それは遺伝子だよ。
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Kindle版
さよなら、ツインレイ
当時はこれでおしまいなんだ・・・。そんな風に思いながら書いた『さよならツインレイ』。結果的にさよならしたのは、神交法の相手であるツインレイの霊体だった件。今更振り返って読んでみると納得がいく一冊だが、当時はよくわかっていなかった。
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聞かれたような気がする。
「なんで彼くんがいいの?」って。
それは遺伝子がいいから。相性がよさそうな遺伝子っぽいから。
彼くんのどこがいいとか、何かしらのいいところがあるとか。そういうわけでもあんまりない。そんなものあとからついてくる。
ほとんどの直感レベルの「この人がイイ」理由なんて遺伝子の相性が良さそうだからでしかない。
私たちのご先祖さまが「こいつはいいぞ!」みたいな直感をもたらしてくれている。
私はそれを信じている。
私は私の遺伝子と、私の先祖のデータを信じている。だから、私は彼を直感的に「こいつはいい遺伝子だぞ!」と思ったんじゃないかな。
だけれど、たぶん、自分の先祖を信じるとか、自分の遺伝子が好きじゃない、とか。そういう感情があると、真逆に走る可能性はあるかもしれない。
ただ、私はそれが今んとこあまりない。
実際、家族の問題もたくさん抱えていたけれども、それもひとつひとつ乗り越えてきた。家族を好きになる努力をしてきた。
ああ、これでよかったんだなって最後の最後には着地している。この家系に生まれてよかったな、この家に生まれて良かったと、そのように思っている。
すべてにおいて私は「これを望んでいた」のだと。それを理解したとき、私は自分の遺伝子を受容している。
だから、私の先祖は皆こぞって遺伝子を通して私の味方なのだよ。
私は先祖をちゃんと愛しているぞ。受け入れている。
私の家族はあまり祖父のことが好きではないらしい。ただ、私はこの遺伝子も気に入っている。
私は、この聡明な視点と、ユーモアあふれる言葉はこの祖父の遺伝子により溢れてきていると思っているよ。
「人の鼻は、ずっと高くなり続けるんですよ。」
そうやって祖父は言葉にしたらしい。つまり、人はすぐに天狗になるし、鼻が高くなり続ける。そしてそれを気をつけなさいと言ってくれていた人。ちゃんと教訓を残してくれた人。
それはやっぱり祖父が鼻が高くなるだけのものを持っている人だったからなんだと思う。
神童と呼ばれたかもしれないが天狗になってはならないと、祖父が自分に課したものなんじゃないかと。
そして私はそれを引き継いでいる。
多くの人からすれば鼻持ちならない人だったんじゃないかと言われている。どうなんだろう、上から目線の本当に高圧的な人だったんだろうか。今考えても、私が幼少の頃に亡くなったからわからないが。
だけれど、なとりに物凄くよく似ている人だと思う。でも本当、学力的な意味では天地ほどの差があるが。日本の一番上と一番下ぐらいな感じ。
本当にそうだったのかな。私の考えだと、すごく「日本のこと」を考えている人だったと思うよ。私が父から垣間見える話を聞く限り、日本の未来についてをよく考えている人だと思う。
たしかに日本のベクトルでものをみとる人って、自分のベクトルでものをみとる人からすれば、「嫌な人」だと思った。だって皆政治家嫌いじゃんって感じのこと。
彼くんとの縁を結んでくれたのも、私はこの祖父の遺伝子だと思っている。
なんだろう、「縁による幸福」を考えたとき、最良の縁を結んでくれたんじゃないかと思っている。
なんか彼くんをみていると、なんかこう、、うーん。祖父がダブるときがある。ゼンゼン似てないと思うんだが、なんかこう、なんかが似ている。
私は人がするべきことは「血を残していくこと」だと思っているし、人類が繁栄していくことなんだと思う。
人がするべきことは子供を残すこと。正直、今の時代は子供を育てることが娯楽の時代にもなってしまった。
やっかいなことに天災なんかなくたって、今の色々な政策や世界の動きをみている限り、二百年後あたりには今の人口が三割になっているのは当然だと思う。もうそのような流れとなっていると私は見とる。
知っているかい、もう日本は一億人の人口を切った。由々しき事態となってきたよ。
国を維持をするのに最適な数字は一億前後なんだが、これからどんどん人口率は落ちるだろう。
そして、その拍車をかける政策も進んでいく状態を見越しての日本も頑張って「話を先に進めさせないようにしている」んだが、なかなかこの話もディープすぎて出来ないよな。
今「好きな人と結婚が出来ること」が重要視されているような気がする。
私はこれ、ちょっと違うんじゃないかなと思っている。
結婚って「よし、この人と結婚するぞ」っていう覚悟をひとつ決めるかどうかの話。
この覚悟ひとつ決めずに結婚すると、絶対に不幸になるよ。
この人が持つ散々の苦労と、共に生きていくこと。それが結婚だと思う。
だけれど、今、恋愛結婚が主流となって、好きだの腫れただので結婚をする。だから、そこに覚悟のない結婚が生まれる。
流されて結婚するようなものだ。流されて結婚してうまくやっていけるのは、本当に相性のいい夫婦だけ。
でも、本当に相性のいい夫婦なんていないよ。
流れて結婚するってことは運気の流れで離婚するってことでもある。つまり「運命に流される」ってことでもある。
だから「覚悟する」という私たちの意識はとてつもなく大事なこと。たったひとつの心持ちは運命をしのぐよ。
夫婦の関係性はふたりで構築していくこと。その構築をしていく覚悟、共に生きる覚悟をきめられる相手ならば誰だっていいんだよ。相性が悪くたって「いっしょにやっていく覚悟」があれば、なんとかなるよ。
この人のためならば自分は我慢ができる。そのように思えるような人を選べばいいだけ。それは好きじゃなくて尊敬なのかもしれない。
この人のためならば自分は頑張れる、何があっても、一緒にいきていこうと思う覚悟。
人生って問題だらけなんだよ。問題がない人生なんてひとつもない。みんな、何かしらの問題を抱えている。
結婚もそう、なにかしらの問題を抱えている。
だけれど、この人の問題ならば、いっしょに背負っていける。いっしょにやっていける。この人の苦労を自分はいっしょに背負っていけると思う人と結婚すればいい。
起業主さんなら、明日、三億の借金をしたとしても、発狂せずに共に歩いてくれる人と共にいたいと思うでしょ。
起業主じゃなくても、同じように「何かの問題があったとき、その問題を一緒に乗り越えていこうと思える人」がいいのね。
それがもしかしたら「好き」なのかもしれないんだが、好きなんて感情、三年で終わるぞ。
大事なのは、結婚を決める時に「覚悟」をしておくことだと思う。
自分が「結婚をする覚悟」。
この覚悟ひとつ決めておくことができれば、未来に何があっても文句はでないし、なんならすべてを受け入れて生きていけるよ。これが離婚しない秘訣だと思う。
そして、私が彼と結婚を考えたとき、先ず一番に考えたことは「私はこの人を幸せにできるんだろうか」ってことだった。
もし、いかなるよき条件であれども、私は出来ないと思えば身を引くことの方が多いし、どんなにお付き合いを求められてもお付き合いはしない。だって幸せにしてやれないんだもん。
人それぞれ家庭に求める幸福の形がある。その幸福の形をちゃんと見つめれば、誰ならば自分が幸せにしてあげられるのかがわかるよ。
なんか、昔の人たちが離婚がなかなかできなかったってよく言うけれども。私が思うに「結婚をする覚悟」がちゃんと決められる人たちだったんじゃないかなと思っている。
この区切り区切りに「よし、私はこの家に今日から嫁ぐのだ。」と覚悟を決め、「このなかで私は幸せを見つけるぞ。」と思っていた。江戸時代なんかはもうマジで結婚なんて自分の思い通りになんて出来ないことのほうが多かっただろう。
だけれど、私たちはその時代のなかでの遺伝子で「覚悟を決めて結婚してきた遺伝子」があったと思う。それを思い出せばいいだけのような気もする。
今更ながら、彼のどこがよかったの? とか聞かれてもさ。
わからないんだよ。ただ、私の本能が「こいつだ」と思った。それだけ。それは私の遺伝子が訴えてきただけ。
私の遺伝子が「こいつならば、私を幸せにできるぞ。」と全力で教えてくれていた。
それはもうわかっていたけれど、じゃあ、私はこの人を幸せにできるのかと考えたとき、私は「できる」と踏んだ。
そして、私は自分の知性が結婚と共に成長しなくなることも知っている。
勉強をしなくなる、安心してしまうから。
見ての通りだ。この通り私は「もう何もしたくない」とか言っている。
この通り、私はもう何もしないだろう。
結婚ってそういうことなんだと思うし、女ってそういう生物なんだと思う。
だからこそ、私は自分の知性をしのぐ異性じゃないと無理って感じだった。
そして、私に知性を求める異性も無理って感じ。もともと賢いわけでもないしな。
彼はそうじゃなかった、私に対して知性を求めていなかった。だから私は彼が良かったかな。
遺伝子的にも私の直感は「彼がいい」と思っていて、私の理論上でも「彼は最適」だと認識した。
彼は私よりも若いけれど、そのうち、私を超えてしまうよ。そんなん直ぐなんだよ。
さびしいけれどね。男の子の成長は早いからね、どうしてだろうかね、やっぱり女は女だなァって思うよ。
女になってしまえば、私はなんもわからなくなるだろうと思った。
なんも判断がつかなくなるだろう。それは安心を覚えてしまうからだと思う。そして、それが女の幸福でもある。
そして、その判断がつかなくなるとき、頼りない人じゃ困るんだよな。私の知性をアテにされちゃ困る。
女がバカであるってことは、そこの主人が優秀ってこと。だから夫をたてるんだよ。
そして、女がバカな女になってくれるからこそ男は立派な男になれる、だから男はその女性を守らなきゃいけない。
これが男尊女卑な。中国古典。女は一歩引けよ、男は尊敬される男になれよってこと。
男女の関係の基本中の基本のカタチ。
私はずっと「女」ではなかったよ。ずっと「子供のまま」だった。
そうやって自分を女性にしてくれる人を待っていただけだと思う。
私は彼ならば、私は女におりてもいいと思った。たててもいいと思った。
あのときは、そう思った。
女は何かを持って嫁ぐんじゃない、何も持たずに嫁ぐんだよ。すべてを捨ててね。
そりゃ覚悟がいることだと思うよ。その覚悟を持って嫁ぎ、その覚悟を受け入れるのも男の器量なんじゃないの。
「素敵な男の人になってね。」