疲れたという感情の分離人格をレイキで癒す。
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ずっと腹部のレイキをやっています。記憶のない記憶を癒していきます。
疲れたという人格が小学生低学年で分離していました。
小学生低学年で『疲れた』という概念が失われていたということです。
この分離人格は放心状態でした。疲れ切っていました。
学校、習いごと、家。コンボで生活そのものがキツすぎて私は放心状態にまでなり『疲れた』という意識が振り切れたようです。
家族に疲れたことを受け入れてはもらえませんでした。
そういえば、幼稚園ぐらいまではお風呂でぼーっとしていて長い時間、ぼーっとしていたので全く風呂から出てこないと母が見にきた記憶があります。
身体さえ洗い終えていない私を批難してお風呂からでていった記憶があります。
なんでこんなに生きるのが辛いんだろうと思っていました。普通の人が「疲れたな」と思うとき、私は何も感じていません。
分離している人格が疲労を請け負っていました。
疲れたって言っても受け入れてはもらえないし、頑張らなくてはならない環境でした。
優しさなんて私の世界にはなかったし、愛は信仰だった。
愛を与えられて育ったわけではない私にとって、確かに愛は信仰でしかないなと思います。
自分のことではありますが、子供の自分に強い同情があります。知れば知るだけ、自分に同情します。
放心状態の私に「疲れたね」と言って、昨晩は眠りました。
疲れたことすら自覚がなかった。放心している自分にも自覚なかった。
疲れたね、おやすみ( ˇωˇ )
今朝は超元気に目覚めました。
朝起きれない理由に、疲れたことが受け入れられていないこともひとつにあげられていたようです。