ツインレイの洗脳から抜け出すことが覚醒なのか。

2024-05-16

| Ⓒ なとり

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ツインレイステージまとめ

私のステージが進むごとに更新していくステージをひとつの記事にして販売しています。


さよなら、ツインレイ Kindle版
さよなら、ツインレイ

当時はこれでおしまいなんだ・・・。そんな風に思いながら書いた『さよならツインレイ』。結果的にさよならしたのは、神交法の相手であるツインレイの霊体だった件。今更振り返って読んでみると納得がいく一冊だが、当時はよくわかっていなかった。

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月とは「惑わす」とか「洗脳」とかの意味合いが強いのだと知り、なんとなく女性は「人を惑わす」「人を洗脳する」という力があるのだなと思った。

なんだこれ? と思う違和感の力があった。自分のことしか考えていない人ほど、人を洗脳して支配しているような雰囲気があった。

なるほどなとちょっと理解した。

月の力は「洗脳」というような、誰かを惑わし、自分の欲求を答える道具のように仕上げることができる瞬間がある。

だけど、あるとき、洗脳がとける瞬間がある。なるほどな、と。代わりに洗脳がとけたあとの報いを受けるとも言えるが。なにも残らない。

 

月ってなんだろう? と思う。

本当に、惑わしたり、洗脳したりすることなのだろうか。

なんかもっとクリエイティブな存在なのかなと思っている。

創造性のなか、私たちは人を物語のなかに引き込むような力を持っているのが月なんじゃないかなと思いたい。

でも、これって、洗脳にも善い洗脳と、悪い洗脳があるように、教祖さまの実力にも左右されるんじゃないかと思った。

 

月の引力は確かに洗脳にあるけれど、その洗脳を受けたときの心地よい洗脳もあれば、自分の心が汚れていくような洗脳もある。

ただ、これだと善悪二元論に過ぎない。

洗脳がない状態はない。簡単に言えば、私たちは記憶の中のデータを何度も繰り返しているに過ぎないのだから、これはひとつの洗脳にある。

だけど、どんな洗脳を受けたいのか——を取捨選択する権利を持って生きていくことがツインレイの課題のなかで大きなものだったような気もする。

 

この世に悪人がいないわけではない。

自分の機嫌をたてにとって、不機嫌なまま、人を感情で操作しようとする人がいる。罪悪感を相手へ生み出しては自分は悪くないことを守ろうとする人もいる。

どういう言葉を言ってほしいのか、その言葉を相手に言わせようと懐柔する人もいる。

だけど、これが洗脳の言葉になるとき「相手が嫌い」なんだと思う。支配する人たちに対しても「歩み寄りたくない」んだと思う。

根源にあるのは、自分のことしか考えていないからとも言える。

だけど、私が他者愛を生きた道の先にあったものは、実は「自己愛だった」というのは、大きな福禄なんじゃないかと思っている。

私は、他者愛の道だったからこそ、他者愛により相手を受け入れることで、それが自己愛に変換されているみたいなのである。

それは、自分とは違う存在を受け入れるとき、その存在はそっくりそのまま鏡のようにひっくり返して「自分の世界」にしているということ。

私は私の世界がない。他者愛とは「自分の世界も、自分もない」という感覚にある。ゆえに、相手の世界をひっくり返すことでしか、自分の世界を樹立することができない。

 

ツインレイ男性は、ツインレイ女性を洗脳していくのかなと思う。役割が逆なのである。

ツインレイ女性は洗脳された分だけ、サイレント期間に苦しむことになる。それはツインレイ男性に洗脳をされたと言うのに、ポイ捨てされた人もいると思うし、洗脳されて「こりゃヤバい」と気づいて脱却しようと逃げ出してきた人もいる感じ。

宗教にハマってしまい、その宗教から抜け出すにも、色々な種類がいる感じ。

宗教から足抜けできない人もいれば、宗教から途中で抜け出してくる人、宗教にそもそも興味ない人。

私は「洗脳を全受容した人」だと思う。程度はみんな違う感じ。

私は洗脳を全受容したから洗脳が逆にとけてしまって「なとちゃ、このままじゃないけない。ばいばい!」って脱兎のごとく走り出してきた人。

これ、本来は「そのままの腑抜け洗脳・盲目」になるんだが、私の場合、私のなかに「他人軸」というものがあって「これは相手の為にもならん、ならば、離れなければならない」という思想に発展してしまう。

いわば「洗脳されていることに気づく」「洗脳させてしまっているのは自分」「だったら、自分が離れていけば、洗脳っていう悪事を働かずにすむのでは?」っていう考え方になってしまう。

 

悪いことさせてしまっているのは、あたいがここにいるからや。だったら、あたいが離れればあんた悪いことできんやろ。あたい、あんたのこと、愛しているから悪いことさせたくないねん。だから離れるわ。

 

で、残りカスのように頭のなかに残像として残る洗脳パーツをひとつひとつ消していく感じ。

人の為に——というのが一周まわると、たぶん「他人が必要ない他者愛」になるんだと思う・・・・・・。

ちなみに私はちょうど、コビットさんに罹患した後、ツインレイに出会っている。つまり、うつ病のときに出会っているので、めちゃくちゃ洗脳しやすい状態で出会っている。これがトリガーだったような気がする。

もともと被暗示性の人が、輪をかけたように暗示がかかりやすい状態になって、ツインレイと出会う。そりゃ洗脳される。

冥王星と太陽の合のことでしょうか。わかります、太陽が破壊されて月が独立しすぎてしまって「月しか勝たん」みたいになってたんじゃないの。

でもさ、この世って月あかりで成立しているから、太陽なければ輝けないんだよね。

最初は悪さして洗脳される状態になっていたんかな。太陽がないから洗脳されて「精神が壊れる」になるのかもしれないね。

いわば、冥王星と太陽の合は「月のターンの洗脳」になって、この状態の洗脳では、最上級の甘い蜜を吸うような恋ができるが、洗脳がとければ、それは恋がさめるんだと思う。

さめたら、洗脳を解除しないといけないんだけれど、洗脳の度合いが深ければ深いほど、辛いし、深いよね。

 

で、これが「ツインレイの洗脳解除」が必要になるんだが、、、

洗脳の解除ってどうやるんだろうね。洗脳の解除の過程が自己統合なのかな? とも思っているが。

ちょっと新しい視点、ツインレイが洗脳によるもの。コビットにかかっている期間のツインレイは、ツインレイによる洗脳になってしまっているかもしれないな。

 

ツインレイの恋は、自己愛による洗脳と、他者愛による洗脳の戦争である。どっちが権利を手に入れるのかの戦争。

 

愛されているから、許されているから、受け入れてくれるから。

だからといって、なんでもかんでも許されるわけではないってことなんだと思う。

他者愛として、受け入れることはめちゃくちゃ簡単。実際、自分を喪失させて「はいはい、おむちゅかえてあげましょうね~」って接待すればいい。(攻撃性を孕む人にとって、これが神なんだと思う。)

だけど「ダメなものはダメ」であることを伝えること。実際、なかなか難しいことなんじゃないかと思う。

私のなかで譲ってはならないものを創らなくてはならない。

他人との共存を私のなかで生み出すには「相手を信頼すること」と「自分の過去を信頼すること」が大事な気がする。自分の決断を信頼すること。

私は多分、過去に色々な決断をしてきたけれども、どれも自分の為だけに決断してきたわけではない。その自分を信じるべきだと思った。

自分を愛する心と、他人を思い通りにしたい心。

他人を愛する心と、自分を思い通りにする心。

私は後者を手に入れた。たぶん、これから私が神がかることはないんだろうが、私は岩戸のなかに引きこもるクズとして今日もぽてちを食べながらアニメでもみようと思う。

私は私を自由にさせる。誰を愛するのかは私が決める。運命という言葉で何かが降りかかってこようが、私は私で決める。

その決定権を誰かに譲らない。

他人を愛する心はもう出来上がっていた。彼が私に「他人を愛する心」を仕上げさせてくれた。

私のなかに「他人軸」を作ってくれた。

これについてはとても深く感謝している。どうもありがとう。

今回は「自分を思い通りにする心」を手に入れたので、自分を思い通りにする。好きに生きようと思う。

私は私の生き方がある。私は私という存在の在り方がある。私は私の軸を誰かに奪われて尚、人を愛した結果が洗脳にある。

ツインレイの彼には「自分のすべて」を奪われたから、ツインレイだったんだと思う。

でももう運命いらない。なんかいつも思うけれど運命はいらない。運命は私が私で決める。事象ではない、自称である。

人を愛しぬいた結果、自己破壊したけれども、最終的には「自分を支配する力・自己洗脳力」みたいなものを手に入れて舞い戻ってきました。

私はとてもクリエイティブな人になったし、最終的にはすべてが万事解決かな。

 

とりあえず、やりたいことをやること。

これが大事なのかな? と思っている。

 

覚醒って、洗脳の世界から目が覚める段階のことなんか。ウケる。