ユニコーンがついてる人とは? スピリチュアル的な意味と解釈
ユニコーンの夢を何度か見てきた、そのことは錬金術でも触れている。何かしらの意図があってのことなんじゃないか——と。
その夢も、大きな大打撃の失恋をしたときに見る。心配そうにユニコーンがこちらを丸い枠から覗いている。向こう側には草原が広がり、ユニコーンは何頭もいるけど、一度目は一頭、二度目は二頭。私の夢へ『枠』から参上する。
ユニコーンの夢についても過去何度も考えてきたが、そのなかで特筆すべき内容としては錬金術の白化段階における浄化——。
だけど、ユニコーンに関してほかの角度からもスピリチュアル的に解釈することも可能なのだなと理解。ゆえに、ここにユニコーンがついている人とは? というお題でユニコーンについて認めておこうかなと思う。
ユニコーンの特徴や見分け方
馬に長い角が生えていること。これがユニコーンの大きな特徴ともいえるが、もうひとつは白い馬であること。
白馬は馬に非ずの理屈が通るばかりの白い馬である。ちなみに私がみてきたユニコーンは、淡く青が入り込んでいる究極の白というような色味をしている。
夢の中では『馬』だと思う。たぶん、私たち人間が私たちを『人』だと認識するように、ユニコーンも『馬』という分類のなかに存在していて、私たちの無意識体を人だと認識するように、馬の無意識体を馬だと認識するのだと思われる。
ざっくばらんに説明をすれば、馬の神格にまで至った存在がユニコーンではないか——ということ。馬も馬の神の道があって、私たちが魂の成長をすれば仏になるように、馬の魂が成長すれば、それはユニコーンになるのではないか、と今のところは考えている。
だから、ユニコーンをみても馬と感じてユニコーンだとはあまり感じない。
ユニコーンには一角がついている点がシンボルともなっているが、この一角もあるときはしまっている。過去に霊感のある人に聞いたら「だって、ずっと生えてたら邪魔じゃん。」って言っていた。
たしかにそうなんだけれども、今の私は『角を使うときにだけ使っている』のが分かりやすい。必要がないときには使わない、必要なときにだけ使っている。
ペガサスもユニコーンと別扱いにされているが、同じ種だと思っている。
空を飛んでいるときに角って邪魔じゃないですか? だからユニコーンが空を飛んでいる姿がペガサス。
ちなみに、私もユニコーンの夢を見るときはペガサスの大群をセットで見ている。同種というか、同一として考えて良いのだと思われる。
そして一匹の単体行動をしているところはほとんど見かけない。麒麟などは一匹の単独行動があるようなんだが、ペガサスが空を飛んでいるときも大群だし、ユニコーンが私の夢をのぞくときも背景には白い馬がうろうろ立ってたり草をはんでいる。
ユニコーンは群れで動くのである。
ユニコーンは嘘と本音の象徴
よくスピリットアニマルと呼ばれるユニコーンやら、その他の霊獣をみると『幸運』とか『いいことがある』みたいな幸せな象徴と呼ばれていることが多々あるわけなんだが、じゃあ本当に霊獣の夢を見ていいことがあった人っているのかなってぐらいに疑問になるぐらいには、特にいいことがない。
霊獣を見たとしても、他意はない。基本的には他意がないんだと思われる。だけど、何かしらのエネルギーは受け取っていて、そのエネルギーの内容がよくわからないことには読解のしようがない。
過去の経験を振り替えると、私がユニコーンの夢を見たのは二度。失恋して大泣きしているときに見る。
ユニコーンの夢を見るトリガーは『失恋で大泣きする』わけなんだが、どちらも『私が振った』という理由もセットで、その振った動機は『幸せになれないってわかったから、お互いの為にならないから』って感じ。
最終的には「もう駄目なんだ。」と直感的に理解して、そのままオートモードで動き続けたらそうなっている。こんな感じなんだ。
象徴としては『離縁後に現れる』みたいに感じてしまうんだが、ユニコーン自体の役割は「嘘を見抜く」ことにあるように感じられている。
『自分の心に嘘がある人』『自分の本心に従えない人』『自分の本心を隠す人』など、自分の純粋な本心から目を背けている存在と夢主の関係性を断つ存在。
ゆえに、ユニコーンの象徴は『純粋』になる。
私たちも生きているなかで、本心のままに生きることができないことがある。それはやっぱりこの地球におけるエゴはもちろんのこと、こだわりなどが存在している。ユニコーンがいいたいのは「本心に従わずに生きていても苦しいだけ。」ってことなんだと思う。
他人に嘘を吐かないことはもちろん大事なことだけど、自分の本心に嘘を吐かないことも大事ってことだな。
なんとなく、象徴として『金星』がある。もしかしたら、ユニコーンは金星の生物なのかもしれない。
ユニコーンと幸福の象徴と虹の関係性
ユニコーンは虹と深い縁がある——と言われているが、もちろん、私も何度も虹はみているし、特に『出会い』とかのタイミングでは常に虹のコンボとなる。
ツインレイの彼もユニコーンの縁に導かれて出会っているせいか——。虹を1週間に1度や2度見たり、二重の虹をみたりなどしていた。
ユニコーンによってもたらされる幸福は、虹と共にやってくる。ユニコーンも『別れ』をさせたからには新しい『出会い』も用意している。新しい何かを齎すとき、ユニコーンは『虹』としてサインをくれるよ。
ユニコーンがついている人とは?
これは事例が『私』しかいないから、これをすべてデフォルトとして捉えるのはどうかなとは思うんだけれども。
ユニコーンがついている人は、嘘を見抜くのがうまい——と書きたいわけなんだが、少なからず私は嘘を見抜くのがうまいわけじゃない。
だけど、勘がいい人は私と出会ったり、私と話をしている最中にこのように述べる。
「あなたには嘘をついたら見抜かれるから、嘘はつかない。」
と。
ユニコーンがついている人は嘘を見抜いていると思われる。が、当人は人が嘘を吐くだなんて1ミリも思っていない。思っていないから、嘘をつかれたと知った時には驚きがある。
ユニコーンがついている人は本音で生きている人たちが多い。しかもピュアピュアな本音。(書いていて恥ずかしいが。)
基本的には「美味しいもの好き~」だし「楽しいことしかしなーい」みたいな感じ。とにもかくにも、幸福を常に実感している人たちにユニコーンはバックボーンとして存在している。
ユニコーンの一角たる第三の眼の存在
ユニコーンがついている人は、たびたび第三の眼がうずく。それはもう激しく疼くときもあれば、ジクジクするようなときもある。
たいていは第三の眼は使っていないし、第三の眼を意識することもないような生活をしているなかでも「なんだこれ?」っていうぐらいに第三の眼が痛むことがある。
これはもうここ最近ずっとそうなんだけれども、そこに『不浄なもの』が存在しているとき、私の第三の眼はめちゃくちゃ疼く。ガチで脳髄がグズグズに痛む感じに痛い。
ユニコーンが持っている角が疼いて出てくるとき第三の眼が痛いのと、直感が冴えわたる感じがするのである。だけど、不必要なときは何もないし、第三の眼もクソもない。
何が出来るのかというと、そこに霊がついているときはそれが脳裏に見える。
また、そこに『闇』のような——。純粋とか、乙女とか。ほかにもピュアな精神性とは程遠いものが『そこ』に存在しているとき、無性に腹が立ってかなわない。
ユニコーンは『乙女以外にはなつかない』『乙女以外には獰猛』とよく書かれたモンだが、そんな感じで腹が立ってかなわない。
そこにあるエゴイズム、そこにある嘘、そこにある動機の闇。いろいろな理由はあるが、そこに純粋ではないものが存在し、またそれが私に降りかかる火の粉となるとき、ユニコーンは無情となる。
ユニコーンが持つ第三の眼の使い方はこのような感じ。私がブチ切れるとき、そこには不浄な動機があったり、それで私に迷惑をかけているってことなのだと思う。で、その迷惑がかかっていることに私は気づかないことが多い。
私のある種鈍感なところなんだけれども、この世に悪い人はいない感覚を地で進むゆえに悪に鈍感すぎるところがある。それを補填してくれているのがユニコーンなのである。
私は人が嘘を吐くということも理解ができない。嘘を見抜いていると言われるが、見抜いているんじゃなくて何も考えていない。何も考えていないからユニコーンがついているのだと思われる。その部分を補填しないと私は生きていけないから・・・・・。
恋愛は不誠実ならばユニコーンに縁を切られる件
ユニコーンがバックボーンについているとき、お付き合いする相手はもちろんユニコーン様のおめがねに叶わなければならない。
とても単純なことである。うちのお姫様を大事にしろよ、と。まず、大前提に『誠実さ』が重要になってくる。
ユニコーンがついている人って『純真』なわけで、邪気がない、悪意がないっていう『悪の概念がすっぽりない』わけである。そこにもし『悪』があったとしても、それに感知しない。よくわかっていない。
嫌味を言われてもよくわからず、暖簾に腕押し。たとえば、マウントされててもよくわかっていないし、世間知らずのお嬢さまのようなもんだと私は思っている。自分で言うのもなんだけど、わからんもんはわからんのである。
ただ「なんとなく嫌だな(´・ω・`)」ぐらいはわかっていたりもする。あからさまな嫌がらせをされればさすがに経験上理解する。だけど、その経験以上に「この世に悪い人はいない」っていう謎の自信から「気のせいだ。」とか「嫌なのは自分の心が汚れているせいなんだ。」とか、自分に目が向かい、外の存在に対しての『悪』に目を向けない。
ゆえに、お付き合いする相手は『誠実』が一倍に重要視される。
で、ユニコーンがついている人って、お付き合いをする人に全身全霊で信頼を置く。というが、それが礼儀だと思っている。
でも、それが実に真逆に働くときがある。男性は特に傲慢のようなものが現れることがある。
「何をしてもいい」と思うわけである。何も文句がないから、何も言わないから、受け身で従ってくれるから。
ユニコーンもブチギレますよね、うちのお姫様になんたること! になると、数か月——。約三ヶ月から半年ほどの期間を経て縁切りさせる方向性へ向かう。
ユニコーンが嫌うもの『支配』だったりする。
お付き合いしていると、ユニコーンがついている人の自由っぷりはハンパないことがわかるかと思う。例えれば「スズメは水色なんだ・・・」と水色のスズメを書き始めるぐらいには、この世の概念を飛ばしてる。
自由だし、何をしても邪気がない。悪意もない。何も知らん、わかっとらん存在だから支配が出来る。
で、またユニコーンがついている人は『支配しやすい』っていう理由もある。だから、支配されないようにユニコーンが守っているとも言える。それはユニコーンが馬だったからかもしれない。
馬は人に支配されている動物のひとつでもあるから、その経験から支配に対して敏感ともいえそう。だけど「支配されてもいい」と思う存在がいる。
支配されてもいいと思う存在とは『自分を大事にしてくれる人』なんだよね。
悪意がない・邪気がない
前述しているけど、ユニコーンは「悪意」とか「邪気」みたいなものに敏感。
ユニコーンも「誰につこうかな。」っていう考え方はあるようで、やっぱり悪意とか邪気がある人にはつかない。
マウントとりたいとか、人よりも優位に立ちたいとか。ユニコーンも支配されてきた記憶から「もう支配しない人と関わりたい」のだと思われる。それに「従う人は尊敬できる人」っていう考え方もあるし、「絶対的に自分を不幸にしない人」と関わりたいと思っている。
ユニコーンがついている人は、上記の通り『人を自分の言いなりにしようとしない心』があることや『人よりも優位に立ちたいと思わない心』とか。いわゆる、馬心ってやつをちゃんと理解してくれている存在が好きなのだと思われる。
馬心とは、馬が人に支配されてきた記憶のなかで、馬への配慮があるかどうか。私たちのなかにある『馬性』みたいなものは『支配される側の奴隷意識』なのだと思われる。
自分の思い通りにすべてのことが進まなければ嫌だっていうワガママさよりも、自分の思い通りになることよりも人の思い通りにさせてあげようという心の方がユニコーンは好き。
ここは馬への共感性を発揮せねばならないところなのだと思う。ユニコーンに好かれるには。
したらば、ユニコーンも「悪意がない」「支配がない」と思えば、その人のところへついていく。やっぱり悪意も支配がない人の方がユニコーンも馬は馬だから、人につかえたいって思うのかもしれない。それが『処女性』であり『エゴイズムを知らない無邪気さ』にあると考える。
ユニコーンがもたらす幸運『金星の使者たち』
ユニコーンの象徴として『幸運』や『幸福』など、吉兆と呼ばれているものがある。
ユニコーンがついていることにより、金星の恩恵をもらえるのではないか——と考えている。
それは『幸せ』とか『幸福感』とか。不安や恐怖におびえることのない楽観性などもそうなのかもしれない。
どうして私がユニコーンの記事を書こうかと思ったのか。それは最近、占星術でホロスコープで私の生年月日を見てもらったんだが、どうにも『金星』って文字を見て「あれ? ユニコーンって金星の生物・・・? 金星の使者・・・?」という感覚がしたのが発端にある。
いわゆるユニコーンは、金星の恩恵を保証している存在なのではないかと考えた。
金星と言えば『愛と調和』であり、アフロディーテやビーナスである。豊かさの意味などもあるが、ユニコーンがついている人はこのように思っている。金じゃない。
調和のなかで生まれる循環こそが豊かさの神髄なのである。そして、循環のなかにある豊かさ(お金を使うこと)が調和に繋がっている。
金星のなかでも美等あるが、たしかに私はまだ肌が毛穴レス状態である。ちなみに今は化粧水も何もつけていない、使っているものは日焼け止め程度。特に注意していないけれども、肌は維持されているな・・・・。最近は吹出物もほぼゼロになったしなァ。
たぶん、ユニコーンがついている人は「若々しさ」が保てるのかもしれない。
私にユニコーンがついたときの話
私にユニコーンがついたのは、それはもう二十代半ば。たまたま遊びにいった学生時代の友達が持っていたユニコーンのタロットをつかって占ってほしいと言われ占った。
とても素敵なタロットで、ものすごいエネルギーはなっているタロットだなーと思った。
ただ、その持ち主に難があった。当時はよくわかっていなかったんだが「勝ち組」の話をされていたので、私はマウントされていたのだと思われる。ちなみにそのときの私は勝ち組っていう用語の理解が出来なくて「勝ち組って何だろう・・・何を定義して勝ちなんだろう・・・」と思っていた。(こういうところが、なんかこう・・・・うん・・・、過去の自分だがよくわかっていないやつだなと思う。普通にただのマウントだった。)
その人が持っていたタロットのなかには、たぶんユニコーンがはいっていたのだと思われる。タロットに霊獣が宿っていたって感じ。
案の定、そのユニコーンも腹を立てていたというか、ユニコーン的には嫌がっていたのかなと思う。
その人と話しているとき、ものすごくおでこが痛いのである。痛くてジリジリする感覚がしてならない。第三の眼が活発になるのだと思われる。そこにある邪気に反応していた。
最終的には、私とその友達とは縁を切ることになったが、ユニコーンは「支配はもう嫌。」っていうのと「もう使わないでほしい。」っていう感じだったわけだが、私がそう言い放って縁切りになった。
自分の思い通りにならなければ怒って癇癪虫を飛ばす人(虫持ち)だった。
私とユニコーンの縁ができたのはこのとき。
ユニコーンにツインレイの縁を切られながら——
色々ある。とにかく色々と縁を切られていく状態になる。まずはユニコーン目線で『大丈夫』と思える人たちの少ないこと、少ないこと。
なとりさんを支配しようとしたり、道具にしようとしたりすると、その瞬間に私のなかにいるユニコーンが怒り心頭になる。
そこにある悪意に私は気づかず、なぜか無性に腹がたってしかたがない状態になるが、あとあと「そういうことだったんだなァ」と実感する。
恋愛に関しても色々とある。そのなかでも、ツインレイの彼くんと縁切りされたのは痛い。が、ユニコーンが水から夢に出てきて「切ったから。」と言わんばかりのドヤ顔されるわけなんだけれども、考えてみれば、彼くんは私に対して支配しようとした。
それは「いい子でいて!」と怒ったときである。このときからユニコーンさんは徐々に縁切りの方向性へ向かわせた感じ。
自分の思い通りにならないときに「自分の思い通りでいて!」と押し付けられる馬って感じのイメージならばわかるかな。お腹が減って「にんじんくれ~」と馬が騒いでいたとして、その馬に「静かにしてて!」と叱りつける感じ。
馬心としては傷ついてしまったのかもしれない。
どうして彼は私を支配しようとしたのかといえば、それは『本音に従っていない』わけである。本音に従っていないからこそ、支配しなければならない。エゴのために——。
だから、最終的にサイレント期間を迎えた段階で『本音ではない本音を言う』ようになってしまう。その方向性へ向かい、本音ではない嘘を『本音』として捉えていることにユニコーンは「さよなら」を言い放つようになる。
ツインレイの彼の課題も、もちろん、私の課題もだが「本音を大事にすること」が重要になるが、彼は何度も何度も嘘を塗り固めていった。
その嘘が最終的には第二サイレント期間前にてハリボテとなってふたりの関係性による崩壊を迎える算段だが、その嘘さえも愛することが求められていた。
ユニコーンの課題は『嘘と本音』にあり『エゴイズムによる支配』がある。
根源に存在している本音に向き合うとき、ユニコーンは現れる。だけど、その本音を受け入れることはなかなか難しいことなのかもしれない。
本音を手に取るときの私たちは、常に危険にさらされることになるためだ。その危険から守るようにしてユニコーンは存在している。