失感情症をレイキヒーリングしてみると『圧縮鍋システム』になっている。

2024年10月3日

| Ⓒ なとり

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当時はこれでおしまいなんだ・・・。そんな風に思いながら書いた『さよならツインレイ』。結果的にさよならしたのは、神交法の相手であるツインレイの霊体だった件。今更振り返って読んでみると納得がいく一冊だが、当時はよくわかっていなかった。

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失感情症という「自分の気持ちが分からない」のなかでも、好きって気持ちがわからないことがあります。

そんな人をレイキヒーリングしてみると、どうして自分の気持ちがわからないのかがわかってきます。

失感情症の人と、感情が分離して保存されている人たちも同じような現象を起こしますが、本質的な部分や構造は違います。

 

失感情症がどのような仕組みで成立し、どのようなことを目的としているのか? についてを書いていますが、これは私がレイキヒーリングをしている最中で理解した内容となりますので、ほかの方が、どのように捉えているのかは不明です。

自分の感情(情動)への気づきや、その感情の言語化の障害、また内省の乏しさといった点に特徴があると言われています。

引用:失感情症(アレキシサイミア) | e-ヘルスネット(厚生労働省)

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失感情症とは?

感情が分離して保存されている人たちは「ひとつの現象・ひとつの感情」というものに限り、感情を分離させています。これは自分のなかで整理することが出来なかった感情を一先ず据え置きにして後回しにしているときに起こります。

ほとんどがネガティブな感情となっています。

罪悪感や悲しみなど、受け入れられることができない感情を分離して一先ずの保管をしている状態が『分離』とします。

この分離の感情が悪さをするとき、罪悪感があるのに罪悪感がある行動をとります。自己統合すると罪悪感を感じ、悪いことをしません。

 

そして失感情症の人たちは、ポジティブな感情までも感じることが出来ないのが特徴です。

こちらの方々は『抑圧』です。自分の感情を抑圧し、抑制し、感じないという状態になっています。

前者である感情が分離している人たちは『分離』ですので、切り離している状態です。失感情症の人たちは『抑圧』しているので、切り離しているわけではありません。

そこにありますが、あるのにも関わらず、抑圧して感じることがありませんので『失っている』と感じられます。

罪悪感を分離しているときは、罪悪感を感じなければならない行動をとります。しかし、罪悪感を抑圧しているときは、罪悪感を感じなければならない行動をとりません。前者は罪悪感を他人のなかに見つけることを得意としますが、後者は罪悪感を他人のなかにも認めることは出来ません。

失感情症とは、他人のなかにも自分のなかにも感情を見つけることができない状態に陥っていますので『感情を失っている』のとして感じられます。

相手が自分に好意を向けていても、好意を受け取れません。自分が相手に好意を抱いていても、好意に気づきません。

失感情症をレイキでみてみると?

図の説明:失感情症の仕組み

失感情症の人たちは、感情の圧縮がへそ周辺にあります。ものすごく小さなピンボールのようなものに圧縮しています。

抑圧をし続けると、感情は『塊』になるんですね。

その感情へアクセスすると、そのなかに入っている感情が大量に出てきます。抑圧し続けてきた結果、圧縮され、大量に保管されている状態になります。

この感情を『受け止められるレベル』にまでにします。レイキ中はひたすら早口で語られてくる内容を聞き続けたりなど・・・・・でしょうか。

また、その内容が苛烈であればあるだけ、受け止められないことはわかります。とりあえず「好きすぎると好きの気持ちに支配されてしまって自分がどうにかなってしまいそう」という状態になってしまったりすると、このように感情の圧縮を生みだしたりなどもするみたいです。

この場合は、ひたすら『大好き』を聞き続けますが、客観的には惚気のように感じられます。しかし、主観的には地獄のような感覚がします。

どんないい感情であれども、過ぎれば毒となりますね。人生が破綻しかねないかもしれません。

ゆえに、感情の抑制を行います。それはみぞおち周辺に『ボタン』のようなものがあります。ボタンとは私たちの服についているボタンです。とても小さなボタンですが、明らかなる主張をしてきますので、わかりやすいです。

感情の圧縮の中身を圧縮を解き、通常にした後、感情の抑圧をしているボタンをはずします。もし、圧縮を解かずに通常ではない状態ではあかないかもしれません。また、開けたら危険です。

圧縮鍋の蓋を圧縮中に開けてしまうと爆発します。圧縮鍋は圧縮中には開けると爆発するので、中身の空気圧を解消してからふたを開けるようになっています。

圧縮の定義は時間です。感情が発生し、抑圧し続ける時間が存在し、圧縮されます。

かけまちがえたかのようなボタンですが、なぜ、感情の抑圧をしているのか——というと『ボタンのかけ間違い』が正解だと思います。

手順を最初の方で間違えたために、当事者間での認識や考えに、その後ずっと続くようなずれが生まれること。

引用:ボタンの掛け違い

つまり相手に対して向けられる感情表現の手順を最初に間違えました。間違えたので、認識や考えがすれ違い、その後もずっと失感情症となり、感情の抑圧を続けることになります。

これを外してあげると、腹の中にたまっていた認識できずにいた感情が『胸部(精神的知覚)』、次に『頭部(知的認識)』として感情がこみあげていきます。

これにて失感情症が解消されます。今まで感じるべきものが感じられるようになります。

 

たしかに、腹のなかに感情が圧縮されていれば、言語化出来ない、認知出来ない等の問題を起こします。

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失感情症となり、失感情症を解消したあとのメリット

失感情症は時短です。

たとえば『好きと言う感情を失っている』状態だとします。つまり、お腹のなかに『好き』を圧縮させています。

時間をかけて、徐々に圧縮させていくことになります。

私たちは、元々『好きなもの』がわかりません。そして、好きを複雑的にも理解します。

『性欲』と『好き』の違いが生まれたりもします。ほかにも『会いたい』という欲求は、これを好きに分類するべきかも難しい。というか、自覚ができない。

欲求=感情 この方程式が成り立ちません。

私たちは、好きという感情に対して『行動』『発言』等の動き(欲求による結果)が加わりますが、根源的には『好きだから』と言う感情理由があります。しかし、私たちは常に感情を自覚して行動や発言しているわけでもありません。

私はあなたに会いたい。までは理解が出来ますが、なぜならば好きだから、にまでは到達しません。

欲求と感情がバラバラに認識されています。

しかし、この失感情症の圧縮機能を使うと『会いたい=好き』という欲求が感情に結びつくようになります。

 

つまり、感情の抑圧をしなければ、腹のなかでグツグツと欲求と感情が結びつきません。

もちろん、感情の抑圧をしている方は、欲求にも気づきません。

好きの感情は『性欲』や『会いたい』という異性に対しての欲求をもいっしょに鍋のなかに入れています。ですので、自分の欲求にも鈍感になっています。

そのために腹のなかで感情を抑圧をし、欲求といっしょに時間をかけて煮込むことで、最終的には『欲求=感情』という方程式を理解した人生へと切り替わっていきます。

 

たいてい、これには時間がかかります。

自分には『感情がないな』『失感情症かな』と理解されたとき。それが失感情症の料理を終えるときです。それまではそれが問題だとも感じないかもしれませんが、必要なときに必要な情報が入ります。

そろそろ、もういい出来になっているから、鍋の蓋を開けてみようよ。そんな風に周囲の人からのサインがやってきます。

それを受け取ることが出来たとき、欲求と感情を合わせた料理が出来上がっています。それがあなたの人生のメインデッシュかもしれません。

早々に感情と欲求が結びつくことに理解を進めるためには、失感情症という圧縮鍋が確かに効率的かもしれません。

 

デメリットは料理中に蓋を開けたら爆発することと、心や知性で感情を捉えることが出来ないことでしょうか。

本質は『失欲望病』

個人的な印象ですが、内面的には欲望に渦を巻いているけれど、欲求を否定している仕組みを持っている方が失感情症をやっているかなと思います。

自分には欲求がないって感じていると思うかもしれませんが、人一倍以上に欲求があります。

いっぱいあるから抑制しているのかな? 否定しているのかな? と思います。

失感情症の本質は『欲求の否定と抑圧』であって感情の否定ではないですね。感情は欲求とセットに鍋に入れこまれているだけであり、失感情症というよりも、失欲望症のほうが明確な言葉かなと感じます。

感情の否定は、感情の分離を起こします。欲求の否定は、感情と欲求の抑圧を起こすのだと思います。

欲求に対しては否定することは出来ずに、こみあげてくるものへ蓋をすることしか出来ないのだと思います。

つまり欲求は抑圧するものなのかな、と。

ボタンのかけ間違いとは、欲求と感情をかけ間違えることを意味しているかなと思います。もちろんそれは他者とのボタンのかけ間違いとして現実化していると思います。

欲求のままに表現し、感情を受け取ってもらえなかった経験など。

欲求で間違えた、感情で間違えた。この経験がトリガーとなっているように感じます。ある種ひとつのトラウマ経験から、感情と欲求を抑圧し『ひとつにまとめる』ように促されている。

欲求表現時に感情をセットで伝えたいと思ったときに、失感情症は起こりえます。

本質的な部分での目的は結果にあります。失感情症後にどのような精神構造の変更とメリットがあったのか。

欲求を体現するとき、相手へ感情をも伝えることが出来るようになっていけます。