愛の定義の崩壊。これは『愛欲』である。

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さよなら、ツインレイ Kindle版
さよなら、ツインレイ

当時はこれでおしまいなんだ・・・。そんな風に思いながら書いた『さよならツインレイ』。結果的にさよならしたのは、神交法の相手であるツインレイの霊体だった件。今更振り返って読んでみると納得がいく一冊だが、当時はよくわかっていなかった。

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彼との別れの悲しみに触れていた。

すると「愛別離苦」と何度も聞こえてくる。

これが、愛している人と別れ、離れた苦しみのことなのだと言う。

そして、愛により苦しみが生まれることはない。もし、愛し、そして別れた際に苦しいのであれば、それは欲求であると。

私は自分の中にある『愛の定義』とされたものを『これは欲求である』と言い聞かせる。

これは、私のなかにある愛の定義の間違いであり、だからこそ、私は苦しかったのである。

 

本当に愛していたのであれば、私たちに苦しみはやってこない。

その苦しみの理由は、コントロール欲求にあった。

自分の想うとおりにしたいことが欲求であり、愛し、愛されたいという欲求が私のなかにあり。

この欲求を『愛別離苦』と言うようだ。

そして、本当の意味で愛することが出来たとき、私たちは別れに苦しみも悲しみも感じない。

それは相手の選択を受け入れることが出来ているからである。

相手の選択がいかなる内容であれども受け入れることができること。それが愛である。

選択が自分の思い通りであってほしいとコントロールしようとすると、私たちは愛別離苦に苦しむのである。

別れや離れることをコントロールしようとするからである。

 

私は全力で愛別離苦を経験したのだ。

あの時の私は愛し抜いてみた。

だからこそ、最後まで愛そうと思う。

この苦しみがあるのは『別れの選択を受け入れること』が出来ていないからである。

だからこそ、彼がした別れの選択をも受け入れ、愛そうと思う。

そして、別れの選択をしたのは私自身である。