異性人格=ツインレイの方程式が解除されると、本当の意味で「ツインレイへのこだわり」がなくなっていく。

2024年11月2日

| Ⓒ なとり

sponsor link

ツインレイステージまとめ

私のステージが進むごとに更新していくステージをひとつの記事にして販売しています。


さよなら、ツインレイ Kindle版
さよなら、ツインレイ

当時はこれでおしまいなんだ・・・。そんな風に思いながら書いた『さよならツインレイ』。結果的にさよならしたのは、神交法の相手であるツインレイの霊体だった件。今更振り返って読んでみると納得がいく一冊だが、当時はよくわかっていなかった。

kindleの読み放題Kindle Unlimited30日間の無料体験』では、ほかの三冊も同時に読み放題


私たちのなかに存在している人格のうち、主人格を自分の性別として、また他にも主人格として異性人格が存在している。

図の説明:父への人格へ男性人格を経由させなければならない

引用:仕事が負担の男性人格の副人格『父』をレイキする。

私の場合、男性人格が裏側に存在しているのだが、この人格はかなり幼少期に分離した人格であり、私にとっては『究極の自己愛』であり、私の社会性などを担当している。

この異性人格を人格統合していくことによりどのようなことが起きるのか? ということ。

ツインレイたちの多くがこの異性人格を人格統合する方向性へ向かうとき、私たちのなかにある異性人格はツインレイではないことを理解していく。

たいてい、妄想性とは自分の精神内に生じている問題が外部に発生しているという構造をとっている。現実=精神という仕組みだ。

そして、この異性人格=ツインレイと感じているのも、妄想のようなもので、これを他人に行うことから投影と言うものになる。

つまり、ツインレイに出会ったとき——。もしくは誰か異性を好きになった時、私たちは自分のなかに存在する異性人格=対象者(ツインレイ)という方程式を立てている。これが投影である。

しかし、この異性人格を人格統合したとき、私たちは投影を止めることになる。

投影をやめるとは、自分が追い求めている存在は『自分』であり、ランナー&チェイサーの仕組みは自分で自分を追いかけまわしている状態だとも言える。犬がグルグルと自分の尻尾を追いかけているようなものだ。つまり、恋愛とは常に異性人格を追いかけまわしているにもかかわらず、現実に存在している異性に「この人ならば!」と思い、付き合いはしても、自分のなかに存在する異性人格ではないのであえなく撃沈するということだ。

結婚とは惰性である。また打算的ともいえるだろう。この投影の仕組みを終わらせていくことが無ければ、私たちは「相手をまともに直視すらしていない自己愛者」に他ならないのだから。

ツインレイへ異性人格を投影しなくなることにより、私たちは異性人格の人格統合と共に男性人格ケアを始めるようになる。

  • 同性人格と異性人格の関係性による問題のケア
  • 異性人格が抱えている問題のケア

この2つのうち、後者の異性人格が抱えている問題とは、ツインレイの相手が抱えている問題なのである。

ツインレイの相手が抱えているトラウマを引きずり出してしまうのも異性人格が抱えている問題とも言える。

異性人格が抱えている問題はツインレイの相手が体現していると言える。

ツインレイが抱えているトラウマ=異性人格の人格形成のトラウマが一致して、私たちは「相手がツインレイだ」と思うところもある。(私の場合、ツインレイの相手は私の男性人格がツインレイの相手の女性人格に恋をしている構造をとっている)

 

では、この「人格形成のトラウマ」を解除していったらどのようなことになるのか。

 

もうわかってくる人はわかっている。そう、結婚する相手はツインレイの相手じゃなくてもいいという結論になる。

私たちは「ツインレイでなければならないこだわり」を持っている理由は、私たち自身のなかにある異性人格によるトラウマとツインレイが一致しているからこそ、ツインレイへのこだわりを抱えている。

しかし、私たちのなかにある異性人格のトラウマが解除されてしまえば、その縛りは融けてしまう。ツインレイの相手を「ツインレイ」と括る必要性もなければ、異性として彼しかない、一途に思い続けているという幻想も融けてしまう。(一途にツインレイを思い続けているとは、自分を一途に思い続けているだけで、なかなか滑稽に感じられるのは私だけだろうか。)

ツインレイでなければならないこだわりが失われたとき、私たちは自由である。

誰と結婚しようが、誰と恋愛しようが、誰とおせっせしようが、本当の意味で恋愛への自由がやってくる。

私たちがどのような異性が好きなのかを、本当の意味で私たちは知らない。異性への好みも知らずに、私たちはトラウマによる経験から選んでいるだけである。

私たちはツインレイへのこだわりを捨てたとき「誰を選んでもいい」のである。

そして、あなたが「誰を選ぶのかは自由」であるとき、ツインレイの相手も「誰を選ぶのかは自由」である。

自分に許可をするということは、誰かに許可を出すことでもある。ゆえに、ツインレイの相手へ選択権を与えることができるのか? もかなり重要になっていると思う。

選択権を与えているのは、ツインレイの相手なのではない。自分の異性人格へ与えているのだから。(しかし、ツインレイの相手に提供しなければならない。)

 

ツインレイ=男性人格の方程式が解除されると、私たちは「ツインレイの相手への本当のこだわり」を捨てていくことになる。

意識の段階で、ツインレイに対してのこだわりを意識的に手放すことが出来れば、無意識のなかでも手放しが可能になる。

つまり、意識がどれぐらい保つことが出来ているのか? はかなり重要ではないかと思っている。

また、ツインレイ=男性人格の方程式のトリックにハマっている人たちは、ほとんどが『意識がない』状態である。なぜならば、幻想のなかにハマり、眠り続けているからである。

これが『未覚醒』と言えるだろう。