伝えられていることはごくわずか。

| Ⓒ なとり

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ツインレイステージまとめ

私のステージが進むごとに更新していくステージをひとつの記事にして販売しています。


さよなら、ツインレイ Kindle版
さよなら、ツインレイ

当時はこれでおしまいなんだ・・・。そんな風に思いながら書いた『さよならツインレイ』。結果的にさよならしたのは、神交法の相手であるツインレイの霊体だった件。今更振り返って読んでみると納得がいく一冊だが、当時はよくわかっていなかった。

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私が夢のなかで「大蛇の白蛇」に巻かれていた記憶である。その白蛇から作務衣のおいちゃんたち(向こうの世界では一番下の存在たちで人間界に干渉を多くする人たち、神の道の一番したの存在)から救出された。

そして「目を合わせてはいけない」と言われた。目隠しをつけられて車で逃げた。

家まで送り届けられたとき「(うちの宗派の大先生)さんから伝えられている思想はごく一部。教えてもらいなさい。」と言われた。

引用:龍と蛇、白山に棲む菊理姫

「(うちの宗派の大先生)さんから伝えられている思想はごく一部。教えてもらいなさい。」と書いたんだが、一応、言葉通りに書くと「伝えられていることはごくわずか。〇〇さんに教えてもらいなさい。」という言葉だった。

当時はよくわかっていなかった。で、教えてもらいなさいとか言われているのに、私は行動にも移さず何もしなかった。普通に「ふーん。」で終わってしまった。

ぜんぶ知らなければならない理由もなくない?

これが此度の発端にあるようだ。作務衣さんにしてやられた気分だよ。

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元々はすごく大きな神道の宗派にあたるんだが、そこの幹部の方と結婚のお話があり、その結婚のために宗派のお勉強をがっつりしたのがうちの大先生。女性の方。

その大先生が駆け落ちしたって話したっけ?

大元になる思想を勉強しきったあとに結婚になる予定が、その後、大先生は駆け落ちして他の男性と結婚した。

で、これを私のほうでも再現している。

なんで、大先生は駆け落ちしたの? って話に繋がっている。

宗派にも、それなりに宗派における思想を固く守ることによって『徳の形』みたいなものがあって、その徳をいただくことができるのかもしれない。

たとえばキリストさんの思想を固く守れば、キリストさんと同じことが起きる感じ。

宗教って『教え』なのだが、キリストさんが道を切り開いているひとつの道がある。その道を歩くことが神の道。ちゃんと教えを守ることなんだが、これが悪徳のケースもあるから注意が必要ともいえる。

で、私も先生の教えを守ることで最終的には『先生と同じ道』になる。

徳をいただく代わりに、やっぱり苦難はあるけれど。みんな大変そうだよな、教祖たちの姿を見ていると。

師匠曰く「困ることが無くなる。」とのこと。

これ、親にも言えることで。親を信じることで親と同じ道ってこと。

誰を親としてみなすのかって話。子は親を超える時が来る。そのときがきたら分離する。

フロイトとユングみたいなもんだよ。師弟関係ってそういうもんなんだと思う。

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師匠はこの宗派における『幹部』だとして、なとりが大先生だとして。師弟関係により結ばれている。

で、ここに彼くんがやってきて師弟関係が破れる。そして彼くんと結ばれる。

これが大先生と私のシンクロの部分。

なんで駆け落ちしたのか? っていうと、私たちが話すツインレイが現れてしまったってことなんだと思う。(当時は戦中。)

この宗派における思想をがっつりやりこむと、逆に『師弟関係は破れる』んだと思う。

師匠を弟子が超える瞬間がやってきて、そのとき破れてしまう。超える——というよりも、独立する瞬間がやってくる。

師弟関係はやっぱり師匠と弟子っていう関係性だけれど、最終的には弟子だって独立していかなければならない。その独立するときがきたって感じ。

その思想を『自らのなかに発生させる』『自分らしさを持つ』こととかも大事なんだと思う。

つまり、元々は師匠を信じるというカタチが、次に自分を信じるというカタチに組み変わる瞬間がやってくる。

自分を信じ始めることで、私は師匠から離れる。これが独立になる。今までは師事してお伺いを立てることもなくなり、自分で考え、自分で結論を出せるようになる。

この独立が出来上がったとき、師弟関係による相手ではない異性がやってくる。これが彼くん。

 

違うねんな。師弟関係は『違う』のね。師弟関係による男尊女卑思想が完成されたとき、それは『違う』。

違うからこそ、新しいものがやってくる。

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確かに、これは駆け落ちみたいな構造になるような気がする。

そして「伝えられていることはごくわずか。」というのも、今さらながらによくわかる。私がここに記録し続けてきたほとんどが大先生から伝えられた心そのものであり、どのような原理なのかまでもは伝えられてきていない。

この経緯を私が踏み、記録をとりつづけていること。

これもまた夢見なのだが、白い着物を着たおばあさんに神さんの役所に「インターネットの五級(だった気がする)に申請する」とのことで、申請してもらっている。

もしかしたら、これが大先生かもしれない。もう既に亡くなっている。ちなみに会ったこともない、私は師匠しか知らん。

夢見の内容はインターネットで思想を暴露みたいなことだったのかもしれない。

 

師匠に教えられた思想も、なぜ大先生がそのように伝えたのか——もありありとわかる。

比喩表現が多くて、わかるけれどわからない。そんな気分になる。言っている意味は分かるけれど、ホントのところでのどうして先生がそのように伝えたのかはわからない。その部分を先生は残しはしなかったのだろう。

だから、伝えられていることがごくわずかとなってしまったのだ。

 

今回な。教祖的な問題もあったんだ。

教祖になるのか、ならんのかという問題。

私は自分を『神ではない』と言葉にするように、真逆には『自分は神である』と思っている人たちもいる。

人は、動物、人、神という意識を持っているが、動物でもないし神でもない。自らを動物のように貶めるようにしてはならないし、神だと自らを想い、傲慢になることがあってもならない。私たちは力強く人でなければならない。

大きな過度期は、戦後に陛下が『神をやめたこと』にある。

陛下が神をやめ人になり、象徴天皇となった。

これが昭和天皇が導いた神の道。

陛下はずっと人の為に神であった。日本をまとめる為の犠牲者という神にあった。私たちの為に神でいてくれた。

私は、自分が「神にはなりたくない」と思った理由はここにある。人が神になるということは人の犠牲者になるということだからだ。

人の犠牲にもなっていない神は『人でなし』。なんなら犠牲にすらならず、搾取するような人は確かに人ではないようだ。お金儲けして楽しそうだ。

陛下があのとき『神をやめた』のだから、私たちが『神を名乗る』ということは、この国を代表して何かあれば死ぬ覚悟があるって意味だと思っている。陛下は日本の暴走による決断を受け入れた人。

ちなみに天皇にも政治の権利があったとされているが、実際は無に等しかったという。ただ据えられていただけで、権利はなかった。陛下は早々にやめるべきだと思っていたみたいね。止められなくて、鈴木さんに声かけたっぽいしな。

自分には罪がなくとも人が生み出した罪を受け入れる。それが神なんだよな。犠牲者なんだよ。

 

神にはなりたくないし、なりたくないから神になるし、神になったからこそ神をやめる。

この道が『昭和天皇』が生み出した神の道だと思っている。

なってもいないものをやめることもできない。

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この世では神にまで昇りつめる人もいる。それは本当に一握り。

神の道を切り開いてようやく「神」だから。でも、最終的結論は、ほとんど皆同じこと言っている。つまり、人が導き出せる結論は皆同じ。

で、その結論は「どの人生からも獲得できるようになっている」よ。

この人生は神の道にはならないと思っている人がいるかもしれないけれど、どの人生も神の道へ進むために用意されている。全力で自分の人生を使いこなせば、ほとんどが神の道に切り替わることができるようになっている。

だから、自分で自分の人生を『神の道』にするのか『獣の道』にするのかは自由。自分次第。

なんなら、それが神道。

自分で自分の人生を一生懸命に生きること。自分なりに努力をし、自分なりに自分の苦しい人生を受け入れていくこと。自分の道から逃げずに人であり続けようと努力すること。

究極の自分へとたどり着くとき、それが『神の道』に切り替わる瞬間がある。これが神道なんだと思う。