アダムの創造(ツインレイ、創造主になろうよ企画②)
『アダムの創造』という絵を御存じだろうか。
最初の人類となるアダムへ神が息を吹き込むシーンである。
アダムは、神により創造され、その神により『生命』を吹き込まれることにより生きている。
つまり、神が生命を吹き込む——、何度も書かんでもおよろしいのだが、この部分がとても重要となる。
私が視たツインレイの起源。
それは、ひとつの魂が大きく、もうひとつの魂は目も開かぬままの小さな子であった。私はその子だったときの記憶もあるが、その後、もうひとつの大きな私となって彼を抱いていた。
私と彼のへその緒が切れ、彼は未熟なまま闇の中へ落ちていった。
(この記事も再び書き直さないといけないんだろうなァ、、)
そして、そのとき、私は『意識』を持っていたが、もしかしたら彼には『意識』がなかったのかもしれない。
それは『生命』である。生命とは、心のことかもしれない——。
ミケランジェロ、良い仕事するじゃねえか。
ツインレイ男性とアダムの創造
『アダムの創造』の神が描かれた部分は大脳表面の脳溝、さらに脳幹、前頭葉、頭蓋底動脈、脳下垂体、視交叉と一致すると結論付けられた。
メッシュバーガーはほかにも、アダムと神の腕はシナプスを介したニューロンの生化学的情報伝達を意味するとしている。
神は脳の中心である感情を司る大脳辺縁系を意味し、おそらくは人間の魂を表現している。
そして伸ばされた神の右腕は、人間の脳でもっとも創造性に富み、もっとも重要な部位である前頭前皮質を表しているとしている。
引用:アダムの創造 – Wikipedia
つまり、創造となる根源の神は『脳』にある。
そして、創造主となる神とアダムが繋がる腕をシナプスの連結を意味しているという。
シナプスとシナプスの連結、それはひらめきであり、脳に落ちるほどの強い衝撃という雷。
この新しい脳の回路が発生するときの勢いがものすごいでかいものだったとき、私たちは「卒倒」するわけだ。脳がはじけて驚き、またそれが『ひらめき』へと繋がっている。
ううん、もどかしい。言葉を連ねよう。
私は創造主であった。そして、彼はアダムという人だった。
その記憶を持ち、その記憶を授かっているツインレイが私なのである。
ツインレイとしての片割れは未熟として生まれ『生命力』は持っているのかもしれない。おかげで彼は今日も生きているだろう。
しかし、ツインレイの片割れである彼は『心』は持っていない可能性がある。時代である。
私たちは今までの時代のなか、多くの争いをテーマとした時代にあった。
その時代に『心』を男性は必要としていなかった。
男性は精神的に弱く繊細だと言う。そもそも、ないものを重要視すれば繊細なのかもしれない。なんなら、私は父へと同期しても、父のなかに『心』を感じることはない。それこそ、戦士のような人だと思った。
この日本においても、縄文時代にも稲をいかに保有するのかの争いを始め、男たちは戦った。戦国時代にだって多くの戦争が起こった。朝鮮へも攻め込もうともするが諦めた。ちょっと違った。
私たちの魚座時代では『宗教』と共に『血肉の争い』はセットだったのである。
しかし、その時代は終わった。これからは『精神の争い』の時代に入る。
生命があればいいってもんじゃない、心が無ければ戦えないのである。そんな時代に入ったのである。
このアダムの創造では『伸ばされた神の右腕は、人間の脳でもっとも創造性に富み、もっとも重要な部位である前頭前皮質を表している』と書かれている。
私がよく「人たらしめている前頭前野」とか「前頭葉」とか言っている。これは理性などを司る思考の司令塔でもあり、抑制力でもある。前頭前皮質とは、前頭葉の前側にある。なるほど。
つまり自己抑制能力は創造性に繋がっている。この創造性がアダムというツインレイ男性の『心』を構築していることに繋がっていく。
『神は脳の中心である感情を司る大脳辺縁系を意味し、おそらくは人間の魂を表現』として書かれており、ツインレイ男性はツインレイ女性の創造性に反応するんじゃないか——と考えられる。
そして、その創造性にシンクロするようにしてツインレイ男性のシナプスによる連結が働き、ツインレイ男性へ心を与え続けることにある。
だからこそ、ツインレイ男性はツインレイ女性の『心からの創造』を切望しているんじゃないだろうか。
ツインレイ女性とアダムの創造による『神』
神のまわりに浮かぶ赤い布は子宮を意味しているという説があり、美術史家の中にはこの布を「子宮のマント (uterine mantle )」 と呼んでいるものもいる。
そして、下部に垂れ下がる緑の帯は切断されたばかりのへその緒であるとする。
「人類の創造を描いたこの作品が、実際の人間の誕生を表現しているという説は興味深い。
母体から生まれたわけではないアダムに、なぜかへそが描かれていることの説明にもなる。」
ツインレイ女性は『神』という存在にまでなる必要性があった。
ツインレイ男性へ『心』を与えなければならない。
また、この構図だが、私自身が知っている知識と酷似する。私とツインレイの魂の別れである。
私は、彼へ再び与えたいのである。それはもう切望している、心を与え、心を満たしてあげたいのである。
心が無ければ、涙を流すことも出来ない。辛いことに『辛い』と思うことも出来ない。
そもそも『想う』ことができないのである、感じることができない。
私は心を産み落とすことをこのように言葉にしている。
ねぇ愛してよ。
今度は、存在を愛する創造の子を産むからさ、
愛されたいと願っている女の性を愛してよ。一人目は、あなたの傷を癒してくれる優しい子。
二人目は、あなたの存在を愛してくれる創造の子。
だから今度は愛してよ。
最後に、あなたの心を産み落とすために。
あなたがあなただけになれるように、私は産むから。
愛しているから愛されたいと乞う、
そんな女の性を愛してほしい。守られて子を育みたいと思う、
女の依存を許してほしい。だって愛しているんだ。
あなたに与えたいんだ、あなたに心を。
正直なところ、私も書いてて「何言ってんだろう?」って思ってた。
なんとなく心から湧き上がってくる言葉をつらつらと書いていることはよくある。その言葉のひとつがこれである。
私は神であった。彼の母でもある。私は彼に『創造として産み落とす』ことで、心を彼に差し出そうとしていたのである。
私は神のようにアダムを愛することで、彼に心を吹き込むことができる。これは神に行うことができない所業である。
神は「人と同じように感じる」ことは出来る。そして「人に生命を与える」ことも出来る。
しかし、神であるお父ちゃんは「人と同じように感じることはできるが、個人的に何かを想うことはない」のである。
個人的に何かを想うことはない状態になることで『アダムへ与える』ことが出来る。(全)
しかし、個人的に何かを感じ、想わなければ『何を与えるのか』が判断されない。(一)
ゆえに、私は個人的に感じなければならない。何かを、そう、何かを感じ、何かを想い、何かを実感しなければならない。
それは『私を感じること』である。そして、感じたことを『創造』しなければならない。
そして、これは私に向けられたものでもある。
私は私のなかに存在する『アダム』という『アニムス』に心を与えたいのである。
私のなかにいるアニムスの傷を癒してくれる優しい子。
私のなかにいるアニムスの存在を愛してくれる創造の子。
そして、最後にはアニムスそのものの『心』を産み落とす。
ツインレイ女性が優しいこと
まずはツインレイ男性と出会い『傷を癒す子』を創造する。
ツインレイ女性は、ツインレイ男性を丸ごと受け入れるほどの優しさがある。その傷を想うだろう、その傷を抱き、その傷を丸ごと受け入れるだろう。
それが『癒しの子』である。ツインレイ女性はツインレイ男性を丸ごと受け入れ、丸ごと優しく接することは、ツインレイ男性が「人を癒す心」を手に入れる経緯にある。
しかし、ツインレイ女性の優しさは『愛』ではない。優しさとは偽善である。その偽善は、私たちのなかに悪を産んだ。
ツインレイ男性といっしょに過ごす時間、私たちは自らを偽善者とし偽善者となるがゆえに、悪心を抱くのである。
その悪は、ツインレイ女性たちへ多くの闇を呼び寄せるだろう。しかし、それこそがツインレイ女性がツインレイ男性に優しくありたい女性ゆえの心だったように思う。
しかし、その愛は裏側に破壊を孕む。偽善は悪により破壊される。その破壊を受け入れ、私たちは第二サイレント期間へ突入する。
ツインレイ女性の愛とは
ツインレイ女性の愛とは創造性にある。確実に前頭葉の前のほうにある『前頭前皮質』である。
創造しなければならない、私たちは『愛による創造』をし、その愛によるカタチを具現していかなければならない。
愛していると声だけじゃない、文字で、表現で、その感覚で。その創造性すべてで愛していると囁くことなのではないだろうか。
誰も傷つかない、誰も傷つけないからこそ、私たちは創造する。創造とは『愛』である。誰も傷つけたくないからこそ私たちは創造し、具現化させる。そのカタチがきっとツインレイ男性の心を癒すのかもしれない。
必要のないもののところにしか『愛』は生まれない。
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クロの目が覚めた気がする。
ツインレイの『アダムの創造』の結論
私は失敗したのである。
私は彼へ『偽善』を与えたのである。それは『優しさ』である。もちろん、その裏側には『悪意』が生まれる。
私は、失敗したのである。
アダムの想像を失敗した、ゆえに私は『悪意』を孕んだ。
そして、私の失敗は彼の心の傷を癒し、私の心の傷を癒したことだろう。
だから私は、自分のなかに『悪意』を認識したとき「失敗、失敗♪」と小躍りしながら「仕切りなおしてもう一回♪」と言葉にしたのである。
ツインレイのなかに『心の傷』があればあるだけ、私たちは失敗をする。その心の傷の為に、私たちは偽善と悪意のふたつへと分離する。
この経緯が無ければ、私たちは心を癒すことはできないだろう。
私たちは失敗という成功をしただけ。
そして、次だ。もう一回やってみよう。失敗したなら、もう一回やってみよう。
今度こそ、愛による交わりをしよう。
優しいことが愛じゃない。それは悪意を産み、私たちは優しさゆえの分離を起こした。
私たちは優しかった、優しかった。とてつもなく優しかったよ。
だけど、もし、優しさに触れて心の傷が癒え心に愛が満たされているのであれば、私たちは再び惹きあい今度は愛に落ちることができるから、もう一度、出会おう。
私は彼を泣かせてあげたかった。涙を与えたかった。
だから私は偽善者となった、たくさんの嘘を吐いた。あなたに与えたい優しさがあった。犠牲でもよかった。
悲しみが育てば、慈しむ心になるよ。
私が与えたいもの。
始まりは『涙』。涙は『慈しむ心』になった。人を大切にする力。
次は『創造』。創造は『生み出す心』である。人に与える心。
産み落とすのは、アダムであり、アニムスであり、ツインレイ男性である『あなたの心』である。
だから愛してほしい、慈しんでほしい。私は多くの愛を産み落とすから。
アニムスが慈しんだ分だけ、アニマは創造的になる。アニマが創造したものはアニムスの心になる。
この循環が愛なのである、今度は受け取ってほしい。あなたに大切にされた分だけ、私はそれを創造の糧にするから。
自己浄化のために創造しよう。
自己破壊じゃない。
自己浄化し、そして自分を『創造』していこう。