玉依姫は親に大事に育てられた貝のお姫さまのお話。
玉依姫は、姉の子供を育て、その子と結婚すると言うお話です。
私自身が理解している感じの神話に書きかえますね。
玉依は貝殻のお姫さまでした。夫婦円満な父と母に与えられるものを受け取るお姫さまです。困ったことはほとんどありませんでした。
夫婦円満は両親を見て育ったお姫さまは、夫と仲良しの夫婦になることを夢見ていました。
あるとき、姉である豊玉が陸地で結婚して子供を生み、戻ってきました。
玉依姫は、このとき子供でした。しかし、姉から生まれた子がふと心配になって会いにいくことにしました。
それがウガヤフキアエズです。
玉依姫は海の神さまにお願いをして、地上で息が出来るようにしてもらいました。
海の神さまには「決して恋をしてはならない」と言われました。恋をすると、二度と海へ戻ることができないと言われました。
玉依姫はうなずきました。そしてなめくじの姿に変えてもらいました。
ついにウガヤに出会った玉依姫は恋に落ちました。とっても可愛い男の子がそこにはいたのです。
これは恋というよりも母性のように感じられました。
ちいさなウガヤの姿を見て満足した玉依姫は海へ帰ろうとしました。そろそろ親の住む海へ帰るとウガヤへ伝えます。
しかし、ウガヤに「いかないで。」と引き止められ、玉依姫の心は決まりました。
これは恋じゃない、母性だ。ウガヤが大人になるまではいっしょにいよう。
玉依姫はウガヤと共に歳月を過ごし、ある日、ウガヤは玉依姫から自立していくことになりました。
しかし、玉依姫は海に戻ろうとしても戻れくなっていました。貝の姿に戻れません。
玉依姫は海の神との約束を思い出しました。
恋に落ちたらいけない。恋をしたら海へは帰れなくなる。海にかえるためにはウガヤを殺さなければならない。
玉依姫は、恋に落ちた自分を受け入れることも出来ず、ウガヤを殺すことも出来ませんでした。
玉依姫は、自分の恋を認めることにしました。
そして、ウガヤと共に生きていくことを決めました。
それは玉依姫にとって『恋をして大人になること』でした。
玉依姫は、親の愛を背負うお姫さまでした。これは子供時代のお話です。
なめくじとなっていた玉依姫はなにも背負うことが出来ませんでした。それは青年期のお話です。
無防備で自分を守ることも出来ない。家事もできなければ、まともに生活をすることも出来ません。しかし、とても優しいお姫さまでした。
玉依姫は今度はウガヤとの家を背負うことになりました。これは大人のお話です。愛された経験はなかったことにはならない。それがなめくじとなっても貝を背負っているということなのかな。
(終わり)
玉依姫って、仲良しの夫婦の元に生まれた娘が結婚して幸せになるっていう神さまだと思われる。
元々は『貝(子供)』で、結婚するときには『なめくじ(大人)』になる。
玉依姫が甥っ子を育てる——という話も、母親として育てたわけじゃなくて、姉弟としてウガヤと玉依はいっしょにいたと思う。だから結婚も、マザコンというよりも、シスコンのほうが正しいと思う。
玉依はこのとき、自分の存在価値が『存在』にあることに気づく。
ふたりで一緒に大人になって結婚するのが玉依とウガヤスタイル。
貝のときは親に面倒を見てもらっているから何もできない玉依。育まれたものは優しさと愛情。
結婚のときは何も持たずに嫁ぎ、嫁ぎ先で大事にしてもらうことができる。それは優しいから。
何も持たずに嫁ぐとは因縁を引き継いでないって意味でもある。男性の家系を背負う女性になるから、その家系の長子に嫁ぐことになる。
ウガヤさんはね。なんも出来ない女性を娶ることができる器量の持ち主になる。つまり収入が多いってこと。
玉依さんはね。大事にしてもらえる人になる、それは神にも人にも愛される人になる。
このふたりは夫婦円満になるって話。これが神武天皇のご両親にあたる。
最後に玉依さんは水の心にいたるんだが、玉依さんが神にいたるとどこにでもいる人になるんだと思われる。水だからね。
どこにでもいる人をウガヤさんは娶って大事にする。でもそれが『神』なんだよね。
ウガヤさんは見えないものを大事にすることができるとき、玉依さんと結婚する。玉依さんは実際、現実的には「何も持っていない」から。見栄えもいいわけでもなければ、普通なんだよね。マジ、普通。
何も持ってないけれど「優しさ」とか「愛情」とか視えないものをいっぱい持っている。
それに気づいた人がウガヤさん。
でも、視えないものが「神」とか「天使や悪魔」の人もいる。
私の大好きな本『恋愛写眞』
恋をすると大人になる女の子のお話。