満足した。クリフォトの樹とセフィロトの樹の分離の完了。
満足した。おなかいっぱいになった。げふ。
たぶん。
こまちゃんが現実をちゃんと流動させていないとはーちゃんが騒ぎ始めて怒る感じ。
で、私が精神を不動にさせていないと、彼くんが去っていくねん。私、めっちゃ流動の精神だった。
なおさんは私の不動の精神とシンクロしてて、わかめはこまちゃんの流動の現実とシンクロしているかもしれない。
そうすると、彼くんとはーちゃんも必然的に落ち着く感じ。
はーちゃんは不動になるし、彼くんは流動になる。
今、こまちゃんの太陽と私の月が重なってて「黒い太陽」っていう日食状態な感じのイメージ。
これがまさかの「地獄の出現」を意図したっぽいな。
もはやセフィロトの樹が出来上がってきた件について。
地獄と、本来ある世界観のものの境界線をmamiさんが引いていると思われる。なんか、こっちの地獄の存在を上にひっくり返さないように見張っている門番みたいなやつ。
私の思想は、mamiさんの思想を反転させた思想になって「セフィロトの樹」を樹立させる。mamiさんが最悪を知っているから、私が最高を導き出す。セフィロトとクリフォトは写し鏡のようになっているから、鏡を持っている私は地獄を投影すれば、セフィロトの樹が出来上がってしまう。
たぶん、naoさんと私が背中合わせと手を合わせるようにいたとき、地獄のなかにいたなおさんを新しい世界にひっくり返したのかもしれない。
これが「土台」となる。ここにある寅は「慎み」にある。
mamiさんは「真実」なわけだけど、寅は「慎み」なんだと思う。これは心の在り方のこと。慎みを持つ心が真実を導き出す。
したにいる地獄のはーちゃんと地獄のなとちゃは、前周の方々なのだと思われる。
そうすると、寅と、卯と、辰が揃うのね。
辰には「地」があるわけなんだが、この場合、辰は地獄の場合は「地」があるんだよね。そもそも地のなかにあるし。
だけど、辰が天に向かってしまうと、ここでは「木」でしかない。そのためには「辰」「卯」「寅」の三つが揃う必要性があった。(東の方合)
じゃあそうすると、寅も草なので、あんまり関係ないねん。地とは。
だから、正しくは、
上手にできました!
私が不動の心としたが、なんかもっと言葉ないかな? と思った。
それで「正直」がいいのかな? と思う。バカ正直に自分の心を打ち明ける必要性はない。だけど、自分自身を揺るがさなくてもいい。だから「不動の心」。あたいバカ正直なのよね。
「素直」っていうのは、ありのままの自分の心のままに生きることではない。人の話を聞き、人の言葉をきいて、間違えていると思ったときに「素に直す」こと。
「謙虚」と「慎み」な。何も言わない、何もしないことを意味するのではなく、礼儀正しく振舞おうとする心かなと思う。ときには一歩引く。
人としての心の在り方のお話な。これが心の礼儀作法だと思う。
これで、クリフォトの樹とセフィロトの樹の完成。
ちなみに今朝、はーちゃんからテレパスきた。何言ってたかは忘れた。内容長すぎて・・・・・。
とりあえず、ごくろうさま。
今日は、なおさんが元ご主人と息子くんと三人であっているそうです。
男性陣については——しらん。