カタストロフィー理論の『大破局』とツインレイの関係性

| Ⓒ なとり

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ツインレイステージまとめ

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さよなら、ツインレイ Kindle版
さよなら、ツインレイ

当時はこれでおしまいなんだ・・・。そんな風に思いながら書いた『さよならツインレイ』。結果的にさよならしたのは、神交法の相手であるツインレイの霊体だった件。今更振り返って読んでみると納得がいく一冊だが、当時はよくわかっていなかった。

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カタストロフィーとは『大破局』という意味である。その破局の構造をカタストロフィー理論という。

カタストロフィー理論(カタストロフィーりろん、カタストロフ理論、英: catastrophe theory)とは、生物の形態発生や言語の構造などのあらゆる現象のモデルとして、力学系を土台とした構造安定性とその不連続な分岐(これをカタストロフという)を用いることで普遍的な説明を行う理論を言う。

引用:カタストロフィー理論 – Wikipedia

なるほど、さっぱりわからない。哲学であれば少し考えたりすれば『わかる』まで到達できるけど、この数学的知性を言語化されたものは、数学をしっかり極めた人にしか出来ないんだろう。ツインレイの彼くんが恋しいよ。

理解とは基盤を理解した上にしか存在していない。

私なりに説明をしてみると、カタストロフィー理論とは、臨機応変に利用することできる大破局を起こす原理のすべてに適応し説明をつけることができる理論である——って感じかな。

 

つまりこのカタストロフィー理論では『ツインレイの大破局』をも説明づけることができるっていう素晴らしい理論なのである。

ツインレイとは不確かなあやふやで『不思議なもの』かもしれない。だけど、ツインレイは『現実的なもの』でしょ? だったら、理論は絶対的に存在している。そろそろ大詰めなのかなァ。

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ツインレイによるカタストロフィー理論

ツインレイによる大破局とは、私たちが入る『第二サイレント期間』のはじまりにある。

私たちはどうしてツインレイのふたりが離別したのかの理由を『サイレントの時期だから』として捉えているかもしれない。

だけど、私たちがどうしてツインレイのふたりが離別したのかの理由は絶対的に存在している。それが『大破局』であり、カタストロフィー理論が適応されるのである。

 

ツインレイのふたりは創造を目的に出会っている。

そして、そのふたりによる創造には今だ未熟さの残るままであり、創造は失敗に終わる。

人生においての私たちの経験は、ツインレイのふたりを大破局に導くのである。

 

ツインレイの大破局の原因のもとは『我慢』にある。そして、私たち自身の精神のなかに「反転」が生じることにある。

心理学的には最高の緊張状態(幸福など)から、いっきに下降し悲劇的な結末を迎える理論。ということになります。例えば、「愛と憎しみは表裏一体」とはよくいわれるように、愛が深ければ深いほど、強い憎しみに変わる可能性も高くなる訳です。このように、「愛」と「憎しみ」のような相反する感情が突然入れ替わることを、心理学の言葉では「カタストロフィー理論」と呼んでいます。

引用:カタストロフィー理論【メンタルヘルス用語集】~メンタルヘルス雑学~

カタストロフィー理論では『愛』『憎しみ』としての反転が起きているというが、私の場合も、同じように愛と憎しみによる人格が構築された。

愛による人格と、憎しみによる人格が分離しきり、その分離の為に『愛を貫く』ことになったのである。同じようにしてツインレイの相手を受け入れた分だけ自他の反転をも起こすようになる。(このとき、多くの反転をするのである)

私たちは、この愛と憎しみによる人格のうち、道徳的な愛の人格を自分の人格にしようと貫き生きている。

しかし、実際、私たちのなかに抑圧しながらも蓄積されている『憎しみの人格』が存在し、その人格が我慢の限界を迎えた途端に人格がひっくり返るのである。

 

ちなみに私の場合、ドロドロとした人格も私のなかで「固く閉じたトビラがバキッと開く音」と共にでてきた。そして、それを彼にぶつけたりなんかもしたが、とても理論的で、なんかこう・・・・・言っている意味が真理のようだった。

いわゆる人格がひっくり返ってしまうこと。これについては過去何度か記事にして書いてきたような気がする。

私たちは、自分のなかに存在しているカタストロフィーという大破局を起こすことになる。そこにある『憎しみ』を抑圧し続けているからこそ、私たちはツインレイの離別を迎えたのである。

ツインレイが持つ『憎しみ』と『愛』

ツインレイが持つ『憎しみ』と『愛』は、ツインレイといっしょにいる期間は『無理をした優しさという愛』による関係性であり、また、『優しさゆえに抑圧した自分が憎む』という構造をしている。

このときのキーワードは我慢である。

第二サイレント期間へ突入するとき、ツインレイたちのなかに存在している『抑圧され優先されなかった自分』が表出し、その表出により第二サイレント期間のゴングがなることになる。

愛するためには、私たちは我慢をしなければならなかった。それを究極にまで我慢し続け、自分を抑圧し続けた結果、私たちは大破局を迎え、ようやく『創造』をはじめていく。

 

この『我慢』だが、ツインレイのためにどれだけ自分が我慢をするのか——が倫理的実存的な思想にある。

どこかで「自分を優先しようとする」ようになると衝突も生まれる。

 

ツインレイの出会いは、ツインレイたちが持つ創造の練習のようにも感じられる。そして、ツインレイたちは憎しみを内包しない『愛』をも理解ていく段階に入っていく。

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ツインレイの憎しみと慈しみ

ツインレイの憎しみの量は、私たちが抑圧して隠したものである。

ツインレイの片方が「愛と憎しみ」の人格を経験しているとき、もう片方は「現実と想像」の人格を経験しているかもしれない。

どちらにしたって思ってた通りに現実がまるでうまくいかないがゆえに、人格の崩壊と現実の崩壊を起こすメカニズムにある。

 

ツインレイの憎しみの量は人生において抑圧した感情であり、抑圧した量が多ければ多いほど、私たちの人生は憎しみに支配されるようになる。

しかし、憎しみを抑圧したからこそ、私たちは『憎しみからの解放』がされるのである。

その憎しみからの解放が第二サイレント期間なのである。

 

第二サイレント期間、ツインレイは『憎しみ』を浄化し、向き合っていかなければならない。そして、その期間を創造に捧げるのである。

創造の為か、私は第二サイレント期間に入ってすぐにブログを立ち上げた。理由はわからないが私は書くしかなかった。

 

私たちは自分の本心に触れる必要性がある。ツインレイたちは自分の本心に気づかない状態のままとなっているため、カタストロフィーによる大破局では「自分の本心が駄々洩れる状態」とも言える。

それが『憎しみ』なのである。その憎しみを受け取り、私たちはツインレイを恨んでいる事実を受け入れなければならない。

その後に『愛』の意味を知るのである。

愛がそこにあり、その愛により創造が生まれていく。

カタストロフィーの創造では、大前提に私たちが大破局をする必要性があるのである。

 

創造とは『愛と憎しみ』による表裏により行うことはできない。ゆえに、憎しみを浄化し、憎しみを『なにか』に組み替えていく必要性がある。それが私は『慈しみ』ではないか——と思っている。

合わせて『慈愛』になる。

慈しむとは、大切にするという意味である。

私たちは、憎しみを生み出してはしまったが、それは『大切にしたかった』という気持ちである。人を大切にしたい気持ちが私たちのなかに存在する憎しみを浮き彫りにさせたのである。それが真なのかなと思っている。

これを自己統合とも呼ばれているような気がする。

カタストロフィーの創造では

カタストロフィーでは大破局を迎えるが、これを『破壊』とする。私は、愛の裏側には破壊しか存在していなかった——と言葉にしているが、愛とは今の現状を維持することに他ならなかった。

今の現状を維持し続けても仕方ないのに、我慢をし続けることしか私たちは知らなかった。

私たちは創造ではなく、我慢を選択し、創造することを知らなかった子供なのである。

 

私たちは、小規模なりとも破壊していくことにより、次に創造を生み出すこになる。しかし、破壊とは心地よいものではない。破壊するまえに創造すればよかったのである。

それができなかったのは、私たちの弱さと経験のなさとも言えるんだろう。

カタストロフィーの創造の段階では、もう戻れないところにまできてしまっている段階となっているために破壊するのである。

どうして戻れないところにまできてしまったのか——。それは、私たちの心の傷の問題である。

その憎しみのすべてを浮き彫りにすることは、私たちの心の傷がそこにあるためにある。

つまり、ツインレイたちは大破局を迎えなければならないのである。そこに私たちの心が傷ついているのであれば、大破局は必然であり、サイレント期間も必然的に訪れる。

 

まずは自分の心の中にある憎しみへの癒し。次に憎しみではない慈しみを持つとき、私たちは創造へと到達する。

あのとき、どのようにしたかったのか——を思い出すのである。

 

それは自ずと言葉にされ、出会いの段階で語り合っている。その心のまま『今』があることを理解している。

私たちはずっと創造し続けてきたのである。その事実にも気づくときがくる。

私たちは大破局をも含み、創造したのである。ふたりがふたりして『一番良い形』に着地できるように、出会いの段階から、サイレント期間、そして、最後の再会にいたるまで——。すべてを『当初』に創造している。

 

つまり、カタストロフィーの大破局。これも、ツインレイの当初の出会いの段階で「決めたこと」である。それが私たちにとって必要なことだと理解したからである。

出会いの段階で「何を語ったのか」「何を話したのか」そのほとんどを忘れていってしまうけど、終わりごろには少しずつ思い出すようになる。終わったあとに気づくのかな・・・・。

ツインレイは結ばれるために、すべてを決めている。

出会いの段階でツインレイたちは創造している。

すべてを創造しているのである。