ツインレイのチェイサー&ランナーについて解説
ツインレイのサイレント期間に訪れるチェイサー&ランナーという仕組みは『逃げるもの』と『追いかけるもの』としてツインレイのふたりが追いかけっこをしていることにより生まれます。
また、ツインフレームのステージ(偽ツインレイ)はツインレイのひとつ前に生じるステージですが、ツインフレームのステージでもチェイサー&ランナーの状態へ陥ることになります。
ツインフレームの場合も、ツインレイの場合もチェイサー&ランナーの仕組みが生まれますが、ツインフレームの場合は『直に会いながら追いかけっこ』を行い、ツインレイの場合は『魂上の追いかけっこ』であり、現実的に現れる現象は少々変わってきます。
ツインレイとツインフレームのチェイサー&ランナーの違い
テーマ | |
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ツインレイ | 魂 |
ツインフレーム | 現実 |
ツインレイのテーマは『魂』に存在し、ツインフレームのテーマは『現実』に存在しています。
また、ツインレイのテーマは『光と闇の統合』でもありますが、ツインフレームのテーマは『光』または『闇』に存在している為、それぞれのテーマが違います。
ゆえに、ツインレイとツインフレームのステージでは、ツインフレームのほうが単純的ではないでしょうか。
ツインフレームのステージの次に、ツインレイのステージと順を追って進んでいくこともありますが、ツインフレームのステージ中にツインレイのステージなどが組み込まれていたり、結婚相手がツインフレームであったりと『サイレント期間』についてをどのように捉えるべきか? を考えさせられます。
ツインレイのテーマは『魂上』に生じるために、現実面での関係性は一切を断ち切った状態でサイレント期間が訪れますが、ツインフレームのテーマは『現実』に生じるため、現実面での関係性は『繋がり続けている状態』のサイレント期間となります。
ランナーとチェンサーは、ツインレイの場合は魂による追いかけっことなりますが、ツインフレームの場合は現実による精神的な追いかけっことなります。
現実<精神<魂
現実と精神によるランナーとチェイサーがツインフレーム
精神(霊魂)と魂によるランナーとチェイサーがツインレイ
ゆえに、ツインフレームの場合は、何かと連絡がつきやすくなりますが、ツインレイの場合は現実面を一切に遮断することになりますので音信がまるで途絶え、連絡先さえわからない状態に陥ります。
ランナーとチェイサー | |
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ツインレイ | 霊魂(精神)と魂 |
ツインフレーム | 現実と精神 |
チェイサーとランナーのテーマ
ツインレイのランナーとチェイサーのテーマは『魂領域』にて行われていますが、ツインフレームのテーマは『現実領域』にて行われています。
ツインレイとツインフレームの両方ともが持っているテーマが『精神領域』となっています。
いわば、現実から精神の自己統合をツインフレームにて行い、魂から精神の自己統合をツインレイにて行っています。
これにて自己による魂から現実たる肉体への影響性が一貫的となります。
魂の望みは肉体の望みと同一となります。
ランナーとチェイサーは、この望みが不一致となってしまっているバラバラとなった自己を統一化していく経緯であり、精神——。いわば、霊魂による望みを理解していくために必要な経緯です。
ランナーとチェイサーの期間が辛いのは、このひねくれてしまった循環を整えていくためです。
その痛みに耐え、如何に『精神』に従えるのかがツインフレームであり、如何に『霊魂』に従えるのかがツインレイです。
ツインフレームのランナーとチェイサー
ツインフレームのランナーとチェイサーの場合『現実に向き合う必要性』があります。
では『現実とは何か』ですが、自身の持つ欲求や、自分の逃避癖など『自分から逃げること』をやめていかねばなりません。
もし、自分自身から逃げ続けている人は、ツインフレームと結婚し、直にツインフレームと向き合うことが望まれます。また、向き合い切れたときに離婚することになっていきます。
自分自身と向き合いがうまく回っている人は、恋人同士となり、自分の欲求や感情などと向き合わされるために、引きずられるにしながら欲求と感情を引きずり出されていきます。
ふたりの関係性は『物質的』に生じており、それは『じかに繋がること』が主軸となっています。
逆に、連絡を取れることが辛いことってありますよね。そばにいることが辛いこともあるかと思います。
その相手がツインフレームのランナーとチェイサーの関係性であり、なぜ辛いのか? というと自身のなかに存在している『何か』からの逃避が強く存在しているがゆえに、その『何か』を突きつけられていることにあります。
ツインフレームのチェイサーとランナーでは『自分』と強く向きあわされていきます。
ツインレイのランナーとチェイサーとは
自分自身がどちらの役割をしているのか? についてを考えさせられるかもしれません。
ツインレイのランナーとチェイサーについてが生じるのは『魂上』で行われているために、まるでランナーとチェイサーの違いがわかりにくい感じになっているかと思います。
また、このとき『追いかけている意識』もありませんし『逃げている意識』もありません。
ただただ愛しているゆえに、ツインレイの相手を心で思い続けている側がチェイサーです。そして、チェイサーはツインレイの相手を逃します。それも愛ゆえですね。
ツインレイの相手の愛を理解できずに逃げていくのがランナーとなります。ランナーは『チェイサーを理解することが出来ない』んですね。
ツインレイのランナーとチェイサーは『すれ違い』により生じます。そしてサイレント期間へ突入していきます。
愛を誤解してしまうランナーの仕組みはツインレイは自由になり悪の選択権(他人軸)を獲得する解説で説明をしています。
ツインレイのランナーとは
ツインレイのランナーはツインレイの相手を誤解して逃げていきます。向き合いたくないし、愛(悪)を受け取りたくないと思っています。
しかし、ツインレイの相手の相手と統合していく段階で『愛の受容体』を生み出し、その経緯で『チェイサーを受け入れる』ことが出来るようになっていきます。
つまり、ランナーはチェイサーに嫌なものを提供されて逃げていき、だけど、行き着いた先では「あれ、チェイサーがくれていたものって愛だったんだ」ってことに気づくことになります。
ツインレイのランナーがチェイサーのもとへ戻るときは『覚醒』、そして『統合』を終えた後になります。この段階をスキップさせている段階でランナーはチェイサーのもとへ戻ることが出来ません。
もっとも『闇から逃げる側』がランナーであることが正しいように思います。
ゆえにツインレイ男性という言葉とは語弊が少々ありますが【サイレント期間】ツインレイ男性の本当の気持ちでは、サイレント期間へ突入するときのツインレイ男性のランナーの気持ちを説明しています。
ツインレイのチェイサーとは
ツインレイのチェイサーは『悪という愛の体現性』を行います。いわば、嫌われ役——というのが代名詞となりそうです。
チェイサーの役割はランナーを逃がすことでもあります。チェイサーにとっての最終的な愛は、ランナーを逃がし、自分の檻から外へ出すことです。
このとき、チェイサーはランナーを丸ごと愛している状態であり『そばにいなくても愛している』わけですね。
チェイサーは、ずっとランナーが戻ってくるのを待っているわけですが、その間もチェイサー自身も『悪(愛)の受容体』を生み出し、その後、ランナー自身が愛を受け取れるようになるまで、長い時間を待ち続けることになります。
そして闇化し、その闇から生まれる愛をランナーへ与えますが、ランナーは闇を愛とは理解できません。
愛による破壊による仕組みはツインレイの愛する側の愛情と破壊の関係性の記事で説明をしています。
ランナーとチェイサーと光と闇
ツインレイは『闇を内包した光側』がチェイサーであり、『チェイサーの闇から逃げる』のがランナーです。
チェイサーとしての成立は、光を内包した闇となることです。
しかし、ランナーが受容することができる存在は『光のみ』です。
ツインレイのふたりは『光だけで成立している』状態なんですが、その光のなかに闇を吸収していくことにより、光と同等だけの闇を内包しては、そのふたつを『共存させること』により、存在へと昇華していく必要性があります。
ツインレイの役割は『闇の引き受け』にあり、光と同等の闇を内包した時点でツインレイのステージが再会されていくんですね。
その闇の受容性がチェイサーが先にでき、その後、ランナーが闇を受容していく——。この順序となっていますので、ランナーは悪にたいしての潔癖症かもしれませんね。