アダルトチルドレンの復讐したい気持ちを手放すこと。

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さよなら、ツインレイ Kindle版
さよなら、ツインレイ

当時はこれでおしまいなんだ・・・。そんな風に思いながら書いた『さよならツインレイ』。結果的にさよならしたのは、神交法の相手であるツインレイの霊体だった件。今更振り返って読んでみると納得がいく一冊だが、当時はよくわかっていなかった。

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アダルトチルドレン関係の話で、子供が親に復讐をするって話は割とよくある話で。

私自身もまた、アダルトチルドレンの気質はあるから『復讐したい』だなんて気持ちもちゃんと存在していた。

実は、数日前——。使命に関することに着手する前あたりに手放しを行っている。

「やり返してやりたい」という気持ちで私が暴走しなかった理由は、ただ、そこにまで精神が至っていなかったから——とも言える。

親孝行をすること。これはかなり師匠に言われていたことだったから、復讐以前の話の状態に私はなっていた。そして、それは、私のなかにある復讐精神を分離させていたような感じ。

だから、親に復讐をしたいだなんていう心理は、私のなかには介在していない。おかげで私は自分の行い、自分の発言を制御しきれていたし、人格をほどほどには保つことを出来ていたのだとは思う。

誰かに復讐したい気持ちがなかったわけじゃない。親に、姉に、家族に。私が復讐したくなくなるほどのことはされている。

私の人生を返してほしいという気持ちでいっぱいに満たされているとき、私は私のなかにある分離した復讐人格から流れ込んでくる感情を受け取っていたのだと思う。

今や、その感情がどこにあったのかすらわからない。

度々沸き立ってくる復讐意識もどこにも感じられず、正直、戸惑いのようなところが大きくなっていて、覚えていることといえば、私が家族に復讐をしたいと言う感情が左肋骨下部に仕舞いこまれていたことぐらい。

そこにある臓器と言えば、肝臓かな。復讐とは怒りだから、肝臓に溜まりやすいのかもしれない。

 

親への一番の復讐は、自分自身が不幸になることである。

もし、あなたが今、不幸なのであれば。

もし、あなたが生活が困難に陥っているのであり、あなたがもしアルコール依存に陥っているのであれば、それは自暴自棄のようなものかもしれない。ワーカホリックになって働き詰めているのであれば、それもまた親への復讐なのかもしれない。

親への一番の復讐として、自分の人生をかけることがある。

それだけのことを親にされたのかもしれない。

そして、誰かは「あなたが幸せになることが一番の復讐だ」と言葉にするのかもしれない。

でもさ、どうやって? 倖せを与えられたことがない人にとって、何が幸せかなんて判断がつくわけがない。それは『幸せ』が何かを知っている人たちがいえる詭弁にしか聞こえない。

 

浮かばれない。どこにどうやって自分の気持ちを置いておけばいいのかがわからない。だから復讐と言う行動に立ちたい。

だから「怒っている自分」「復讐したい自分」「憎んでいる自分」。すべての感情の自分が、ここにいることを認めてあげることが最重要に大事なことである。

実行に移したところで虚しいだけである。

ああ、ここに人の心など存在していないと知るだけであり、ただの虚しさが戻ってくる。だからこそ、自分が感情を引き受けてあげることである。感情を引き受けるときの私たちは行動を起こさない。

感情と行動は繋がりを持っていないためにである。私たちは、感情のままに生きるサルではない。

私たちは心のままに生きる人である。

人であるが為に、私たちは、感情を行動に直結してはならない。

復讐をしてはならない。それは私たちが人ではなくなってしまうからである。

でも、怒っている自分、憎しみを募らせている自分を否定してまで、幸せになる必要性はない。

親を基準にして幸せになったところで、私たちは本当の意味で幸せになれるわけではないからである。

私たちは私たちの指針のもとの幸福を手に入れるべきである。

そのために、先ずは自分の感情をただ引き受け、受け止めてあげることが大事である。

そこに憎しみがあることを受け入れてあげること。ここに憎しみがあることに許可を出してあげること。

ここに「憎しみがあっていい」ってことを受け入れてあげれば、そのうち、憎しみも満足を迎える。そのときは、手を放して「さよなら」としてあげればいい。

それは、憎んだ存在との離別であり、憎しみとは、私たち自身のなかにあるものではなく、憎んだ存在こそが自らを憎んだことから生まれたものだと知る日がくるだろう。

私たちの感情とは、ときに私たちのものではないことがある。

もし、復讐を目論むのであれば、その復讐は「自分が親に復讐されたのだ」と知るときもあるのではないかと思う。

家系への復讐を果たすのであれば、それは、子供を痛めつけることで成功する。親への恨みは、子への虐待へと繋がっている。

 

この家系の復讐の幕を閉じるのであれば、そのときは、ご先祖さまの感謝をいただけるよ。

 

なぜか、この内容をリアルムタイムで書けなくて。とりま、書き残しておきたいと言う気持ちから、ここに書き残す。

たぶん、とても大事なことだと思う。

私のなかに、復讐したい気持ちがあったこと。それぐらいのことをされたこと。そして、それを手放してしまったこと。

私は私のなかにそんな経験があったことを、なかったことにしたくはない。

きっと、私は忘れていってしまう。過去にあったこと、過去に苦しんだこと。たくさん、嫌なことがあったこと。

そのすべてを私は忘れてしまうんだろう。そして忘れてもいいはずがないし、忘れてしまっては浮かばれない私がいる。

だから私は、忘れないために書き残していくんだと思う。

なかったことになどしたくないし、なかったことにだってできない。

そんなことがあってはならないと、私は思う。

だから、私は書き残していくんだと思う。それは私のためにである。