ふれがまわるよ、ひれもふれるよ
お触れがまわるよ、三十二人にお触れがまわるよ。龍のお触れがいくよ。お手紙が届くよ。縁結びだよ。
旧暦八月八日から、先ずはお触れを飛ばすよ。いい知らせがくるよ、まっててね。
いっしょにひれもふれるよ。ばいばいする人いるよ。
尾ひれがついた人いるよ。おさかなさん?
怖い怖いの見通し怖くない人たち、尾ひれがついた。
こっちはスカだよ、中身はない真っ白の布が尾ひれだよ。
最初は三百人、次は百人、その次に三十人、その次に五十人に増えては三十二人に落ち着いた。
できないことできるといった人もいる。
やってもないのにやったいった人もいる。
わかっていないのにわかっているといった人もいる。
経験ないこと経験あるいった人もいる。
とにもかくにも、自分の人生に嘘を吐いた人にはひれがふれるよ。なかみがない真っ白の布でばいばいするよ。
みんなお願いごとあった。こっちはお願いごとは叶わない。その人生を言葉にしたとき、嘘があるのであれば叶えられない。
だから「お願いごと」は全部スカになる。尾ひれがついて真っ白の布になった。
お触れがまわる人、嘘つかなかった。
ひれがふれる人、触れが回る人の違いはたったひとつ。
「他人」をよく見ているか。
自分ばかりをみて、人をみない。
この人を見よ。そのとき見透かされていると思うとき、あなたは嘘がつけない。
だけど、この人を見たとき、見透かされていると理解しないならば、あなたは嘘を吐く。
何が違うのか、この人を見なかった。人を見なかった。
自分ばかりの独り善がりの答えに中身はなし。ゆえに返答はひれが触れてのスカである。
人にバレない心と思っているけれど、餓鬼の入った心こそ知れるもの。
恐怖を感じるときの心こそ、鬼の心のひとつ。
自分のなかに鬼の心があれば、こそこそ隠れたい気持ちになるよ。その人から離れたい気持ちになる。
自分のなかに鬼の心があれば、疑心暗鬼の疑う心も生まれるよ。
そこにある鬼の心を持って「魔」とするよ。
あなたのなかにある恐怖はいつだって鬼の心だよ。
鬼は「こわい、こわい」の鬼だよ。でも、鬼が怖がっているから、鬼は「こわい、こわい」なんだよ。
あなたのなかの鬼が怖がっているとき、その恐怖を感じているそれその心が鬼だよ。
恐怖があるとき、討伐するよ。成敗!
勇気ひとつだよ、エイッて乗り越える勇気ひとつがあるだけで、あなたは恐怖を乗り越えることが出来るよ。
恐怖があるほうへ進むよ。恐怖を乗り越えるよ。
こわい、こわいの心を乗り越えて、信頼を手に取るよ。
怖い、恐いじゃないよ、畏いだよ。
怖い人と恐い人は、畏いがないよ。
人が怖い、人が恐いの人は、畏いがあるよ。
人を尊重する人、自分のなかに恐怖があるよ。それが畏いだよ。
人を尊重しない人、自分のなかに畏いがないよ。だから周囲の人から怖い、恐いと呼ばれるよ。
触れが回る人、畏いがあるよ。ひれがふれる人、恐いがあるよ。
同じことだけれど、全然違うんだ。
神をみたとき畏いがでてくるよ。自分のなかに鬼がいるからだよ。
だからエイッて鬼退治をするよ。勇気だけが必要だよ。
お触れが回る人、まだまだ勇気が必要だよ。
お触れ・・・公文書のこと。
おひれがつく・・・事実以上に種々のことが付け加わる。実際以上に話を大げさにする。
畏い・・・深い敬意や恐怖を感じ、心から尊敬するという意味を持つ言葉である。
スカ・・・期待はずれの目にあう。 あてをはずされる。 肩すかしを食わされる。 裏をかかれる。
お触れはまわるよ、くるくると。めぐるよ。
尾ひれは触れるよ、ゆらゆらと。気が触れるよ。気触れるよ、かぶれるよ。
尾ひれは思想かぶれになっているよ。自分がないよ、実体ないよ。中身がないよ。だから「スカ」だよ。最後は気が触れるよ。
お肌荒れてかぶれたら心からごめんなさいするよ。尾ひれをつけたことがあるから。己に偽りがあるから。
心にごめんなさいをする、それだけでいいよ。
なとちゃも今、背中にかいかいある。ごめんなさいできるよ。
ごめんなさい(´・ω・`)・・・・
お触れの人が尾ひれを掴もうとすると期待外れに合うよ、スカだよ。スカで悲しい思いをするよ、経験が大事。
尾ひれの人がお触れの人を掴もうとすると恐れに合うよ、パンチだよ。お触れの人はゆらゆら尾ひれの中身なしにもパンチができるよ。シュッシュ!
今までは暖簾に腕押しだったよ、これからは違うよ。
お触れの人とお触れの人は仲良しになれるよ。信頼ができるよ。だから恐れはいらないはずだよ、鬼はいらないよ。
尾ひれの人と尾ひれの人は仲良しになれるよ。ひとつの群れをつくって軍団になる。だけど、中身はスッカラカンの実体がないから幽霊の集まりだよ。何もないから意味もないよ。
ばいばい。