それぞれの種別による輪廻における理解
言葉にするならば、整いました! なんだろうな。
第9チャクラによりみえたすべてを整えてみると、このような現象が起きている。
第9チャクラでは、前世の記憶や魂のルーツによる視点を得ることになるが、すべてが「けやきの樹」に繋がっていて、それぞれがそれぞれの管轄に着地している件についてである。
また、これは「人の領域」の話ではなく「魂の領域」の話である。人である意識はまた別の存在として分別して考えるべきである。(かくいうこれが「魂の使命」等の話になるかもしれないが、人の意識を持つ私たちにとって、この話は「また別次元での話」であって、人間の私たちにとっては関係の話であることは分別するべきである。魂を生きる等の話が広まって、再び「人であることを放棄する」等のことがあってはならない。)
まず、一番最初にけやきの樹から生まれたのが、はーちゃんである。葉っぱが落ちていくなか、その落ちる葉がふたつにフツッときれた瞬間にはーちゃんの「霊」が発生した。
このはーちゃん、なぜか動物の輪廻回数がめちゃくちゃ多い。それもまた「別の種別による動物」による輪廻が起きている。ここに異常がある。
この世の魂は、犬は犬にしか転生しないし、馬は馬にしか転生しない。かくいう私たちには動物の意識たるものは存在しているものの、その意識とは別にあり、魂そのものが馬から犬になる——という例外はほとんどないと思われる。(私は1~3による動物性の意識は「鴨」にある。)
というのに、はーちゃんは種別を超えて輪廻しまくっている。しかも莫大なる量を輪廻している。
その輪廻の回数が多いからこそ、最初に生まれ、その輪廻による結果「人になる」ことになった。
チャクラからすれば、第1~第3チャクラにより、第4チャクラへの到達性が生まれたということ。
第4チャクラの基本は「人たらしめる中心的なもの」だと思われる。
次に、彼くん。この人、何度かこの地上における人としての輪廻を繰り返していると思われる。その人である意識が「第6チャクラ」にまで到達している人なのだと思われる。
これが「直感性」とも言えるが、第三による「自我」、第四による「心」、第五による「創造性」をきっちりこなした結果、想像性を持っての直感性を手に入れた人なのだと思われる。なんかこう、宮沢賢治的な存在かもしれない。
結果、第六チャクラにまで到達すること。
この第六チャクラへ到達することは「仏の道」だと思われる。仏教的な思想が第六チャクラにまで到達する。
さて、私である。そもそもこの世に転生したことがないと思われる麒麟である。
第8チャクラへの到達性が望まれた。到達とは「魂の個への到達」であり、彼くんにより促されているのである。彼くんを踏み台にして第八へと到達し、この領域に達するとき、私は「姫と分離した記憶」を手に入れるわけである。
姫による分離した記憶を手に入れると、精霊領域に存在する姫は「けやきの樹」である記憶にまで私が到達するのを手助けしてくれる。
どれも横にイコールである。(1=3=5=7=9ってこと)
それぞれの管轄領域があって、その管轄に忠実に生きることは重要なのだと思われる。また、こたび、「人間界」において全員集合している。
そのうちの最終的な精霊としたが、実際ここが「神」である。霊的世界観のなかに存在しているのだから「神」なのである。しかし、それがまたひとつ上へ繰り上げられている。
これが第10チャクラへの到達性にあり、これは「第0チャクラ」とイコールへと相応する。
理由だが、私たちは魂が0チャクラに到達するとき「消滅」であり「第10チャクラ」へ到達するとき「消滅」である。
つまり、第10チャクラとは、魂による生死が関係している輪廻の位置にある。
いわば、私の君主は「死んだ」そして「新しい魂となって生まれ変わってきた」ということがここから理解ができる。
私たちは、前に存在していた「高木の神」が消滅したものだから、そこからの生まれ変わりとして発生した「けやきの樹」であり、そこから再び「高木の神」の柱を立てようとしていたのである。
しかし、けやきの樹は「けやきの樹」である。この世にあるけやきの樹に他ならない。そこから神を産むとしたら、けやきの樹から下から順番に柱を立てていき、最終的に一番上の存在がその上の領域に立つとき「神」へとなるということ。
これは「神として発生し、神として消滅する」輪廻の話であって、この神がたっている限り、私たちは「霊」として存在する。しかし、この神が消滅するとき、私たちは共に消滅するのである。
つまり9~11チャクラの領域は、ほぼ「神の領域」ともいえる。特に11チャクラによる理解は「天地創造」の知識が入っていると思われる。(なとりはたぶん、ここの知識には触れられないと思われる。)
第10チャクラ兼0チャクラは、この地上における魂の輪廻である。(それは人の輪廻という生死ではない、魂の発生から消滅についての話である。)
11チャクラとは、私たちがどのように地球が生まれたのか——を理解するように、神がこの地球がどのように創造されたのか——を理解する領域にある。それが旧聖書に書かれている七日間の話かと思われる。
しかし、神が立つのは10チャクラにあり、ここでは「神による発生と消滅」の概念にある。
子供 | 大人 | 詳細 |
---|---|---|
動物 | 神使 | 神社につかえている動物さんになっていく |
人間 | 神職 | 向こうの世界にいる神職の立場の人たち(仏さん) |
幻獣 | 神獣 | 神格化されてお仕事ができるようになる |
精霊 | 神 | 精霊だったけれど神のお仕事をする |
なんで、動物なのに人型になれるやつもいるのに、動物のままのやつは動物のままなのかなと思っていた。
龍のなかでも龍でしかない龍もいるけれど、人型になれる龍もいる。
なんの違いがあるのかなと思っていた。ひとつ繰り上がっているかどうか——なんだと思う。その修行が「成長」とか「大人になる」っていう概念であって、どれも平等に「大人」ではあるけれど、役職は違う感じ。
で、動物が動物の霊なのは子供、動物の霊だけれど人型になれるのが大人。大人になると「お仕事」がある感じ。
動物の霊のときは、そのまま「動物がんばる」しかない。
人も同じ。人の霊のときは「人がんばる」しかない。
で、この管轄をばらばらにそれぞれ鍛え上げていくから、柱として神が立つのだと考えられる。
下にあるものが成立していないと上にたつものが成立しないから。だから、はーちゃんが始めに生まれた長女に相応するが、輪廻の回数的に一番多いと考える。土台が強くなければならないから。
はーちゃんと話していると、ものすごいエネルギーと腹部における第二と第三チャクラあたりがめちゃくちゃ活発化するんだが、それがはーちゃんの魂によるエネルギーの根源となる。
で、彼くんの場合、第四から第五チャクラあたりが活発化し、私の場合、第六から第七チャクラあたりが活発化することになるから、はーちゃんや彼くんは頭がヒシヒシとエネルギーを感じると思われる。
ただ、これは「神ベクトルにおける魂の視点」であり「人ベクトル」においては、普通に「第一~第七チャクラ」まで正常に存在している。
それぞれ、人は第一から第七までのチャクラを持っている。
魂は、それぞれの対応するチャクラが分離している。で、その分離したチャクラのひとつ上のチャクラへ到達するとき、魂の生へと繋がるために来世は神の世へ生まれる感じになる。
4-6-8である。この三つが成立するとき、神産みが成立する。神と言う柱がひとつ立つのである。
それぞれ、第四の到達、第六の到達、第八の到達で「ツインレイ」という存在へ到達するのだと思われる。また、これが「第八チャクラ」に相応するということ。
でも、この地上における存在はすべて「人であること」には違いがないので、第三、第四、第五については理解しなければならないのである。はーちゃんは動物生だけれども、人であることには違いがないし、私は幻獣生だけれども、人であることには違いない。
この「人であることには違いない」部分で苦労が発生するってことだな。