別れを引き寄せてしまう原因(引き寄せの法則)

| Ⓒ なとり

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さよなら、ツインレイ Kindle版
さよなら、ツインレイ

当時はこれでおしまいなんだ・・・。そんな風に思いながら書いた『さよならツインレイ』。結果的にさよならしたのは、神交法の相手であるツインレイの霊体だった件。今更振り返って読んでみると納得がいく一冊だが、当時はよくわかっていなかった。

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レイキとはあんまり関係ないと思われているかもしれませんが、引き寄せの法則がやりやすくなるのもレイキの力のひとつです。

なので、引き寄せの法則の原理についても、私個人的にわかっている範囲で書いておきたいと思います。

 

私たちは「引き寄せたいものを引き寄せる」として引き寄せの法則という言葉を使いますが、基本的にはそこにあるものすべてを私たち自身が引き寄せている――ということです。

つまり現象のすべてを私たちは私たち自身によって引き寄せているために、引き寄せの法則という視点では常に自分の思い通りに世界を具現化している――ということ。

引き寄せのなかでも、ことさら避けたいものとして「人との別れ」があります。

この別れを引き寄せてしまう――という視点もありますが、もうひとつの視点があることをお話したいのです。

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私たちは私たちの世界を引き寄せている、または創造している――として、引き寄せているものが他人との関係性のとき、ふたりによって協力し、ふたりの関係性は創造されていきます。

それは記紀神話に現れるナギとナミがふたりで協力して島をつくり、子供をつくっていくかのような。そんな感じです。

ナギとナミは、ふたりで協力しあって、自分たちの住む世界を創造したように、私たちはふたりの関係性もふたりで創造しています。

しかし、そのふたりがお互いに最初から協力して世界を創造することができるわけではありません。

 

二人で創造するまでは、お互いの創造している世界観のなかにあるお互いのポストを体現するような関係性です。

例えば、私の世界観によるポストにはまる相手がいたとして、そのポストにはまる人は、私を自分の世界のポストのどれかにはめ込みます。

このとき、お互いの空間は別物です。

別物だからこそ、いっしょに世界を創造しているわけではなく、自分の世界にいるべき人を引き寄せたってイメージでしょうか。

引き寄せの法則による出会いとは、そういう仕組みです。

引き寄せたポストに相手を当てはめあうことは、無意識上で同意があります。

自分にとってカルマを体現する人も、カルマを体現する側は、それをするという同意があります。

基本的にはすべての関係性は無意識による同意の上に成立しているのです。

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その関係性によるポストの体現は、終われば、別れがやってきます。

つまり引き寄せの法則にはポストの体現をし合うことにより成立しているので、ポストの体現的な役割が完了してしまえば、その後、関わり続けるかどうかは自分で決めていいんです。

その後、ポストの体現を続けることが苦痛なのであれば離れればいいですし、ポストの体現が楽しい、幸せなのであれば結ばれていてもいいんです。

まずの出会いは「ポストの体現」にあるため、最終的に別れにするか、継続にするのかは個人の自由。

恋愛はお互いのカルマだよね、でも結婚に進むには、お互いの本当の意思が必要だよねって感じでしょうか。

もちろん、結婚相手としてポスト体現などもありますが、その場合、結婚以外の目的があるケースが多いようなイメージです。その場合、離婚という別れがやってくる可能性も。

これが引き寄せの法則のメカニズムでもあるんです。

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引き寄せた相手との関係性のなかに、最終的に別れがやってくる理由は「当人の意思」でもあります。

ポストの体現中は別れも考えられず、ずっといっしょにいるかと思いますが、お互いの体現が終わってしまえば、ふたりがいっしょにいる必要性がありません。

役割を続けるのか、続けないのかって話ですね。

それでもいっしょにいたいと思う人もいれば、いっしょにいたくないと思う人もいます。

体現がキツすぎたり、少々やり過ぎてしまった(カルマの役割以上のやり過ぎなどもある)場合なども、その後、再び関わりたいとも思いません。

この辺は自由です。

そして別れたあとに再会することもあるんですね。

これはカルマを一度目は解消のために出会い(ポストの体現の役割のために出会う)、二度目はまた違った形で出会い直すことで結ばれようとする力が働くこともあります。

 

私たちの縁は「ポストの体現」により生まれます。

まずはポストの体現をし合うことで、ふたりの縁が生まれます。

しかし、ふたりが「ポストの体現のために結ばれたいわけじゃない」ってこともあります。

 

これが「創造」なんです。

 

ふたりの出会いが引き寄せの法則によって出会う。けれどポストの体現が終わったあと、ポストの体現ではなく、お互いがお互いにとって最善の形で結ばれたい――と考えることもある。

つまり、最初の出会いによって相手を認識し、次は「縁を創造する」ようになります。

この場合も、ポストの体現中は一緒にいますが、縁結びのし直しなどがあるときは「創造」のために一度は別れを経験する必要性があります。

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人は自由です。自由に引き寄せてもいいし、創造してもいい。

 

別れとは2種類存在します。

ひとつはポストを体現し続けないために役割を終えて相手の世界から抜けていく人たち。

こちらは引き寄せられた(引き寄せた)はいいが、そこでの学習が終わったために、そのまま続けて関わらないという別れです。

もうひとつはポストの体現を終え、次の関係性は違った形で出会いたい(創造)と思っているふたりです。

現象は同じです。どちらも別れがやってきますし、執着もありますが、引き寄せの法則と創造では意味が違います。

 

ナギとナミの話に合わせてみると、ナギとナミは元々二人で創造をしていますが、ふたりは兄妹ですから、同じ世界の創造ができます。

兄弟姉妹はいっしょに育ちます。

子供の頃は特に創造しやすいために、ふたりは共同作業による創造が可能です。

しかし、ふたりの世界の創造がナミによる死により別々になるとき、ふたりは別の世界の創造となったため、ひとつの世界を創造することがなくなります。

それでも相手のポストを創造することは出来ますから、ナミにとって「夫」というポストを創造し、ナギにとって「妻」というポストを創造できる。

しかし、それはポストであって、ひとつの創造世界ではありません。ふたつの創造世界を結びつけるための手段です。

こういったふたつの創造世界は千疋岩により別れています。つまり、本当の意味で結ばれることではありません。

これが引き寄せの法則による世界観です。

つまり空間的には別れているけれど、結ばれているのが普通というか。一般的な世界観です。

しかし、この千疋岩を超えて「ふたりでひとつの世界を創造する」ことができるようになっていく人種が生まれてくる時代にもなりました。

それはふたつの別々の空間に生じている創造の世界の統合です。そのためにも一度は別れを必要とします。

自分の世界を樹立させ、その後、相手の世界を内包する必要性があります。

ひとつにまとめたとき、ふたりはポストの体現ではなく、オリジナルとして相手に「自分らしく」振る舞うことができます。

ポストの体現のときは、自分らしく振る舞うことはなかなか難しいものだったりします。