受容と拒絶、再会の仕組み(執着が剥がれて再会のするならば)

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ツインレイステージまとめ

私のステージが進むごとに更新していくステージをひとつの記事にして販売しています。


さよなら、ツインレイ Kindle版
さよなら、ツインレイ

当時はこれでおしまいなんだ・・・。そんな風に思いながら書いた『さよならツインレイ』。結果的にさよならしたのは、神交法の相手であるツインレイの霊体だった件。今更振り返って読んでみると納得がいく一冊だが、当時はよくわかっていなかった。

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元恋人に連絡したくなるタイミングについてである。

私も恋多き乙女だったなと思って、振り返って考えてみると、次の恋愛が始まるときに何故か元彼と連絡をとっている頻度がとても高いのである。

これをステージ化してみると、

  1. 別れる
  2. 執着が剥がれる
    1.  相手(または自分)に恋人ができる
    2. または恋人ができて別れた
  3. 連絡をとる

みたいになっている。

別れてから連絡を再度とるまでの期間に起きていることなんだが、一度、必ず執着が剥がれる現象が起きているのである。

ふたりのどちらかにである。

そして、別れてから執着が剥がれるまでは音信不通状態と言える。片方が拒絶していて、片方が執着をするっていう構造をとる。

拒絶している側が拒絶をやめる。そもそも意識が外れて他の誰かに向かう。

または執着をやめる。意識が外れて他の誰かに向かう。

で、そのタイミングで何故か元恋人と連絡をとりたいなと思う。または別れたあとに連絡をとるっていう元恋人に連絡をする現象が起きる。

 

結局、意識が切り替えられるかどうかであって、気合いでなんとか行動により変化を起こすことができると思われる。

ただ、行動によって意識を切替えることができて、現実を変えられるとしたならば、これは問題が解決されているわけでもないのだと思われる。

根っこに潜んでいる精神的な問題が現実を生み出している。

もしそうなのだとしたならば、精神的な問題が解決されなければ同じことを繰り返すとも言える。

 

で、今回は、受容と拒絶。

受容側が拒絶側を受け入れていく。最後に拒絶されていることすら受容することで拒絶に転ずる。

拒絶側が受容側を拒絶していく。最後に受容されていることすら拒絶して受容に転ずる。

ここでサイレント期間に入る。

つまり、受容した分だけサイレント中は拒絶せねばならないし、拒絶した分だけ受容せねばならなくなる。

男性を受容しきったのであれば、受容した部分(それが依存だと脱出が難しくなる)を拒絶していくことで自立が促される。

これが男性からの女性が自立する経緯になる。

女性を拒絶しきったのであれば、拒絶した部分(これが回避依存だと脱出がむずい)を受容していくことで共存が促される。

これが男性が得られる女性との共存意識になる。

 

男性は女性との共存意識が低く(だから支配になる)て、女性は男性からの自立意識が低い(だから依存になる)のだと思われる。

地上は、支配と依存からの脱却。

楽園は、受容と拒絶からの脱却。

 

男性から女性が自立する。つまり受容側が拒絶側を拒絶しきったら自立が生まれ、自立により執着が剥がれる。

冒頭に戻るが、再会が呼び起こされるねん(lll-ω-)理論上だと。

でも、出会いからサイレントまでの間に、依存したのか、受容したのかで意味が違うのだと思われる。

依存だと、間に誰かを挟むことで意識の切り替えをするが、受容だと、間に誰かを挟むことなく意識の切り替えを行える。自立に向かうから。

どっちにしたって同じ現象が起こるし、でも、内容物はまるで違うと思われる。

依存は他の誰かと恋愛して(それが妄想だとしても)、片方は自分と向き合い続けているから。

問題はサイレント中に妄想恋愛に没頭しちゃって、妄想は常にここにあり続けるのもあるから、自分が何から逃避しているのか――に向き合う機会をすべて放棄し続けることになるのだと思われる。

依存の裏側には、何かからの逃避がある。

何から逃避して妄想にふけっているのか――っていうことに妄想の場合は指摘が当人からも入りにくい。

つまり、男性に拒絶されているのであれば、こちら側も「彼がいなくても生きていける」にまでならなければならない。

生きていけない・・・・・・にまでヘロヘロ状態にサイレント中は落とされているんだが、そこから彼への依存が生まれ、執着が生まれる。

執着を手放せと言われているが「なぜ執着してしまうのか」の理由は色々とあるが、基本的には自分が何かから逃避しているのである。

その「何から逃避しているのか」っていうことが恐れである。

怖いものがある。その怖いものは何か――を直視せよと言われている。

自立するっていうのは、同時に、恐れを克服せよってことだとも思う。

その恐れとは何か――は人それぞれ違うけれども、恐れと向き合うことが出来れば、自立へと進むことが出来る。

女性は特に男性に守られたいっていう意識から、恐れから守ってくれる男性に依存するわけである。

執着を捨てるには、自分のなかにある恐れと向き合うことにも繋がっている。

 

自立した段階での女性たちは、過去の異性よりも新しい異性と向き合っていこうと感じている。

前のステージの異性が揺り戻しで戻ってきたとして、その異性とは付き合いたいとは思わない。

価値がない異性に感じられるためにある。

しかし、次のステージで、もし『新しい生まれ変わったイケメン男性』になっているのであれば、手に取る価値はあるかもしれないと考える。

 

つまりはサイレント後の再会で

  • 揺り戻しによる再会
  • 新しいステージでの再会

の、どっちの出会いなのか――によって意味は違うわけである。でも現象は同じである。

だから、この出会いにより生み出された課題に向き合いきることに意味がある。

どこに恐れがあるのか。

あなたは何に恐れているのか。

執着や依存の根源に恐れがあるならば、恐れを受け取ることに意味がある。

異性から自立した時、私たちの執着は剥がれ落ちている。

そんな時、私たちは新しい異性と出会う予感を受け入れ、未来へと足を進めるのである。

 

メモ

地上の場合、支配と依存からの脱却が、揺り戻しの場合、ふたりの関係性の反転。依存していた側が支配になって、支配側が依存になる。

楽園の場合は、受容と拒絶の脱却が、揺り戻しの場合、同じくふたりの関係性の反転が起きる。拒絶していた側が受容になって、受容していた側が拒絶する。

これだと結びつけるねん。

でも大事なのはふたりとも自立して共存できることなんだ。

再会