ツインレイの『現実を動かす』と『環境を動かす』の違いについて。

2024年8月16日

| Ⓒ なとり

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ツインレイステージまとめ

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さよなら、ツインレイ Kindle版
さよなら、ツインレイ

当時はこれでおしまいなんだ・・・。そんな風に思いながら書いた『さよならツインレイ』。結果的にさよならしたのは、神交法の相手であるツインレイの霊体だった件。今更振り返って読んでみると納得がいく一冊だが、当時はよくわかっていなかった。

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この4年の間に表面的には何も変わっていないのだが、内面的にはすこぶる変化しまくったというようなイメージ。

現実面はほとんど何も変わっていないかな。だけれど、私の周囲を取り巻く環境はほとんど変わった。

図の説明:ツインレイが動かすべきは『環境』である

たとえば、現実を動かすとなると自分がいかに行動するのかによって現実が変わっていく。ものすごく当たり前なのだが、その行動が出来ない状態が『現実を動かせない』という状態。これは『意識』に問題があるとき。

もうひとつ。自分ではどうしようもない領域がある。それは他人のこと。他人のことはどうしようもないんだが、その領域が変化することが『環境が動く』とする。この環境は『無意識』に関係している。

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ツインレイの『現実を動かす』とは

こんなタイトルの記事を、そういえば書いていた。

現実を動かすとは「自分がいかに行動をするのか」の決定権を自己に持たせることにある。

私たちは発言、行動、心理とあるが、自分がどんな発言をするのかは自分が決め、自分がどんな行動をするのかは自分で決め、自分がどんな心を持つのかは自分で決めることができる。

つまり『意識』によって、発言行動心理を決めることができる。

しかし、私たちは「つい、相手に流されてそう言ってしまった」「相手に流されて行動した」とか「相手に触発されて自分のなかが怒りですべてを支配された」というような事態に陥ることがある。このとき、私たちは、発言行動心理を支配することが出来ていない。なんなら無意識が支配をしている状態にある。

私たちは何も考えずにいれば、無意識が自分の行動すらを支配しているものだが、私たちは意識をもって自分の発言、自分の行動、自分の心理を支配することができるようになるとき、私たち自身は『意識的な存在』となることができる。

この意識的な存在になることが『現実を動かすことができるようになる人間』である。

現実が動くとは、自分が動く範囲で現実を動かすことができることにより『現実が動く』のである。

 

こちらが出来るようになるのが地上のツインレイである。だから地上のツインレイは自分の行動をコントロールして相手の気を引くことも出来るんだとは思う。

ツインレイの『環境を動かす』とは

次に『ツインレイの環境を動かす』というテーマがあげられる。こちらは現実を動かす地上のツインレイと対比するように、楽園のツインレイが行うことである。

もっとも私たちにはどうしようもないものがある。それが「人の心」である。

人の心を支配し、人の気を引くことはできる。そしてこれが人の心を操作することは、自分の行動や発言により可能だ。自分のすべてが相手へ影響を及ぼすことを知っていれば、洗脳が可能なのである。

楽園のツインレイの段階では、環境を動かすことであり、それは『自分がいかなる環境を望んでいるのか』をテーマにあげる。

この段階のツインレイたちは、自分が背中に地獄を背負いながらも、その地獄のなかで『救世主』という立場にたっている犠牲側の存在なのではないかと思っている。

この段階のツインレイたちが行うべきことは『自分の無意識領域の組み換え』を行っていくことにある。

この無意識領域のなかには、自分が人生のなかで吸収してきたデータが詰め込まれている背面チャクラがテーマである。(現実を動かすことは前面チャクラにある)

この背面チャクラにより存在している『自分』こそがツインレイである。いわゆる、背中合わせの自分がツインレイ。その背中合わせとなっている存在を愛し、受け入れることにより『己のなかにもうひとりの自分』を構築することになる。

このもうひとりの自分は環境に作用する。

意識は現実へ作用する 無意識は環境へ作用する
図の説明:現実は自分が行動を起こすことで変化する
図の説明:環境は無意識により構築されている

つまり、自分自身の環境がいかなるものになるのか? については自分とは背中合わせとなっている存在により構築されている。

この背中合わせの自分が「最悪なる地獄の住人」の場合、環境は地獄となる。そして、その地獄の環境のなかに用意される人々も、たいてい『地獄の住人』であり、自分へ何を求めてくるのか等も『救世主を求める』かのようなメカニズムにより生じる。

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無意識体と環境に繋がるために

この無意識体によりツインレイが構成されるための条件がここでわかる。(なんで、殿さまとかが私を持たずとすることにより世を平和を維持したのか——というと、この無意識を管理することが殿さまには求められたってことなんだよな。だから苦行を強いられる。)

無意識体によるツインレイは『自分のいかなる環境であれども全受容』である。無意識体とは自分の中にある無意識でもあるが、裏を返せば『環境そのものが無意識』ともいえる。

つまり、無意識にアクセスするよりも環境そのものが無意識なんだから環境を全受容すれば、無意識を認識できるようになる——ということ。

人の意見は自分の意見。人に与えられたものは自分が望んだもの。人に嫌なことされてもそれは自分が望んだこと。

全受容である。ひたすら何があろうが、全受容。その期間、自分が行動を起こし『現実を動かす』等をすることは出来ないかもしれない。徐々に無意識により支配されていくために、自分の権利を全て剥奪されるが為に、現実を動かすことは出来なくなる。

つまり何もできない存在になったとき、私たちは『意識』を手放し『無意識』となっている。

無意識は環境を構築しているが、その環境構築している人格になることが求められているのが楽園のツインレイである。

そして、楽園のツインレイは『環境を組み替えること』『無意識を組み替えること』を望まれている。

無意識体による本領発揮

ツインレイのサイレント期間は、無意識体による本領が発揮される。環境が無意識により構築されていたものが全体的に押し寄せてくることになる。

まずはツインレイとの離別。ツインレイの相手のことはコントロールすることは出来ないし、なんならツインレイの相手とは環境による離別状態へと陥る。

意識による行動の問題が地上のツインレイにより解決されるように、無意識による環境の問題が楽園のツインレイにより浮上する。

問題は「環境」なのである。ふたりの環境に問題があり、その環境に対してアクセスするのが『環境を動かす』ことに繋がっている。

 

たとえば、ツインレイのふたりが結ばれることができない理由が、自分による行動による問題ならば、地上のツインレイの相手と結ばれることになる。しかし、無意識による環境の問題が残っているのであれば、地上のツインレイとは結ばれない。

意識の問題、無意識の問題のうち、両方ともに問題をきたしている存在がツインレイという無意識による問題解決をしなければならない。

ツインレイたちがぶち当たる壁は『自分(意識)』なのか。それとも『環境(無意識)』なのか。両方ともなのか? ということ。

 

話が少しそれたが、環境を動かすためには、自分の無意識体の中身に入っている思想を一切合切組み替えていかなければならない。ツインレイの出会いからサイレント期間に入るまでの間に『環境による問題』が浮上したはずである。

その環境による問題を改善せねばならないのが、自己のなかにある無意識体である。無意識体のなかにあるデータが色々あるのだが、その無意識体のデータと自分の意識による望みが一致していないケースが多い。

また『自分を後回し』とか『自分だけ幸せなのはダメだ』とか。とりあえず、めっちゃ真面目な性根の優しい人たちの無意識体はほとんどが地獄と言っていい。

地獄体験をしているからこそ、自己というセルフビジョンが神がかかるのである。簡単に言えば、ワガママじゃなくなる。周囲の人間がワガママすぎたら、自分がワガママを聞く立場にたたなければならないのである。

つまり地獄にも意味があったとも言えるんだ。

だけれど、それなりに地獄によって「もう地獄体験いらないんじゃない?」ってレベルにまで人格が構成されたら、その後、地獄の経験はいらなくなるために、地獄を組み替えることができるようになる。

それって『自分の人生はすべて自分の思い通りにいく』という言葉にもよく似ているけれど、このツインレイたちが望んでいることは自分の思い通りとはみんなの思い通りの世界を構築しようって考え方なんだ。

みんなの幸福は自分の幸福。この視点を持ってようやく地獄を脱却する権利が得られる。人の為に泣く、人の為に動く、人の為に働く——。この人のために自分がいかに行動するのかのすべてが『環境』という『無意識体の認識』を手に取ることができるようになっていく仕組みである。

最終的には『環境は自分である』という自己認識がとれるようになる。

しかし、この『環境』に問題がある。それが地獄と言うこと。この地獄の環境がなぜ成立しているのかの理由は『人の為に動く自分が神になっている状態』を構築していることに気づく必要性がある。

つまり他者奉仕は『環境を司る無意識体という神』になることに繋がっている。ゆえに、環境の神になるが、同時に押し寄せるように「救済を求める民草」がやってくるようになる。これがサイレント期間でもある。

己が環境を司る神となるとき、救済を求める民草と共にある道を生きるとき、人は「自分は神である」という発言があると思われる。また、選民意識もまた、この『支配する存在』と『支配される存在』の二極的な思想に落ち着くために、これまた地獄がここにあるのである。

最終的には「神がいない世界が一番の平和」ってことなんだ。つまり救済者がいないこと。

 

無意識体が本領を発揮するとき、最終的には『地獄』が形成されてしまうって話なんだ。これはもうどうしようもないような気がする。

最終的に『自分が神になる』『みんなを救済する』という世界そのものが地獄であり、大事なのは「自分が救われたかった」ってこと。だから環境に優しく接してきた、人に優しかった。自分が一番に救われたかったからである。

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ツインレイが『環境を動かす』ために必要なこと

ツインレイが環境を動かすために必要なことは、

  • 自分の無意識世界を組み替えること
  • 自分が神をやめること

だと思っている。もし、無意識世界を組み替える権利を得ているのであれば、その存在は『多くの人を助けようとした神がかった人』であって、神をやめていくことが大事なことなんだってことに気づいていく人が『無意識世界を組み替える権利』を手に入れていると思う。

そもそも、何にもしてないのに権利は与えられないと思う。お金はらってないのにご飯食べられないように、徳も積んでいないのに無意識体を使う権利は与えられないよってこと。無意識体による心があって、その心に寄り添うためには、多くの人の心に触れていく必要性があったんだと思う。

 

楽園のツインレイたちは行動により環境を動かすのではなく、自分の無意識世界を組み替えることによって環境を動かすのである。

その環境が平和であればあるだけ、自分の環境が平和となる。

『柱』という思想の本質である。人の為にという他者愛が世界に通じる瞬間である。

また、これが『神』と呼ばれている存在の人たちで、ヒットラーは『神人』と呼んだ。

超人とは、自ら現実を動かしていくことができる、自分の持つ行動力を発揮することができる人たちのことかもしれない。

その超人たちのなかに、神人が変異として現れるらしいが、たぶん、この経緯のことなんだろうなと思っている。

 

元々『柱』は天皇とか、殿さまとか。そういう家系により引き継がれてきたものだったんだが、今はもう一般人のなかにで始めてきているんだと思われる。

いかなる地獄という世界の思想が入り込もうが、その地獄という世界観を奉仕の力によってひっくり返す力を持っている人たちがいる。

これが『龍』なんじゃないかと私は思っている。

龍って『流されることが愛』なのかもしれないね。