ツインレイは自由になり悪の選択権(他人軸)を獲得する解説

2023-02-21

| Ⓒ なとり

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さよなら、ツインレイ Kindle版
さよなら、ツインレイ

当時はこれでおしまいなんだ・・・。そんな風に思いながら書いた『さよならツインレイ』。結果的にさよならしたのは、神交法の相手であるツインレイの霊体だった件。今更振り返って読んでみると納得がいく一冊だが、当時はよくわかっていなかった。

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束縛からの解放による自由についてをルドルフ・シュタイナーの神秘哲学『悪魔論』からヒントをいただきました。

ツインレイは悪による自由の選択をすることができるようになり、ツインレイは『自由』になります。

私たちはこの世に生まれて、まるで不自由な選択をしてきました。

それは、人が持っている縛りでもあります。善の縛りです。

人が持つ良い人間でありたい、という道徳ですね。

その縛りを解き放つためには『悪』が必要であり、その悪を手に入れることがツインレイのステージでもあります。

ツインレイは自分軸を手に入れるとされていますが、この悪による自由を獲得することも他人軸ではないか? とも感じられましたので『他人軸』のワードを添えさせていただきました。

自分軸とは何か? 他人軸も重要ではないか。
それについては私が知る限りの自分軸とはで説明をしています。
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ツインレイの自由とは

ツインレイの自由とはなにか?

自由とは、他からの強制・拘束・支配などを受けないで、自らの意思や本性に従っていることをいう。哲学用語。自由な行動により生じた結果は本人が引き受けるべきという社会通念があり、自由と責任は併せて語られる事が多い。引用:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

自由とは、自分の意思に従うことです。

しかし、ツインレイの道を歩んでいる人たちの多くが『道徳的』なる道を好み、また『人に自分の人生を左右される』ようなシーンが多かったのではないでしょうか。

それはツインレイ自身が家族の因縁を解消するような人生を歩んでいることを含め、ツインレイは自由な選択をすることが出来ませんでした。

社会的なルールに縛られているツインレイたちは『不自由な世界』にいるんですね。

しかし、ツインレイの不自由さ——。もとい、ツインレイが持っている束縛は別のところにあります。

それは魂のなかに存在している『精神の構造』です。

ツインレイは神に従う、そのようにプログラムされているところがあり、ツインレイの精神は道徳的なんですね。

その内容は『善』に偏り、その視点はツインレイ自身に『罪悪感』『背徳感』等を感じ、その感情により自身がどのように動くのか——を縛るところがあります。

罪の意識があるから人は悪いことをしません。罪の意識はとても人々にとって重要なことだったんですね。

しかし、ツインレイたちが本当にしたいことは『人を愛すること』です。

では、ここでひとつ考えてみたいのですが『善いことは人を愛している行動か』ということです。それはルールであり、協調性のひとつであり、善いことをしても誰も心が救われることはありませんでした。

本当の愛は『悪』にしか存在しません。そして、その悪の体現を求められているのもツインレイです。なぜならば、悪にの本質が本当の愛だから。

ツインレイが得られることになる自由とは『善悪の選択権』を得ることにあります。

ツインレイは意思を持って『善の選択をするのか』『悪の選択をするのか』の自由を得ることになります。

ツインレイの男女と悪の選択権


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ツインレイの片方は、とても自由に生きています。なんなら後悔がないように生きており、悪いこともやってみたいならばやってきました。

しかしもう片方のツインレイは、不自由になりました。

悪を持たされなかったんですね。ゆえに善というひとつだけを持つがゆえ、悪を『善以外のもの』として認識し、自分の選択肢から除外されるような考え方をしています。

この記事の主役は『善というひとつだけの選択肢しかもっていない片割れ』のツインレイです。

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ツインレイの悪の選択とは

たとえば、誰かの本心を肯定するとき、私たちは『悪』になります。

多くの人の本当のところの本心はエゴイズムにあり、すべての人が悲しみや怒りを自分自身のエゴイズムに見つけ出していきます。

人は怒ってはいけないと考えます。そして悲しんではいけない、笑わなければならない。そのように考えているのではないでしょうか。

また、人を見下してはならないと考えます。

各々『自分のなかで決めている善悪』があるんですね。ですが、それで本当に人を愛していると言えるのでしょうか。

その悲しみに寄り添うとき、人は励まします。悲しんではいけないと言うんですね。

その怒りに寄り添うとき、人は怒ってはいけないと言います。怒りを否定します。

人を見下してはならないと、人を見上げなければならないと人は言います。

さて、本当にこの考え方は『愛』なのでしょうか。

悲しみがそこにあるとき、共に悲しみ、怒りがそこにあるとき、共に怒ること。人の心と共にあることが愛です。

人の心と共にあると人が感じられたとき、人は愛されていると感じられます。

ときに人を見下し、人のことを可愛がり、なにかを与えること、出来ないことをしてあげることは悪いことでしょうか。

ときに差別をし、特別を持つことは悪いことなのでしょうか。ツインレイが行っていることは究極の差別愛です。

間違えを正すことが親切かもしれませんが、人は間違えなければ進歩がありません。手出しすることは時に人の経験を奪います。

悪いことのなかにしか存在しない『愛』があるんですね。その愛を手に入れたいと考えているのがツインレイです。

悪の選択による自由と自己責任

悪の選択をするには、必ず『自己責任』を負うことになります。

これは自由の選択肢を持っているがゆえ代わりに責任が伴います。

 

ツインレイは悪の選択は自由に選びとることが出来ますが、その結果、いかなる結果がでようともその結果は自己責任です。

もし、悪の選択をしたとき、誰かに糾弾されることがあったとしても、それは自己責任です。その結果を生み出したのは自分です。

悪の選択には必ず批難が付きまといます。もしそれが愛だとしても――です。

それを覚悟したうえで、悪の選択をしなければなりません。これが『自己責任』です。

ツインレイの自由は『いかなる何が起きようと、愛がある選択をしたとき自己責任を負う』ことにより生まれ、ツインレイは自己責任を負うことができる存在へとなっていきます。

この自己責任をおうことができるようになっていったとき、ツインレイは自分軸のみならず、他人軸となる悪を持つことが出来ます。

また、自己責任が負えないうちは悪の自由の選択は与えられません。

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ツインレイが得ている自分軸

ツインレイは『悪の選択』を出来るようになるとき、人の心に寄り添います。

それは『自分の善』を突き通すべきか『相手の悪』に寄り添うべきかを考えます。

自分軸がもし『善』ならば、他人軸は『悪』ですね。

自身の善を突き通すとき、誰かは傷つきます。その傷を手に取らずにどうして自分を突き通せねばならないのでしょうか。

ときに他人軸である悪を手に取ったほうがうまくいくことのほうが多くあります。

その悪を意思を持って手に取るとき、そこに愛が生まれます。

 

ツインフレームの段階で『自分軸』を手に入れ、人を愛し、次にツインレイでは『他人軸』を手に入れることにより、ツインレイたちは、人に愛されることを学びます

また、反転することもあるでしょう。

ツインレイが陥る愛の受容の困難

ツインレイが陥る愛の受容の困難の説明です。

ツインレイは『愛を受け取ること』が出来ません。しかし『愛すること』が出来ている人が多くいます。

それは、自分自身の手を悪に染めることが出来るようになっていることです。

自らが悪を背負うことにより、ツインレイたちは人を愛してきました。

人を見下し「いつかわかるよ」と言いました。

人を見上げ「孤独が寂しい」と思いました。

人がやりたくないことを引き受け、人を傷つけることもありました。

それはツインレイが悪を体現しているがゆえでした。

もし、それが弱さからくることであったとしても、現象としては愛だったんですね。

ツインレイは悪を体現することが出来ているがゆえに、ツインレイは人を愛することができるようになっています。

しかし、ツインレイは『愛を受け取ること』ができません。

人に与えたものは自分が得ていいものです。しかし、ツインレイは悪という愛を受け取ることが出来ません。

ツインレイは循環です。

ツインレイがツインレイに与えたものは、そっくりそのまま帰ってきます。

ツインレイの相手から返ってきた『愛』を『悪』と思い、怒ったり、悲しんだり、嗜めたりします。

愛を悪だと思い込んでいるのがツインレイたちです。

もし、ツインレイのステージのなかで誰かに怒ったりしたとき、それは自分がツインレイに与えたり、誰かに与えた優しさが戻ってきたことにより、それを『悪』として認識して腹を立てているのかもしれません。

 

ほかにも自分自身のなかで受け止め兼ねるぐちゃぐちゃとした闇を生み出していくことになるのは、サイレント期間前のランナー側のツインレイです。

なぜならば、悪と思いこんでいる愛情を自身のなかに溜め込むからです。

ランナー側が闇堕ちしたのは『ツインレイに悪側の愛情をもらったから』でもあるんですね。本当の意味で愛されたということです。

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ツインレイの自由の選択権と自己統合

ツインレイの自由の選択権と自己統合の説明です。

子側のツインレイも同様に『自己のなかに存在している闇』を内包することにより、子側のツインレイの自己統合となります。引用:ツインレイが自己統合を完了させたタイミングと現象の解説(削除済・どこかへ消えました・・・汗)

ツインレイは心そのものが『悪』であり、その表層的なものを『偽善』でオブラートを包みます。

心が寄り添うとき、悪により繋がりが生じ、人と心を通わせることになります。

ツインレイの自己統合は『自己のなかにある闇を受容すること』でもあります。

 

ランナーのツインレイは自身のなかに存在している悪により人と心を寄り添いますが、人から与えられる『悪という愛』を認識することが出来ません。

理由は『自分が持っている悪という愛を認識していないから』です。

 

ランナーのツインレイは、自身のなかに存在している心(愛)を認識することが出来ていないので、ツインレイの相手に愛されたとしても、それを『悪』として認識しています。

サイレント期間へ突入するタイミングでツインレイたちは『愛』を与える側と『悪』と誤認する側に別れるんですね。

愛を与えられていても、自身のなかに存在している『悪』を認識することができていないために、表面上に悪が浮き彫りになる為、そのときツインレイの闇化現象が起こります。

このとき、ツインレイは光と闇の反転を起こします。

闇こそが本当の心です。その心を理解することがなければ、人は人の心に寄り添うことが出来ません。

愛されているのに愛されていないと思い込んでしまうのが、愛という自身のなかに存在している心を認識できないことに繋がっています。

 

ゆえに、愛を与えられて相手から離れていくと決断をするツインレイたちは、一切合切それを『悪意』として捉え、ツインレイのもとを離れていくツインレイたちが後を絶ちません。

これ以上に悲しいことはありません。

そして、与えられた愛とは自分自身が誰かに与えていたものです。与え続け、受け取ることが出来ないのが『ツインレイ』なんですね。

サイレント期間でツインレイのランナーが理解する愛

ツインレイのランナーとなるのは『与えられた愛情を悪意』として捉え、嫌われていると思い、逃げていくことにあります。

実際に与えられたものは自分自身が人に与えたものが返ってきただけ。

与えた愛情が回り回って戻ってくる愛情を受け取ること。ツインレイは『愛を受け取る循環』を生み出すことが出来ます。

そのために、ツインレイのランナーは、愛を受け取るために自身の持っている悪を先ずは具現化する必要性があります。

ゆえに、サイレント期間中のツインレイは『闇にまみれている』状態です。

そして、最終的に『愛されていること』を理解します。それは『自身のなかに存在している悪』、『闇』を受け入れることです。

闇を受け入れたとき、自分が与えていた『愛』に気づき、また、自分のなかに存在している『心』に気づき、ツインレイの相手にどれだけ愛されていたのかを理解することになります。