忘れたくないと思っていたのは、これが命綱だったからなのだと思います。でも、これ外れないんですよ、がっつり『覚悟』を決めたがゆえに、私は私を彼に縛り付けてしまっている。
私は約束を守るにあたっての強制のある『縛り』を感じていました。それは『言霊』です。引用:ツインレイの約束と言霊の縛りの解説
最終的に今、忘れつつあるのですが、ある種、どうでもよくなってきてもいながら、命綱ががっつり結ばれていて「いや、これ、どーすんのよ?」っていう感覚でもありますが、無事に現実世界へとたどり着いた暁には、命綱も外れるのだと思います。
そのときは、彼が外してくれるんだとは思います。
この霊的世界の経験について
よくわかりませんが、なとりさんのまわりには複数人いた、霊的世界の住人達の話が、ほとんど、霊的世界に囚われるように仕組まれていました。
そうやって霊的世界を学ぶのだと思います。郷に入っては郷に従えなのだろうなァと。とりあえず、そこのルールに従っとこって感じです。
霊的世界のツインレイを探し続けている人、霊的世界で理想を掲げ、ツインレイを求めている人——といいますか。
ほかにも私へまとわりついていた霊体も、ここに留まらせようと一生懸命だったのと、私の中にも入り込んでいたように思います。
一番つらかったのは、トラウマ背負ったことですが、トラウマの対処をすればなんとかなるものだなとは思いました。ひたすら自分と向き合わなければならないのが、霊的世界です。
ある種ひとつの試験なのかな? とすら思わざるを得ないのが『自分の心の在り方』でした。
私は人のせいにするのが割と嫌いな人でした。そして、人のせいにされたら「じゃあ、あたいのせいでいいからよ。」ってぐらいの感覚もありました。別に私のせいにされても、私が何か変わるわけでもないからです。事実は変わらない。
ですが、人のせいにされ続けて尚、思ったことがありました。
人のせいにし続けても、この世に許されて存在しているんだなということです。その存在を肯定するとき、自分の行いを人のせいにして、なかったことにする人が私へ押し付ける『私のせい』は背負うことをやめました。
知らんがな。自分で背負えよ、自分の荷物だろ。博愛主義のなとちゃはもういないぜ!
私は、この霊的世界で『分別』を学んだ。
この霊的世界から抜け出すにはコツがあって『事実だけを見る』という訓練みたいなものです。
霊的世界では『感情』『理想』『未来』『過去』『欲求』など、目に見えることがないものが主体となっている世界(幻想・妄想)ですので、そこから『事象としての事実のみ』を受け取っていくことによって、霊的世界から抜け出し、現実世界へ戻ることができるのです。
同時に、ツインレイの相手は真逆かと思います。とても霊的世界である『みえないもの』を再び取り戻しにきているんじゃないかな? と思います。
霊的世界に留めようとする人の傾向について
自分自身のことです。そして、霊的世界にいる他者のことです。
霊的世界に存在している限り、人は霊的世界を肯定します。ゆえに、霊的世界に突入したサイレント期間の人たちは、基本的に『霊的世界を肯定する限り留めようとする役割』を担います。
自分も霊的世界にとどまっている限り、霊的世界に人をとどめようとします。
私自身が今やっていることは、霊的世界から現実世界にかえるわ~! って感じですので、帰り道にいっしょに帰れる人を誘って帰っている最中です。帰れない人は、霊的世界を肯定しているので帰れないです。
霊的世界から帰った人たちは、どうやって現実世界へかえったのかのコツがわかるかと思います。
それが『引き寄せの法則』や『今に生きる』など、創造性に携わる生き方についてのコツになっています。
しかし、霊的世界で『ツインレイの相手を忘れるように』など、促し、自分の本心を偽るようになると、霊的世界から抜け出せなくなります。
理由ですが、ツインレイの相手が命綱で霊的世界に着ているので、帰り方がわからなくなるためです。
ゲートを開くには
現実世界から精神世界へのゲートが開くには『誰も悪くない』という視点を持つことのようです。
精神世界から現実世界へのゲートが開くには『みんな好きなように生きている』という視点を持つことのようですね。
自分のせいにすべてを押し付けられても「誰も悪くねー」っていう気合いと、人に意見を押し付けられても「自分はやりたいことやってんだー」っていう気合いでゲートが開きます。
どこかで必ず『他者』の影響を無効化できるまでにならないと、ツインレイの相手が存在している領域に足を入れることが出来ないようです。
ツインレイのふたりは、はざまで出会うんですね。
現実世界と精神世界の間にあるはざまで、今度は相手の世界を探求し、戻ってくる帰り道にはツインレイの相手が道しるべとなっている。
何も変わっていない
なにも変わっていません。私は何も変わっちゃいないんです。変わってはいませんが、ひとまわり精神的な部分の視野が大きくなりました。
現実世界と霊的世界の仕組みや、人がどうやってこの世界を成立させているのか——というような仕組みを理解したという感じでしょうか。
霊的世界についても理解が出来たので、少しは霊感があがりました。
その類はちょっくら使ってはいます。幽霊の存在もわかるようになりました。相変わらず視えていませんが。爆
視る方法を『目』ではなく、心に切り替えましたら、よくわかります。
実際、霊的な能力はアップしましたが、現実的に私の立場は相変わらずのニートです。爆
メール相談を受けるようになって、少しはお金が入ってくるようになりました。
そして、自分がどのような方向性に進むのかの指針も決まりましたので、その方向にいこうかな~と思っています。時間はかかりますが、少しずつやります(o^―^o)ニコ
生き方が、私自身は『現実世界』が主体となっていたために、霊的世界が閉じていたようです。
ゲートが開いたのですが、霊的世界を探求するにはツインレイの彼が必要だった——ということのようです。
しかし、私は特に『何も変わらない』です。
一つ言えることは、前よりも『我』が強くなりましたね。
いけんもんはいけんです、がハッキリするようになりました。それはやっぱり人の不幸に繋がることはやめなさいと言葉にするようになりました。
その辺のことを私は一切合切『受け入れてきた』ところがありました。
肝の据わり方が違います。より自分らしいと思います。
ずっと変わらないです。私は私であったなと思います。何も変わらない。
ツインレイのステージとか、ツインレイのサイレントを乗り越えた先でも、私の『本質』みたいなものは何も変わらないのですが視点が変わりました。
視点が変わっても、私は私なんだなと思います。
人は変わらない生き物なのだと思います。変わっていく部分もあるのかもしれない。
だけど、霊的世界を探求して戻ってきて思うことは「変わらない良さもある」ってことです。
変われないでいる自分を受け入れていいんだなと思います。
霊的世界は時間が止まるから、余計に何も変わらないんでしょうね。私の世界は何も変わりませんでした。
ですが、現実世界は時間があるから変えていかなきゃいけないですね。