チャクラとセフィロトの樹(2)人体への適応図と現実創造とゲートが開く

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さよなら、ツインレイ Kindle版
さよなら、ツインレイ

当時はこれでおしまいなんだ・・・。そんな風に思いながら書いた『さよならツインレイ』。結果的にさよならしたのは、神交法の相手であるツインレイの霊体だった件。今更振り返って読んでみると納得がいく一冊だが、当時はよくわかっていなかった。

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前回の続き。ようやく、人体に適応したセフィロトの図が完成した・・・・!

セフィロトの樹のみチャクラの部位追加
図の説明:セフィロトの樹のみ
図の説明:チャクラの部位追加

こんな感じで、セフィロトの樹が人体に適応している。

とすると——だが。

男性性と女性性は、男性性が女性性のなかに内包されること。これは、母体に還ること。これが『第二チャクラ』を意味する。

意識と無意識の結合により、『第四チャクラ』による魂が浮き彫りになる。ここにある、それが『愛』であり『魂』である。心を常に受け取っているのが魂。

隠されたダアト。これは、位置的に調べてみて脳幹とか小脳を意味するのかな? と思った。ダアトは『アビス(地獄)』とも呼ばれるし、『叡智』とも呼ばれる。

爬虫類脳のことかな? と。

爬虫類脳は『反射脳』で、生命維持的な本能を意味する。カマキリみたいなもんかもしれない、食べたい時に食べ、寝たいときに寝て、呼吸したり、心臓がドキドキしたりとか、意識的に行われることではない人が持つ反射的に行っている部分。

この部分が地獄となるのか、はたまた叡智となるのか。その違いがあるのかな? と感じた。いわば、爬虫類脳がバグってると地獄と化し、爬虫類脳が正常に働いているときは叡智となるのかな・・・・・・と。

私もまた、無意識さんとお話しながらレイキを当てているのだが、無意識さんが「ここだよ」と教えてくれる体の部位なども、もしかしたら小脳からの働きかけで痛みを伝えてくれているのかもしれない。

あと、無意識への問いかけに『反射』をつかったりもするんだけれど、その反射が管轄している部分はここだと思われる。つまり、嫌だと緊張が走る感じで問いかけをしていく感じ。身体が過敏に筋肉に反応を示すとき、それは『ダメ』とか『イヤ』とか判断するんだが、それが爬虫類脳なのかもしれないな、と。

そして、このダアトは隠されているとのことだが、小脳のなかに『すべて』が仕舞われているのかな? と思った。こう・・・・・、前世の記憶とかは基本的に恐怖を覚えることをトリガーとして引き出される。他にも色々な情報としての『前もってのもの』があるんだが、それらはすべてこの小脳の部分にまとまって入っているのかもしれないなと思った。

ダアトを『松果体』と呼んでもよかったんだけれど、松果体も、一応は爬虫類脳の一部に入るのかなと思う。

理解→峻厳、理解→慈悲
知恵→峻厳、智恵→慈悲

というカタチで、本来、私たちは、理解や知恵を通して『厳しくすること』『苦しみへの共感』をすることになるんだが、ここから憶測するに、私たちは他者に本当の意味で厳しくするとき、ダアトが開く。同じく、他者の苦しみに深く共感するとき、ダアトが開く。

私もこれはちょっと自覚があるんだが、その場で理解していること、その場で過去から生み出される智恵から導き出されること。そこから、人にやっぱり厳しく「いけんもんはいけん」と伝えることがある。そのときに呼び起こされる地獄(ダアト)がある。同じように、現時点の理解、過去の智恵から、人への苦しみへの共感を示すときも同じ。私のなかに存在する地獄を体感する。

ゆえに、私はこのたびに指先がプルプル震えて、身体がガタガタ震えるという、反射神経が過剰に反応することがあったんだと思う。怖いっていう感情は後からやってくる、その前に指先が震えている。恐怖は哺乳類脳だから別分野なんだよな。

逆算して、峻厳や慈悲から理解や知恵へ導かれるときも、同じようにダアトが開くのだと思われる。

隠されたダアトが浮き彫りになるたびに、私たちは『叡智』を手に取るようになる。地獄の下に存在しているものが叡智だから。

中心の赤丸喉の茶丸
図の説明:
図の説明:

個人的にこの部分がすごく気になってて、左図の通り、ふたつのヘキサグラムの接点に、中心にはマルクト(王国)がやってくるという構造が、私のなかでは正確なのではないか——と思っていて。

全くもって人体とは別の感じになってしまう。人体に適応させると、地が喉にあるって感じなんだ。汗

でも、私は、峻厳、叡智、慈悲、美の中心部分に『王国』があると思っていて、それが楽園と呼ばれるものではないか——と思っている。

そして、私が度々「ゲートが開く」と言葉にすることがあるんだが、そのゲートはこのマルクト(王国)ではないかと思っている。つまり、楽園への扉が開く。

 

私が彼ののどぼとけが嚙みたくて堪らないって話は書いたことがないと思うんだが、私は最初から、彼の喉を狙っていた。狙っていたっていうか、ものすごく気になっていた。

このゲートが開くことは、私のなかでは大きな変化であり、新しい世界への扉が開くことなのだと思う。

未だに私は『声』を出したことがないのも、同じ意味ではないか——と思っている。

この図の通り、私たちはチャクラを持っていて、意識と無意識に分離している第四チャクラが存在している。前面と背面にチャクラがある状態である。しかし、別次元では、私たちの第四チャクラは『ひとつ』であり、それを『美』としたのがセフィラであり、私は『魂』とか『霊』とかの言葉を使っている。

つまり、魂の声をだすには、このダアトを開かねばならないのではないか——と思うんだ。

喉の閉そく感が長くあるんだが、タブン、魂の声を出すには、このダアトの解放が必要であり、そのためには『叡智』『峻厳』『慈悲』『美』のセフィラが揃う必要性が合ったのではないかということ。

最終的に四つのセフィラが揃い、安定する必要性がある。

私たちのなかには、ふたつの肉体があり、従来の背面と前面のチャクラにより生み出されし、肉体が存在しているように、エネルギー体である霊体である私たち自身にもチャクラが存在し、そのチャクラの構造が『セフィロトの樹』ではないのだろうか。

生命の樹(せいめいのき、英語: Tree of Life)は、旧約聖書の創世記(2章9節以降)にエデンの園の中央に植えられた木。命の木とも訳される。生命の樹の実を食べると、永遠の命を得るとされる。

旧約聖書において神がアダムとエバをエデンの園から追放した理由は、知恵の樹の実を食べた人間が、生命の樹の実までも食べて永遠に生きる事がないようにするためであったとされる[3]。

引用:生命の樹 (旧約聖書) – Wikipedia

セフィロトの樹は『永遠の命を得る』とされているが、永遠の命とは、霊体の私たちなのかな、と。そして、その霊体の私たちは、今の人体に収められている。

人体が『智恵の樹の実』により構成されたもの。
霊体が『セフィロトの樹の実』により構成されたもの。

だとしたならば、納得ができる。

霊体の私たちは両性具有であり、性別など存在していない。

霊体の私たちには意識も無意識もない。どちらも『霊』とか『美』というひとつのまとまった意識である。

また、他にも色々とセフィラがあるが、それぞれクリフォトの樹により影が生じ、影により、私たちはより一層個体化されているように感じられる。

 

彼と出会った当初、本能で話すかのような感覚があった。勝手にしゃべっているのだ。

あのときの私たちはゲートが開いていたのではないだろうか。そして、魂が語っていた。

私たちのセフィロトの樹により構成されている霊体により語り合っていたような気がする。

その『霊』が何を思い出せるのかは、叡智にある。それは爬虫類脳のなかに存在している、本能である。そのなかに私たちの記憶が眠っている気がする。ゲートを開けば、思い出せるんだと思う。

そして、そのためには峻厳と慈悲であり、ほかのセフィラたちが語るものもヘキサグラムとして構成させる必要性がある。

最終的に、ヘキサグラムが二つ揃うことは、これは「4次元」を意味している。それが赤丸の図である。中央に、赤い点をつけた部分を起点に、もうひとつの次元を上げるとき、私たちは『霊体の世界・5次元』へとアクセスすることになる。

 

チャクラで表すとき、ゲートは『地』である足の裏のチャクラ『0チャクラ』にあたるが、これは人体における視点である。

霊体における視点では、ゲートは『喉』にある第五チャクラにあるのではないだろうか。これは霊体における視点である。

喉のチャクラは『創造』を意味している。

私たちは、私たちの楽園を現実創造しようとしているのではないかと思わざるを得ない。