不安をひっくり返す、高慢な人が地震を起こすよ。人類の分別について。
めっちゃ怒っているけれども、さすがに余分な記事だなと思って、前の記事は消すことに。とりあえず、完結的に前の記事について説明すると「高慢な人たちに子供たちはあげられない。」って内容かな。
この一件は、前もっての「宇宙の予言的なやつ」を読んだ、洗脳のターンから続いている。
この手の話題には、基本的に「日本がこれから災害がたくさんやってくる」的な話がわりと多く書き込まれている。
ちなみになとりも直感的に教えられているものもいくつかあるが、まだまだ先の話かなと思っている。
ただ、ひとつだけ言いたいことは「別に、神は人の選別を行うわけではないよ」ってことを書きたい。
日月神示的にも、内容が「神は人の選別を行っている」的な内容が書かれているのもあるし、ヒットラーも「神人」と「超人」っていう話をしているのもあって、選別が起きる的な雰囲気を醸し出している。
で、なんかこう怖いなと思うのが人の性なんじゃないかなと思う。なにが怖いのか「選別されて、捨てられること」が怖いこと。
あと、二極化世界が突き進んで「いい世界」と「悪い世界」に二分されてしまうのも、なんか怖くない?
ほかにも、アセンションとかもものすごく「アセンションできないとダメ」みたいな感じになってて怖いよね。
簡単に言うと「自分がダメだったらどうしよう」っていう意識がそこにあると思う。この内容って全部「自分は悪い方だったらどうしよう」ってことを予見するようになっているよね。
これがそもそも洗脳になる。
今、なとりのいる世界線では「ネガティブな世界」と「ポジティブな世界」のふたつのうち、ひとつに君は進むことになる。と言われている人たちのうち、ネガティブな世界に進むことが不安な人たちと、自分はポジティブな世界に進むと思っている高慢な人たちの2分類に分けられている。
その「不安」をあおることで、あたらしいネガティブな世界線を創ろうとしている——とは想像できないかな。
集合意識って、みんな「意識がそこに集中することで創造が起きる」のね。その創造を「ネガティブなもの」と「ポジティブなもの」として、それぞれ不安をあおるようにして創造させているのは誰?
それが「自らはポジティブな世界に進む」と思っている人たち。この人たちってどういう人たちかっていうと「不安を持っていない人たち」ってこと。ここに異常性を感じない?
不安がないってどういうこと? っていうと、それは「高慢」「傲慢」が関係していると思う。
不安と向き合うことができないでいると、高慢や傲慢になってしまうっぽい。それで「ネガティブな世界には自分はいかない」という意識からネガティブ世界とポジティブ世界を創造させて、ふたつに分類させていく——っていうやり方をやっている。
つまりこれ「不安がっている人たちはめちゃくちゃ健全」ってこと。
「不安がっていない人たちは傲慢や高慢」になっている。選民意識が強くなって「自分は選ばれている」と思っている。
で、そういう人たちは率先して「ネガティブ世界をせっせと不安がっている人たちを助長させて洗脳する」ことを進めている。
なとり、この前の震災で募金したんだ。万札はたいた。
そんときなんで募金したのか。自分の心が恥ずかしかったからなんだよね。
ニュースで一度見た後、数日間忘れてて、その挙句、その震災に対して何も思わなかった。
この「震災に対して何も思わなかったこと」が、とても恥ずかしいなって思ったんだ。
その地で苦しんでいる人たちがいる。なのに、それに対して何も思わなかった。
だから恥ずかしいと思った。それで大きいけれど、万札はたいたんだ。それが自分の気持ち。
この震災に対して「何も思わなかったこと」以上に「これは、神の選別だ」と思っている人、多くないか? ってことに気づいた。
この宇宙の予言的な何かに触れて、神が人類を選別するほどに極悪非道なる存在だと思っているのか? ってことにひとつの疑問もある。
なぜ、神が震災を起こすのか——は、別に「人類を選別するため」ではないと思うぞ・・・・。
地球も息をしているからだよ。
私たちが体の中に苦しい場所があれば、その苦しいところにメスをいれることがある。そういった作業が地球にも必要なことがある。それを龍たちがやっている。
ときに震災をおさえることも大事だし、ときに震災を起こすことも大事。
それは地球も息をしているから。そして、その土地を守っている神さんがいるのか、いないのか——とかの兼ね合いもある。
だから特に「人類の選別と震災は関係がない」と思ってくれていい。
でも、人体と地球は繋がっているよっていうことはあるよ。人のなかに多く「不安が溜め込まれたらどうなる?」地球のなかにガスが溜め込まれているようなものだよね。
つまりさ、此度「ふたつの世界に分離する」って話を聞いて「不安になった」人たち、いっぱいいると思うんだよね。それって健全だと思うんだよ。だって普通に「自分が死んだらどうしよう」って不安になるのは当然だよ。怖いし。
高慢な人たちは自分の中にある不安を地球に押し付けているんだよね。
じゃあ、ポジティブ世界に行く人たちってどんな人たち?
不安や恐怖を手放した人たちらしいんだよ。どうして手放せたの? 地球に押し付けたから。
みんなアセンションしたらしいぜ。
これで「自然へ自分の罪を押し付ける」が完了して、これにて「自分たちは無罪放免」完了したね。
自分のなかに不安を感じている人たちが正解だよ。だって、それって「高慢じゃない」んだもの。怖くて当然だし、不安でいいんだよ。軽くならなくていいんだよ。
そして、私は「不安にならなくっても大丈夫なんだよ」っていう道理を伝えたいよ。
これがどれぐらいの能力を発揮するのかはわからないけれども、この世のメカニズム上、こんな感じの仕組みになっている。
簡単に言えば、高慢な人たちは「自分は不安だ!」ってことが受け入れられていないんだよ。
不安がある意識を受け入れられていない。だから、それを自然に押し付けている。それが天災として起こるんだよ。
だから、このお話を読んで、二極化世界とか、人類の分類をされるとか、色々いわれているけれども、それを発信している人たちの心をよく見てみたらいいんだよ。
その心は「高慢」や「傲慢」がはいってやいやしないかを確認すること。
高慢や傲慢な人たちは、神だよ。そう、とてもドえらい神になっているよ。でも「人の意識」はそこにあるのかな。それ「人でなし」じゃない?
人の意識は「不安」や「恐怖」を感じること。
神を畏怖する心だよ。そこに恐れを感じるのが正解だよ。恐れの感情を自らで引き受けること、大事だよ。
逃げたらいけないよ。
自分の不安や恐怖から。不安や恐怖を感じて生きることを忘れてはいけないよ。
不安や恐怖を感じることを知らない神はいないよ。不安や恐怖を与えたい善良な神はいない。
だけど、不安や恐怖がそれにないならば、与えたくなるのが神の親心ってやつ。
知らないことは教えるよ。そこに不安や恐怖がないなら、与えるよ。だって「ない」ならば「ある」って神は主張する。
でも、あなたのなかに「不安」や「恐怖」があるってんならば、与えない。
高慢にならんようにな。人の為に泣いて、人の為に心を痛めていくことは大事なことだよ。
私はそれが出来んかったから「恥ずかしい心だな」と自分に思ったけれど、そう思った人はどれぐらいいたんかな。
それが「罪があるんだから当たり前」だとか「当然」だとか「神の審判が始まった」とか、心無い神はどこにいるのかな。
この世は心を育てる世界だよ。心を捨てた存在など、それは神ではないし、なんなら、人でなしだろうがよ。
人でなしの言葉を聞く必要性はないと思った。そして、その話のなかに「心」が通っていないからこそ、私たちはその話に「洗脳」される形になる。
依存、そして不安を助走つけて「洗脳」にあうとき、私たちは「なにか」を崇拝している。
問題は「依存」にある。不安があっても一人で生きていけるようにならなきゃいけない。それは「不安がない状態」になるわけではないよ。
なとりが一番偉いよ。それはあなたのなかにいる「本心」が一番に偉いんだよってことだよ。
不安がある心や恐怖がある心につけ入るのは、そこに「疑心」があるからだよ。
疑心が穴になるよ。あなたをちゃんとみんな助けてくれるよ。なにかあっても、この社会はちゃんとあなたを助けてくれる。もし、震災でひとりぼっちになっても、ちゃんとあなたを助けてくれる手段があるよ。
いかなる不安があっても、あなたを助けるための未来の手段はたくさんある。それを信じてほしい。
信じる心によって生まれる未来や世界線もあるんだよ。あなたがどういう不安があるのかをちゃんと受け取った先に「新しい制度」だって生まれてくる可能性がある。
これが「創造」だよ。
高慢な人たちがやっているのは「洗脳」だよ。
創造しようね、自分の不安を受け取った先の集合意識がちゃんと用意してくれるよ。
あなたを助けてくれる手が未来にちゃんとあることを「信じる心」、ここに創造がある。そして、安心もあるんだよ。
これが神の道。
不安や恐怖をなかったことにして高慢になるのではなく、不安や恐怖によって新しい手を打つのではなく。
ちゃんと「信じる心」によって未来が勝手に創造されていくよ。そして、あなたは「今の時間に自分がするべきこと」に向き合えばいいだけ。
そして、すべてが「安心」なとき、何も起きないよ。
大難が小難になるとは、このこと。そして、最後は難がなくなる。
天災が起きたときは「不安や恐怖が受け入れられない人たちがいっぱいいたんだな」って思えばいい。そして、その天災に対して胸を痛めたらいいんだよ。
なにか行動をしなくちゃってわけでも本当はなくて、ただ「心に涙を流す」ことができればいいだけ。でも、実際、なんも思えないだろうから、心ばかりの募金をしたらいいんだよ。
天災が起きるのは悲しいことだよ。そしてそれに涙することができない心を私は「恥ずかしいな」と思ったよ。人としてな、恥ずかしいなと思った。
人の苦しみに共感できない心を恥ずべきではないかと思った。
だから私は自分が恥ずかしかった。
あなたは今年初めの天災に対して、どう思った。
「心を育てる」のは、自分しかいないよ。誰も心を育ててはくれないよ。
感じて、そして考えるしかない。自分の心の在り方を。
そして、神が人類の分別をするということ、神はそんなことしないよ。
それは「なんの神」なの? 本当に「神」なの?
その審神者ができんのだったら、先ずは私たちは「人が人としてできること」をやらにゃいけん。
その大前提をスキップして神の話をするにはまだ早かろうがよ。
私たちは「人」だよね? 「神」ではないよね。だから神については先ずは語れないんだよ。
まず「人としてどうあるべき」なの? 人の心、忘れた先にあるのは「人でなし」だよ。
で、人でなしは神なの。私がしっとる神は、めちゃくちゃ優しいが、多くの人が語る神がものすごく極悪非道な神にうかがえる。
どの神をみんなは信仰してんの、自分に極悪非道な「人類を分別しまーす!」とかいってくる神を信仰しているわけか。
おまえらも好きモンだな。
あたいは勘弁被るぜ、そんなん他所でやってくれ。
で、この「極悪非道な神の信仰」の洗脳が起きているんだけれど、根っこはどこにあるんだろう。それがわからんのよな。
高慢グループを率先して持ち上げたいのはわかるんだが、これの「根っこ」がある。それを引っこ抜きたいんだが、それが私もまだ見えないから、言葉にできないが、たぶん「根源」がある。
それが何か分かれば、これは終わると思うんだが、それが私には「みえない」からわかんねえや。
この一件で、めちゃくちゃ腹立てしまい、眠れなかった。
なんかこう腹立つんだよな。こういう「あたいの民草に何してくれんねん!」ってやつ。めっちゃ腹立つ。
あとなんか、たまに「龍に擬態しているなんか」がおるねん。こいつ、なんなんや。ムカツクな・・・・。バカにしとんのか。
なんか龍みたいな感じなのに、龍じゃなくて短いやつなんだよ。
ツチノコみたいな龍になっとる。ウザいな~、マジ。こいつなんなんや~。
うーん、なんか記憶があるよ。
うーーーん・・・・。
なんか、、前に、私の知り合いが「龍の夢見た」って話しとって、そんとき、なとりも同じ夢を見たんだ。同じ夢だねーってなったんだけど、なとりから見た夢では、それは「龍」じゃなくて「ナーガ」的な何かだった。
下半身が蛇で上半身が人間で、目を合わせたらいけんって直感した。目が赤く光ってて、めちゃくちゃ怖かった記憶がある。白いねん。龍ではなかった、蛇に近い感じの存在。なとりは威嚇されて咬まれたよ。夢のなかで死にかけて救急車で秘境の仙人のいるところへ運ばれたよね。
それと同じやつを、知り合いがみていた側の龍でみている。その知り合いは、言葉控え目にいうが「離脱」した。
なんか、龍のツチノコバージョンみたいなやつ。なんか、マジ、ウザとしかいいようがないな。
関係しているんかな? コイツ。そのうちわかるかもな。でもウザとしか言いようがない。