四大元素による統合と光と闇の統合(六大元素の統合の経緯)|ツインレイと錬金術③

2023-12-16

| Ⓒ なとり

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さよなら、ツインレイ Kindle版
さよなら、ツインレイ

当時はこれでおしまいなんだ・・・。そんな風に思いながら書いた『さよならツインレイ』。結果的にさよならしたのは、神交法の相手であるツインレイの霊体だった件。今更振り返って読んでみると納得がいく一冊だが、当時はよくわかっていなかった。

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錬金術では、先ず『哲学者の卵』のなかへ物質を密封させ、さまざまな過程により物質を純化させていく。

純化の過程のうち『分離』の過程を経た物質は『対極性』を持つ一極性の物質となる。(善悪の分離にある、私が『自己統合』として多くの統合のひとつにある。)この対立しあう存在をひとつにまとめていく過程を経て生み出される存在が『AZOTH』という。

AZOTHとは、太陽の王と月の女王の合体により生まれた子供を意味する。

 

純化の過程のひとつとして四大元素の純化も存在し、四大元素が純化した暁には『プリマ・マテリア』という第一原質となる霊の元素が出現することになる。

四大元素とは『空気(シルフ)』『火(サラマンダー)』『水(オンディーヌ)』『地(グノーム)』である。

この四大元素の源たる存在が第一原質となる『プリマ・マテリア(霊の元素)』ということ。

この霊の元素にいたるまで、私たちは純化させる必要性がある。

 

この時点で、もはや何がなんなんだかさっぱりである。

 

もっとも魂を黄金化させていく過程においてでの説明では『哲学に没頭せよ』ということでもあるように感じられる。哲学的に考えるとき、私たちはもっとも真実への追求を早めることになる。

いわば『道理を踏まえよ』ともいえる。人生のなかで道理を最も重要視して生きていくと、最終的には『純化』が進むわけだが、同時に道理を踏まえているからこその人生の波乱が生じる。なんかよくわからんけど、人生が不成功な方向性へ進むため、私たちは『欲求』のほうへ進むことをよしとしやすい。

哲学的に、道理を重んじる。この人生たるや、人としての欲求を捨て、また煩悩を失っていくが為に『楽園へ孵る魂』へと組み替えられるのである。

この過程において私が重要視しているのが『事実を見極めること』にある。

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四大元素による光と闇の出現

図の説明:空気の象徴
図の説明:空気の象徴
図の説明:火の象徴
図の説明:火の象徴
図の説明:水の象徴
図の説明:水の象徴
図の説明:地の象徴
図の説明:地の象徴
空気
シルフサラマンドラオンディーヌグノーム
ユニコーン鳳凰(不死鳥河川大地(野)

上三角は『霊』を表し、下三角は『自然』を表している。

この図そのものが四大元素を霊の出現にまで至らせる過程を意味しているのだと思われる。

図の説明:空気と地の結合の象徴
図の説明:火と水の結合の象徴
空気と地の結合火と水の結合

空気と地は、相容れず。また、火と水はも相容れず。

空気は地に溶け込むこともなく、地は空を舞うこともない。火は水を消し、水を火は蒸発させる。

相容れることのないふたつの元素が統合されるとき、私は『ペガサス(ユニコーン)』と『不死鳥(鳳凰)』の夢を見たようなのである。また、このとき、ツインレイとの離別も明確に明らかとなる少し前のことでもある。

それぞれの対立により、現実でも多くの喧騒が起きる。

 

空気と地の結合により、夢見では大地に存在するユニコーン(ペガサス)として象徴された。

火と水の結合により、夢見では大きな川の上に存在する鳳凰(不死鳥)として象徴された。

空気と地、火と水の結合により、それぞれの新しい物質も出現することになる。

図の説明:空気と地の結合により闇が出現する
図の説明:空気と地の結合により闇が出現する
図の説明:火と水の結合により虹が出現する
図の説明:火と水の結合により虹が出現する
虹(光)

ユニコーンは『闇のなか』に現れ、鳳凰は『虹の上』に現れた。このことから、空気と大地による結合は闇をうみだし、火と水による結合は光を生み出すのである。

それぞれはこのように暗示する。

闇のなかにある自由と、光のなかにある自由である。

不死鳥による自由と、ユニコーンによる自由はそれぞれ違う。空にある自由と、大地にある自由である。またそれは『自然(natural)』にある。

私たちは自然のなかに存在する自由にある。そして、それが『自分』なのである。

最終的に私たちは『自由なる自分の闇』と『自然なる自分の光(虹)』を統合させていく必要性がある。

 

第五元素として『エーテル・光』等あるが、対局するようにして『闇・影』も存在しているということである。

 

このとき、私たちの世界は闇へと落ちる。

ペガサスの神話と硫黄


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私のなかではペガサスもユニコーンも同じ存在なのだなと思っている。

神話のなかでペガサスが出てくるのは『アテナ』のギリシア神話にある。アテナが黄金の馬具をつけることにより、ペガサスを御した話が残っているが、ペガサスもユニコーンも狂暴であると語られている。

ユニコーンにいたっては『処女』であることを好み、処女ではないことを知ると怒り狂う等の話などもあるが、これは性行為を行っていない存在である処女のことではなく、精神的な部分で純粋であることを意味している。

つまり夢のなかでユニコーンが懐かなかったら『けがれた部分』があるとし、錬金術は失敗となる。

 

錬金術のなかでアテナは『硫黄』として捉えられている。

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ヘルメスの神話と水銀

錬金術のなかでヘルメスは『水銀』として捉えられている。

ヘルメス神は翼の生えた靴をはき、飛び回るため、旅行の神でもある。鳥にも深い所以があり、私のなかでは「鳥船さまだな~」と思っている。(私の憧れの的——鳥船さまである。)

鳥船さまも足が速い。というか、必要あらば飛んでいき、必要な存在を連れてくる。大国主から国を譲り受ける際には大活躍した鳥船さま。足が速いし、飛ぶの早い。頭の回転も速いし、雄弁でいらっしゃるがゆえに、国譲りを成功させた当本人とも言っても過言ではない!

というのがヘルメス神と同一視されるのだと思われる。錬金術のなかでもトト神について書かれていることなどもあり、これがまた『ヘルメス』という錬金術師であった。(ヘルメス文書というものも錬金術では残っているようだ。)

 

ヘルメスによる不死鳥とはいかなることがあっても復活することにある。

何があっても起死回生としていく性根を意味する。

 

とりあえず、ヘルメスは『鳥の神』なのである。

硫黄と水銀の気質

硫黄とは『ユニコーン』に導かれていく。硫黄の気質は燃え盛ることにあるが、私たちが地獄の業火に焼かれ続けることにより死へ至る経緯をも意味している。

私たちは焼かれ続けていくなかで『煩悩』『欲求』を手放していく。多くの執着なども手放されていく。

水銀は『不死鳥』に導かれていく。水銀は直ぐに状態変化を起こすことができるゆえ、起死回生とする。何度に渡り焼かれようとも、繰り返しやり直していく根性にある。

このふたつが自身のなかに存在しているとき、ユニコーンは当人の欲を祓うことになる。不死鳥はやり直す力を表す。

自身のなかにユニコーンが不在であれば『不貞』『傍若無人』を意味し、自身のなかに不死鳥が不在であれば『やり直す力』が存在しない。聡い人はここで多くを理解するだろう。

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『存在』と『自然』『自由』

ツインレイの話の中でも『存在』について書いたことも多々あった。それがここで繋がってくる。

物質は光に照らされた時、影を映し出すということだ。その物質が『私たち』にある。

図の説明:光を物質にあてると影が生じる
図の説明:光を物質にあてると影が生じる

いわば、私たちにとって光と闇(影)——私はこれを天使と悪魔に暗喩していたようだ——がひとつになるには、物質の中へ光と闇を統合させていくことにある。

私たちはこの『物質そのもの』をしっかりと構築することが出来ているか——を問われているのである。

この物質、もとい、存在とは『哲学』にあると考えているのが錬金術なのではないかと思う。その人が持つ思想、その人が持つ生き方、その人が持つ理念など、存在感とは人が持つ思想そのものではないか、と。

思想そのものが成立していればしているだけ、影の投影が成される。また光も成立すると言う算段だ。

 

最終的には、この光と闇をひとつに統合することにより『物質そのものが黄金化』であり『賢者の石』として成立すると言うことだ。

賢者の石とは『存在している』という物質感から『石』という言葉にかえられているが、私たちにとって『私という存在』を自らが認識すること——自分が何をしているのか、自分が何を言っているのか、自分がどのような存在なのかの知覚という客観——により、自らが自らを認識し続けることが光と闇の統合性にあるのではないかと考えられる。

人はもっとも『自分は善である』という思想に傾倒するが、必ず『悪である』という視点も必要である。そして、悪であることを受け入れることが『存在』であり、また、そのとき必ず自らが善であることを放棄せねばならない。

しかし、賢者の石の段階では『善悪』の概念をひとつにまとめるもうひとつの視点を手に入れることができる。悪を許すことではない、また悪を喜ぶことでもない。しかし、自らの背中を見ることにある。

自らの悪を理解し、そのうえでまたより一層生きることは『善悪』という概念を凌駕し、ひとつの『石』となる。

賢者の石とは、最終的には『四元素をひとつにまとめる経緯』により錬金され、その経緯では『光と闇』が発生し、より一層、四元素をひとつにまとめることで『石』が成立すると言うことだ。

石こそが『存在』にあるということである。

図の説明:四大元素が統合されていく経緯
図の説明:四大元素が統合されていく経緯

また、この経緯についてを四大元素により明確に図式化してみる。

図の説明:四大元素(六代元素)を元にした陰陽図
図の説明:四大元素(六代元素)を元にした陰陽図

存在とは『空気』『大地』『火』『水』をもとに『光』と『闇』を生み出し、そのすべてを総括したとき『自然』と『自由』が生まれ、『自ら』という存在そのものを導き出すことができる。

『自ら』とは、世界のなかで自由を動き回る存在のことを意味する。そのとき、私たちは『哲学者』であり、また『賢者』である。

自然とは何か、自由とは何か。その問いかけにおいての結論を体現するとき、私たちは『自ら』である。

このとき、私たちは自然とひとつであり、自然は私たちでもある。存在とはすべて同一であり、また存在とはすべて分離された存在でもある。

自然とは私たちのことであり、私たちが自由であるとき、自然は味方をする。

自然が自由であるとき、私たちは自然の味方である。どちらも均衡がとれているとき、私たちはいつだって『自分らしく』存在することがでいる。

 

この過程においての結婚により私たちは『存在』を生み出す。この存在そのものが『AZOTH』なのかな? と今は思っている。

私たちは従来の自分を『自分』と思っていたかもしれないが、本来の自分を『自分』として認めたとき、新しい誕生をむかえる。新しい誕生の為に、私たちは従来の自分へ死を迎え、次なる自分の生誕をむかえていく準備を行っていく。

この段階を錬金術と呼び、新しい自分を誕生させた暁には、私たちは『新しい自然で自由』な存在となる。

パソフィスト

また、これを夢にて『パソフィスト』と呼んでいた。

path fivist

綴りがあっているかわからない。fiveにintをつけた。5番の道筋主義ってことですね。

5といえば10の中腹にある。私はこの数字がなかなか好きである。(数秘術で5の研究をするぐらいには。)

5は『自由』の数字にある。私はこの数字を、束縛のなかにある自由と呼んでいた。束縛を理解したうえでならばいかなる自由をも許される数字にある。しかし、人はそれを『不自由』と呼ぶ。

なぜならば、自然そのものが不自由に感じられるためだ。自然に振舞うことがでいないために、不自由に感じられるのがこの5の数字の特性にある。

しかし、新しい視点を持って自然を束縛と感じられず一体と感じられる我が身において『自由の数字』とは、妙に落ち着く感覚がある。

束縛を感じていたのは『自然の法則をよく理解していなかったから』である。

 

そして夢ではひとつの意味を教えてもらった。演じることで、それが現実化することなのだそうな。そもそも私たちにアイデンティティなど存在していないのである。

自由である。何をしようが、この自然の法則性を重んじることができれば『自由』なのである。

自然の法則とは『哲学』にある。この道にある人たちが理解をし、また智恵となりゆく経緯に、私たちは『賢者』へと到達していく。