ツインレイと幻覚幻聴によるスピリアチュアル現象について(妄想による思い込みとの繋がり)

| Ⓒ なとり

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ツインレイステージまとめ

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さよなら、ツインレイ Kindle版
さよなら、ツインレイ

当時はこれでおしまいなんだ・・・。そんな風に思いながら書いた『さよならツインレイ』。結果的にさよならしたのは、神交法の相手であるツインレイの霊体だった件。今更振り返って読んでみると納得がいく一冊だが、当時はよくわかっていなかった。

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私の場合、ツインレイと出会った年に疫病が発生。そのまま感染し、うつになった。

彼とは距離をとろうかと思ったんだが、彼くんは「いっしょにいる」と言うので、いっしょにいることに。

とりあえず、そこから私はツインレイの彼の幻覚を多く見るようにもなったし、幻聴も聞くようになった。

もしかしたら、これを「霊視」等の言葉で表現することもできるんだが、もうひとつの側面からのお話である。

私の場合は、疫病による脳の損傷がかなり関係していたよって感じかな。

そこからの回復に最早四年の月日がかかったのか。

そして、最悪なる状態だったからこそ、彼くんを自己のアニムスとして内包できたんだなって思うと、私は最高にすごかった。

 

こういった幻聴、幻覚と霊視などは同一のものとして考えられる。

現象として「夢のなかで見ている世界が現実世界で見えている」みたいなものだろうか。

つまり、夢と現実の境目がなくなってしまい、現実の世界でも夢を見たまま——となる。これが幻覚、幻聴、そして霊視、霊聴となる。

どちらも、夢のなかでの世界観が現実でもみえているということで、海王星の影響として捉えることができる。

そして、それがツインレイの相手という恋のお相手が自分自身の精神領域に入ってくれば来るほど、相手を霊視することができるようになる。いわば、幻覚を見ることができる。

つまりなんだが、色々、ほら。ツインレイの期間でも、サイレント期間でも、あるわけで。その相手は「自分の妄想」でしかないって話。虚しいけれど、これが現実。

この妄想に打ち勝つには心が必要だし、霊視に打ち勝つのも、霊聴に打ち勝つのにも、強い心が必要。

それは『現実を見る』ってことなんだろうなと思う。

現実を直視していくと、たいてい『妄想がおちつく』『霊視・霊聴がおちつく』ようになる。

つまり、どれも現実を直視することができずに病状に逃げ込んでいるがための症状とも言える。これを抑制するには心の強さが必要なのである。

EQ(精神的知性)は、脳の異常を抑制するよ。

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すべてにおいて、そういった霊視は『自分の精神構造にて起きていること』って話なんだ。

精神構造のなかに幽霊がいっぱいいれば、霊視も幽霊でいっぱいになるってことでもある。霊視する世界観はすべて『自分の精神的な世界観』なんだよな。

私の場合、夢見でよく神とかみたり、鳳凰とか麒麟がでてくるのも、私の精神構造がそのようになっているってこと。

あと、霊視や霊聴でも『光っているお釈迦様』とか『よくわからん霊聴』とかも多くて、特に怖い思いをしたことがないんだけれども、それらも、私のなかに『自分が怖いと思っているもの』がほとんど入っていないって感じ。

その理由なんだが、人を怖がらせたりとかもしないタチだから、自分が夢で「怖がらせる」ということがない。

 

じゃあ、神さんって妄想なのか? っていうと、ちょいと違うと思っている。

神は神で存在している。ただ、神さんが『ちょいっと脳に意識を差し込む』ようなかたちで新しい神の情報をインプットしないと、神を夢で見ることは出来ないのだと思われる。

幽霊も同じ。幽霊が『脳に意識を差し込む』ことができないと幽霊を視ることができない。

私たちは、神を視たことがないのに神の姿を夢で見るのは、なかなかすごいことだなと思うんだが、たいてい、霊能者の話は一貫して神の姿の話をするが、ほとんどが統一された話に繋がっていく。それが『神は存在する』って話なんだと思う。

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統合失調になって「めっちゃやばいもん」をみまくるのか。それとも「めっちゃ神々しいもん」をみまくるのか。

それは、当人の精神構造に他ならない。精神構造のなかに、自分が育ててきた心が『やばいもん』なのか『神々しいもん』なのかは自分次第なんじゃないかなと思う。

不思議なことはたくさんあるけれど、こうやって考えてみると、ツインレイも『幻聴幻覚』みたいに処理してもいい部分はあると思っている。

 

だけれど、こたび、幻聴・幻覚したものを『誇張した人たち』もいらっしゃって。内容的には大きくしちゃって、ホントに自分がみたもの以外を介入させちゃったりなんかもあったみたい。

それらはやっぱり心が弱いって話でもある。

だから、幻聴や幻覚が長引いてしまって、ツインレイの期間が長引くのかなとは思っている。

心が弱いっていうのは「自分はすごい人間でありたい」っていう高慢なのかもしれないし「ツインレイにすがる自分」みたいな依存みたいなものかもしれないし。

どっちにしたって『心が弱い』んだと思う。

私の場合、最後の最後に霊聴がきて「これは彼くんではない、彼くんは結婚してない!」に振り切ったんだが、それ以後、何もない。何も聞こえない。

理由だが「霊聴に依存がないが明確化された」のと「心が幻に打ち勝った」っていうことなんだなと思っている。

それが『現実を信じること』だった。人の言葉を信じる、今はここにいないけれど、私が最愛した彼の言葉を信じることが私にとっての幻への打ち勝ちだった。

 

たぶん、ツインレイはスピリチュアルっていうよりも、海王星のエネルギー的なもので『幻的なもの』を『事実として捉えてしまう未熟さや弱さ』は、かなり問われたんじゃないかな? と思っている。

心が強いことは、とても大事なことだと思う。

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あと、自分が信じるべきは『霊聴』や『霊視』ではなくて、自分が現実で確かめればいいだけの話。たしかに私も今、現実を確かめられないから、どう判断すればいいべきなのか——と思ったんだが、最終的には「自分が信じたいものを信じること」であって、私は「私が信じる彼くん」を信じることにしたよ。

誠実で、私を裏切ることがない彼くんが、私の知っている彼くんだったし、それで私の時間が、もしすべて消えることになろうとも、私が信じたんだから後悔はないよ。バカをみるかもしれないけれど、それはもうマジで自己責任だからって思っている。

この辺も心の強さの話になってくるのかもしれない。

自分が不幸になりたくないって思えば思うほど、負のループにハマっていきそう。そして、最終的には『負にはまる』感じ。

だから、すべての選択はすべて自己責任。だから信じたいものを信じればいいんだと思う。

私は関わった彼くんを、私がどのように感じ、どのように思っていたのかを信じたいと思った。

 

あと、人が視えているものは、人が持っている世界観でもあるから、信じるのか信じないのかも自由なんだと思う。

その世界観が「いいな!」と想えば吸収すればいいし「いらないかな」って思えば排除すればいい。自分で決めていいんだと思う。

 

精神構造にあるものは全部現実に現れる。

いわば、私の精神構造内で起きていることのすべてが現実でも起きている。

そのように捉えてみると、夢見の内容は全体的に「そのようなカタチで起きている」んだと思う。

だけれど『妄想』っていうのは『思考の停止』が出来ていないってこと。

自分勝手に想像して相手を決めつけたりとかする人は、妄想力が高い。それは思考の話であって、それが『霊視』とか『霊聴』にあらわれるとき、自分にとって都合が悪い内容をみちゃったりするケースがめちゃ多い。

自分が勝手に想像して、その妄想に怒ってるっておかしいよね。

つまり、自分の勝手な暴走に怒っているってこと、自分が自分に。

思考の停止とは『勝手な妄想』っていう部分をちゃんと認識しているのか? ってこと。

色々とこのツインレイの最初から最後まで、多くの代弁者が私に「彼はこんな気持ちなんだよ」と教えてくれた。そして「彼はこんな人なんだよ」とも教えてくれたりもした。

「そうなんだね。」と、答えていたけれど、いつも既視感があった。

本当に、そうなのかな? って。

本当に、彼はそうなのか——と。彼の気持ちは彼にしかわからないことなんじゃないか、と思っていた。

私は私のことしかわからない。彼のことは彼にしかわからない。わからないことを勝手に決めていいのかな?

引用:いつか、わかる日がやってくるだろう。

わからないものをわからないと分類する力と、わからないものを勝手な思い込みで決めつける妄想力のけたたましい人たちもいる。

わからないものをわかったふりをした人は「おひれがふれた」ってことなんだ。

わからないものはわからないままにしておこうって話。そうすると、それだけで身を守ることができる。

何から? くだらない妄想を現実として捉えてしまうことから。

何が真実なのか、何が現実なのかがわからなくなってしまうことは、本当に怖いことだと思う。

精神