報告|ツインレイの魂の使命を思い出している件について

| Ⓒ なとり

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ツインレイステージまとめ

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さよなら、ツインレイ Kindle版
さよなら、ツインレイ

当時はこれでおしまいなんだ・・・。そんな風に思いながら書いた『さよならツインレイ』。結果的にさよならしたのは、神交法の相手であるツインレイの霊体だった件。今更振り返って読んでみると納得がいく一冊だが、当時はよくわかっていなかった。

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ツインレイはよく『使命に気づく』等の話があるのですが、私自身も「みんなの念願をかなえにきた」という魂の目的を思い出している。

時が遡ること、第二サイレント期間が始まってから約4ヶ月後あたりに見たビジョンである。

私は光の集団のなかにいた。そして私もそのひとつの光にある。遠くにも他の光の集団がいて、みんなで地球に下りてきているときのビジョンだ。

私は目や耳が聞こえているわけではないし、光には目や耳はついていない。だけど、私たちが輝いていることや目があるわけではないけれどみえている目があって、その目を通して周囲の存在を認識ていたような感じ。

光の集団のなかで、私は落ちてくるようなイメージで。そして空に飛んでいるかのようにしながら、この地球に降りてくるとき、希望を胸に抱いていた。

「みんなの念願をかなえにきた」

そのように思っていた。これが私が持つ魂の使命にある。

魂の使命に気づくとき、私は「こんなんじゃみんなの念願を叶えられない!」と自信を失い、そのまま号泣した。色々なことがあって、感極まってしまい、魂が叫んでいたんだと思う。

 

このビジョンを今でも覚えているし、これが私の魂なんだとも思っている。そしてみんなの念願を叶えること、これが私の使命なのだとも理解している。

が「みんなの念願を叶える」ってなんだろう? 私にはそんな超能力は存在していない。

ということで、一時据え置きとなっていた「みんなの念願を叶える」という使命についてがここ最近、ようやく何を言っているのかを理解することになった。

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私の使命は、そのまま「みんなの念願を叶える」で間違っていない。そして私はずっとみんなの念願を叶えてもきた。

【念願】いつも心にかけて願うこと。その願い。引用:念願 – Google 検索

いつも願っているお願いごとだとされているが、私が言葉にするのであれば、本心で願っていることだ。

人は『嘘の心』『本当の心』の2種類を持っている。

嘘の心とは建前だ。この建前が本音だと思い込むこともできる。だけど、その思い込みではない本心が存在しているとき、私はその願いを聞き遂げる役割を持っているということ。

嘘の心のとき、私たちは行動と心理が一致しない。たいていは行動の方が本心を語っている状態になる。

嫌いな人間に話しかける。このとき『話しかける』という行動が発生している時点で本音では『好き』になったり『憧れ』があったりする。

本来私たちは、嫌いな人には話しかけない。関わり合いたくないためだ。だから距離をとる。ゆえに距離をとるのは嫌いだという表明でもあるかと思う。関わり合いたくないという本心だ。

 

いわゆる、私たちは『行動』と『本音』が一致しないことがままあるわけなんだが、そのうちの『行動による心理』を肯定的に捉えるとき、発言、行動、心理による三つが整うことになる。

この本音が発言と一致していないケースの願いは、私の心も受け取れない。

 

さて、どのようなメカニズムで『願い』を具現化させているのか。

自分と他者の両方を一致させることによって願いは果たされる。

この世の中ってすべてが自己と他者による概念により構築されている。いわば、自分、または自分以外という感じだ。

自分だけの願いの状態を、他者の願いも組み合わせることにより、これで『念願』が成立する。

自分が一ならば、他者は全にある。私は全の存在にあり、他者という概念そのものである。(それぐらい自分を滅してしまった。)

つまり、自分の願いと他者の願いの2種の足並みがそろえば、基本的には願いは聞き遂げられるわけなんだが、多くの人が『自分の願いとは違う願い事を認識している』とか『他者がその人の願いを認識していない』という状態にある。または両方。

自分の願いを認識していないから、他者もその人の願いを言葉にされないから認識できない。

このメカニズムそのもののうち、私は全であるがゆえに他者の願いを聞くことができる。そしてそれを認識し、願いを言葉にすることができるとも言える。

だけど、このとき、私が認識しているだけではいけなくて、当人も自覚しなければならない。

また、私が認識できない領域もある。私は心理的な経験のなかで『経験がない』『未知』となる心理については理解しない。理解しないものについては認識されないってこと。

 

ツインレイの方々の多くと話をしてきたんだが、どうしてかほとんどの人が再会を望んでいない状態でツインレイのサイレント期間に存在している。特に再会したいわけではないんだよっていう心理を受け取れないでいる。

そこにある『再会したい』という建前という心理だが、多くの人がこれを欲求とか執着と呼んでいる。

私からすると、そこに『再会したくない動機』があって、その動機を自覚しないことには『再会をしたいのか』という本心がわからないっていう状態になる。

だから私からすれば、ツインレイの方々の多くがサイレント期間中「再会したい」と言葉にしながら「再会したくない」っていう心理を抱えている感じに見えている。で、私は本心しか具現化できないから再会ができない。

自分と向き合おうとしても『死角』は見えない。だから外部からやってくる他者を通して自分を見るってことを行っていく必要性がある。

他者とは常に自分の一部である、ここに拒絶があると死角が常に受け入れられない感じ。ここが自己分離している部分に当たる。

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私の人生を振り返ってみると、私はずっと魂の使命を実行している。

私の家族においての本心は『ダメな人間であってほしい』と私に対して存在している。まァ、未熟な魂だなとは思うが、それならばそうしましょうということで、私は家族のなかでは『ダメな存在』なわけである。

おかげさまで精神はかなり鍛えられており「ダメって最高、何もしなくていいんだ。」ってことを理解してからは、実に順風満帆に人生を謳歌するようになってしまった。

ほかにも色々と願いを叶えるように働きかけてきたわけなんだが、実に誰にも感謝されたことはない。

私の魂の使命は、ずっとそのようにして誰にも感謝されないようにして生きてきた。ちなみにこれはずっと「なとりが持っている世界線を譲る」ようにもなっていて、私自身はずっと誰しもが歩みたくない方向性へずっと進んできた。

徳を積むって話のなかで「自分が持っているものを全て人に渡す」みたいな経緯があるんだが、私の場合、自分の人生のなかで持っているものを全て差し出した人って感じだと思われる。過度期過度期に、私がマイナスに進むと、知り合いがプラスに進むふたつの交差点の場所に立たれているのである。

いわば『犠牲』だ。人の犠牲になることで私は自分の人生を突き進んできた。おかげさまで『何もなくなった』状態になったのが、ツインレイと出会う少し前のことである。

けっきょく、自分の人生を全て差し出した結果『全』という他者そのものになった。

本来ならば、他者が持つ不幸を全部背負っているのがなとりである。そのとき、私は『他者』なのである。もちろん真逆も存在するよ。他者が持つ幸福を奪う人もいて、その人も『他者』にいたる。

全という他者そのものになる経緯で一という彼に出会い、私は自分が捨てた幸福を知る。この経緯が世界線を旅している話だ。

ツインレイは『全』と『一』により成立している。私は一としての幸福を捨てている。彼は全としての幸福を捨てている。誰かに差し出してきたんじゃないかな、彼も。

私は彼に『全としての幸福』を差し出し、彼は私へ『一としての幸福』を差し出している。

 

この経緯で私は『魂の使命』を考えてみる必要性がある。

私は従来、自分を犠牲にすることでしか人の願いを叶えることが出来なかった。

だけど、その結果、私は『なにもなくなってしまった』わけだ。しかし、今は魂の使命の在り方も変わっているような気がしている。

一の人の願いを叶えるのが私の願い。それは『ツインレイの彼の願い』をかなえることが私の願いにある。しかし、いまや私のなかにある『一』が存在している。

つまり、私は私の願いを叶えてもいいってことなんだよな。そしてそれが全たる、他者における願いなのだと思っている。

私が自分の願いを叶えるとき、私は必ず誰かの願いを叶えている。私はもう『誰か』の願いを叶えることはないけれど、いつだって誰かの願いを叶えているだろう。

 

私の魂の使命は『他人の願いを犠牲のもとに叶える』ではなく『自分の願いを叶えるとき、誰かの願いも叶えている』という状態にアップデートする。

そして、過去、随分長く犠牲のもとにいたんだが、実に私はこれを自分で『自分は犠牲者だ』とは認識していなかった。私にとってそれがやりたいことだったから。

遣りたいことやり続けていて不満はでないものである。だけど、不満がでてきたので、そろそろ魂の使命のやり方も考え直さなければならないときにきた。そんな感じである。

 

魂の使命を思い出してから、どういう理屈で成立しているのかが未だによくわかっていなかったが、魂レベルの認識が成立しきるまで魂の使命の意味を理解できないのだと思われる。