自己統合すると自分の人生が一本道で繋がっていくこと。

2024年12月15日

| Ⓒ なとり

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ツインレイステージまとめ

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さよなら、ツインレイ Kindle版
さよなら、ツインレイ

当時はこれでおしまいなんだ・・・。そんな風に思いながら書いた『さよならツインレイ』。結果的にさよならしたのは、神交法の相手であるツインレイの霊体だった件。今更振り返って読んでみると納得がいく一冊だが、当時はよくわかっていなかった。

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自己統合されていくと、自分の人生が真っ直ぐな一本道で繋がっていく感覚がします。

私の人生が今までバラバラとなってひとつにまとめられていなかったんだなって思えます。

この『自分の人生がひとつ』に感じられる感覚が、メンタル体にあると思います。

今までの人生がすべてつじつま性にあっている。自分がどうしてこのような判断をしたのか――とか。そういったものも全部つじつま性があっているってことに気づいていく。

自分のことがよくわからない。

これは自分の中で分離している記憶があるから、自分のことが途中でつじつま性を取れなくしてしまっているみたい。

つまりデータ不足が起きてしまう。データ不足によって今の自分がよく分からなくなってしまうんだなって思いました。

そして未来もわからなくなってしまう。

自分がどうしたらいいのかも――。だから人に聞いたりして自分の人生を何かに預けようとする。

でも私が思うに、宇宙も神も、私に興味はなくて、そこにあるのは数式のような美しい法則性だけ。

私に興味があって、私を心底愛しているのは私だけ。

自己統合の素晴らしさはここにある。

でも、このとき『誰かを排除して自分だけいい状態になる』ことではない。

私たちは集合意識と個人意識を繋げて考えている時、どうしてもどちらかを選ばなければならないと思うかもしれない。

あなたと私。どちらかしか選ばれない。

実際、全くそんなことはない。

あなたと私。どちらも選べる世界がちゃんとある。

あなたもハッピーだし、私もハッピー。それが許されている世界がちゃんとある。

自己統合の世界は、そんな世界。

私の人生は私しか生きていないし、あなたの人生はあなたしか生きていない。

このふたつを比較する必要性なんて全くない。

でも、私たちは自我の芽生えから優劣を理解して『誰かよりも優位であること』を目指していく。

このときに社会と自分という比較から、より良い人生を生きていきたいって考えるようになる。

つまりは『誰かよりも』という無意識での比較が生まれていく。

だけれど、自己統合してみると案外「あたいはあたいだけの人生」がここにあって、私はそんな人生を全力疾走して私が私の思いに応えようと必死に生きている姿がわかる。

誰かよりも良い人生ではなくて、自分がより一層自分らしく生きる人生が自己統合なんだと思います。

ありのままの自分。

スピリチュアルではよく語られるけれど、個人的には「ナチュラル」が一番にしっくりきます。

それは『自然体の自分』って意味です。

誰かの前で、あなたはあなたらしくいられてる?

あなたは、あなたらしくいられる人といっしょにいられてる?

どこかで自分を隠したり、偽ってはいない?

そんな問いかけです。それは相手の顔を伺うこともそうだし、相手と壁を作ることもそう。

あなたが自分らしくいられてるとき「好きなものは好き」って思えている。

それは、誰かの人生よりも自分の人生が好きって気持ちでもあります。

私たちは『私が好き』だから、私として生まれてきています。

ですが、どこかで大好きな自分を嫌いになってしまったり、嫌いにならざるを得なかったり、切り離さないといけなかったりする悲しい経験があるのがこの世界なんだと思います。

ばらばらになってしまった経験や人格や感情も、すべてをひとつにまとめてみると「全てがこれでよかった」としか思わない。

それは出会いも、別れも。すべてがこれでよかったんだと思います。

今回、大きな別れがありました。個人的には大打撃すぎる別れのために、ここまで色々やり尽くして。そして結論として。

「合わなかった」

と思いました。

今、私の元には三人の友人がいますが、すべての友人関係をふるいにかけて、最後には三人しか残りませんでした。

でも、なんだかとてもしっくりくる関係性です。依存もないし、癒着もないし、安定している。お互い楽な関係性。

彼は違いました。楽じゃなかった。愛さないと無理だった。これはもう「合わないから愛して許さないといけない相手」でしかなかったです。

そんな人を好きになりました。

それってしんどくないか? 愛して許すの間には憎しみが介在している。愛と憎しみの相手といっしょにい続けられるほど、私は神でもなければ仏でもなかった。

つまりは合わなかった。合わない人と一緒にいる必要性もないし、どんなに素晴らしい相手であろうと辛いんだったらやめていい。

でも、当時の私がやりたいことは『愛し抜くこと』であって、それをやりきったからこそ、今、ここで「合わないんだったらやめときな」って言えるんだと思います。

ただ、私も数年経って、自己革命をしまくった。

人は一日ですべてを変えることはできないけれど、三年も経てば人格さえ入れ替えることが可能だと思います。

というか、個人的には三年前に頑張って彼を愛していた状態をデフォルトに設定したという感覚です。

今は『愛する』とか『許す』とかもなく『普通』でいられると思います。

理想の体現は、理想そのものになれる――ということなのだと思います。引き寄せみたいなものだと思いますが、無理をして背伸びをすることだとも思います。

 

個人的には良き経験でした。

ですが、これが『試練』とかではないように思います。

すべてが出来レースだったと思います。

最後の到達点はもう決まっています。

彼を愛しきることができた状態がデフォルトになる。これが私の到達点であり、ゴールです。

ゴールはもう決まっている所へ私は突き進んでいるだけでした。ですから、迷いはありませんでした。

個人的には「いつ終わるんや・・・・・・」っていう気分でもありましたが、最初に「2025年」とも教えられていたので、そこまではやりきる必要性があると思っていました。

人がどこを基準に合わせて再構築されているのか――というと、私は人間性を軸にしていると思っています。

人間性とは何か。人それぞれこれも回答が違うと思います。

人が人として、人たらしめる姿がどのようなものかは皆違います。

私の場合、いかなる彼をも受け入れること、合わせきること。これが出来てようやく私は女性(子供を持つ資格を得る)という考え方でした。

女性であるべき姿を人間性として考えたとき、そのような回答だったんです。

だから私は彼に合わせるようにセルフビジョンを再構築することになったのだと思います。

それが私の知る女性の姿だったからです。

彼が望む私の姿になることが私の望みでした。

それが今の私の姿だと思います。

 

私は私が持つ小さな恋心すら叶えてあげられなかったんだなって思いました。

悲しくて泣きました。

私の望みは彼の望みです。

ですが、彼の望みが私の望みかどうかはわかりません。

恋が叶うとは、私の望みが彼の望みとなり、彼の望みが私の望みであることだと思います。

私のなかに棲う小さな神さまが願う恋が、叶えばいいなって思いました。

それが私の願いです。