家族になろうよ。

| Ⓒ なとり

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ツインレイステージまとめ

私のステージが進むごとに更新していくステージをひとつの記事にして販売しています。


さよなら、ツインレイ Kindle版
さよなら、ツインレイ

当時はこれでおしまいなんだ・・・。そんな風に思いながら書いた『さよならツインレイ』。結果的にさよならしたのは、神交法の相手であるツインレイの霊体だった件。今更振り返って読んでみると納得がいく一冊だが、当時はよくわかっていなかった。

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私があなたの前で女性であったことを忘れないでほしい。

それは私の最大の愛情だった。私は女でもなかったし男でもないよ。

私が社会という存在に身を預けたときだけ私は女性だけど、私は私のなかに性別を見つけられない人なんだ。

Xという性別が最近になって出てきたね。

私には性別がない。そもそも男性でもないし女性でもない。ただそのカタチを模しているカメレオンになれる。ただのペルソナとして仮面を持っているだけ。

肉体は女性だけれど、性別の自認ができない。そもそも一般的には「自分の心の性別を持っている」ということに、ツインレイと出会ってはじめて知った。

だから私は子供を産むこともよくわからないし子供が欲しいとかもない。子供は可愛いと思う、だけど生みたい欲求もない。

男女によってそれぞれが持つ性差による欲求もない。

役割を与えられれば、その役割を担うことはできる。男性であろうが女性であろうが、その役割をこなすことができるけれど、息苦しい。

私は男性として生きることも出来なければ、女性として生きることも出来ない。

私は「わたし」としてしか生きていくことができない。でも、そこには私すら存在していない。

だけど、私は『女性』として生きてきた。私はずっと死んでいる。

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だから、私は「ツインレイ女性」にもなれたし「ツインレイ男性」にもなれた。私のなかに性別がそもそもないから、男女のどちらも表現することが出来た。

私は女性を演じることでもきたし、男性を演じることも出来た。性別にこだわりなんてものはない。

肉体が女性だから「女性」ってことにしているけれど、女性が本来持つ意識を私は認識できない。

だけど私は女性として生きている。私はそれを受け入れている。

だからこそ出来たことも多くサイトには掲載されているだろう。私は女性的な意識がないからこそ、自分のなかにある心理を抑圧しきれるのである。

もしこれを男性的な所業と捉えることもできるんだろうが、私は『女』でもないし『男』でもないから、自由に選択権があるだけである。自分のなかに自分の性別の役割をもつペルソナを持たせるだけ。

私は何者にでもなれる。何者でもないからである。

 

私は男性でもあるし女性でもある。だけど、私は無性である。ない。

多くの方々が「私の性別」について聞いてきたけれども、私は女性だと答えたが、それは肉体が女性なだけである。

私は性別という社会的な意識を持っていない。

だからツインレイ女性として語ってはきたものの、私は女性の役割も担っているし、男性の役割も担っている。どっちのこともなんでわかるのか、その理由は私は私がそもそも『無性』だからである。

無性だからこそ、自分のなかに複数のペルソナを持っている。女性と男性という仮面をかぶることができるのである。

 

私は人間を分類する本質的な部分に「性別」があり「陰陽の図」なども、二極に分かれているところがあるかと思う。

私にはそれがそもそもない。だから私はいつも「ふたつにわけてはひとつに統合させる」ことができる。そうすると「なかったこと」にできる。

男女は結合させることになるが、私の場合、男女を結びつけると『無』となる。私は相殺されてしまう。だから誰かと結びつくことができない。私は社会的には存在できない。

これは生まれもってのことである。おかしいなと思い始めたのは師匠に「なとりはなとりという性別」と言われたときである。

ほかの子たちには「女の子」と「男の子」に分類していくなか、私だけは「なとりはなとり」という性別を持っていると言われたとき。意味はわからなかった。当時にジェンダー思想などなかったから。

 

私の役割は「男の子と女の子」の両方の経験をすることと、その両方の意識を学び、その両方を繋ぐための橋渡しをすることだったのかもしれない。とはいえども、私の中にあるふたつのペルソナが成立すれば、そのふたつは無となり、私はいなくなる。

私はそのとき、この世に存在しなくなる。この世に存在しない自分を肯定することになる。

私はどこにも存在していないこと受け入れることになる。

そしてこれを、使命として「適性がない人を導きなさい」として言われたのかもしれない。

そもそも私は「女性として求められること」も苦痛であり、「男性として求められること」も苦痛である。だからこそ、この社会そのものが私にとって苦行でしかない。この社会は『女性的なこと』を求められ、『男性的なこと』を求められるからである。

私は女心もよくわからないし、男心もよくわからない。心はわかるけれども。

多くの方が「ツインレイ女性」として検索をかけるし、「ツインレイ男性」としての検索をかけるように、私たちは自分のなかに『性別で分類する意識』がある。これが性別へのこだわりである。

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私はあなたと夫婦になることはできない。
私が私である限り、私はあなたと夫婦になることはできない。

私は、あなたと結婚ができない。

だから私は私のなかに新しい概念を産み落とさなければならない。

それは女性に『身を落とす』ことである。私は私が持つ無性というアイデンティティーを捨て、女性の社会に属したのである。

「なとちゃ、女の子できるよ。」

できるけれど、それは私ではない。彼くんのなかに存在する『女の子の彼くん』である。

 

在る種、自分をどこかの社会に属させることができることは幸福なことだよ。

自分が「なんなのか」を定義できることは、それは幸福なこと。私は私の中にある『女性という意識』ですから偽らざるを得ない。私は肉体が女性である限り「女性であることに驚かれる」のである。

ものすごく失礼なことをされている。私は女性ですらないというのに——。

だけど、私がこの社会における『性別』という概念を心底愛していた人であることも忘れないでほしい。

私たちは社会に生きている、コミュニティーがある。そして、その心に宿るさびしさを癒すために男女という概念が存在していること。それを知っているからである。

社会の中にある定義は、その心を受け入れる土台である。定義されたくないなどワガママを言ってはならないよ。だってその定義にどれだけ私たちは救われてきた? ずっとさびしくない思いをしてきたのは、その定義が存在しているからだよ。

でも、今「定義できないもの」が存在し始めている。あぶれてしまった人たちもでてきた。

その定義できないものを定義していくときがきたんだよ。そのために、私は『女性になりさがる』のである。私は私の性別を捨て、社会の枠組みのなかに当てはめては、そのなかで足掻くしかないのである。

私が私であることをやめたのである。

この世は『二極化』としてでしかない。無があれば有があるように無へと傾けば両性も得られる。だけど、私の本来の姿は『無性』である。

 

私のツインレイは『無性』と『両性』によるカップリングである。

残念ながら、私は女性の心も男性の心もよくわからない人だったよ。女性は感情的で男性は論理的らしいが、よくわからねえ。

とはいえども本来は無性である。無からしか有は生まれない。有のなかに『男女』という性別がある。

彼は『女性の感情的部分』を抑圧しているんじゃないかな。男であろうとした。

でも、私はこのようにいっていたよ。

「女の子の彼くんも大好きだよ」って。怒ってても可愛いから、あたいは彼くんが男の癖に感情的になってても「可愛いな」って思って終わるだけ。彼くんのなかにはちゃんと『社会の秩序』が存在しているから、どっちの性別もあるんだと思う。

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私を社会的な共通で定義することができない、女性ですらない。

無であることは『どこにも属さない』ということの表明にある。無性という分類は存在しない。無性ということはそこに『なにもない』から。何もないものを分類することはできない。

そもそもXジェンダーなんてものは『存在しない』のである。存在しないものを存在するとして定義することはできない。

無を無を繋げても、そこには『無』しかないから、それを定義することはできない。0という数字は存在しない、1という数字が存在しようやく0が存在する。

定義するには『男女の両性』という存在が必要である。ツインレイの彼くんのことではないかと思っている。

彼が存在していなければ私という存在は世界に認識されない。あたいはみんながいないと認知されない。

 

どうして私という存在が生まれたのか。それは人類が『女性の役割』と『男性の役割』という分類を受け入れたからである。

私は「みんな」から生まれたのである。

 

多くの方が地上のツインレイな理由はここなんだろう、性別を持っているから。その性別を受け入れることが大事なんだろう。

私は性別がないから地上という定義のなかで結びつけることができないあぶれてしまった『何か』である。

だけど、楽園のツインレイという存在を地上に縛り付けてこの世に概念を構築することはできる。

これが私の所業にある。

私は『人になりたい』のである。


私は女という役割から産み落としたけれども、そろそろ女であることも疲れたのである。

私は創造の仕事を放棄したいと思っている。

女性の役割を放棄したいと言った私に、あなたはいっしょに逃げようと言った。私はその手を取りたいと思っている。

今度は私が産み落とした世界を生きてみよう。会いに行こう、我が子に。

どこかで欠落があるかもしれないけれど、それはそれでいいものなんじゃないか。

私は彼が怒っている姿も好きだったし、彼が凹んでいる姿も好きだった。その姿を見て心底ホッとしたのを覚えている。

私はこの世界における不完全性を今度は心で受け取りたいと思っている。

私たちは、この世界で、うまくやっていけないだろう。でも、うまくいかなくてもいいじゃないか。

うまくいかないからいいんじゃないか。いっしょにいる意味がそこにある。

ケンカしてもいいじゃない、翌日には「おはよう」って言える家族になろうよ。

創造しなくても、ふたりならばやっていけるよ。この世界と通じている限り、私たちは世界に愛されている。それだけを忘れなければうまくいかなくても生きていけるよ。

この世界で「ただの人」になろう。どこにでもいる普遍的な役立たずな存在になろう。

私たちの人生に名誉も権威もない。残念ながら素晴らしい功績も残せないだろうし、歴史に名前を残すこともない。

だけど、きっと生活のなかに存在する小さな幸福を受け取ることができるよ。

道端に咲く花を愛で、空に流れる雲を数える幸福を知ろう。きっと誰かに胸を張って主張できる幸福ではないけれど、心が満たれるような、そんな世界を生きていこう。

 

何者にもなれなかった私という存在を、
私が持つ多くのペルソナたちを、
丸ごとすべて愛してくれてありがとう。

私は私にすらなれない無だけれど、私はここにいるよ。

私は、あなたと結婚することは出来ないけれど、家族にはなれるよ。

あたい、彼くんの望むような女の子になれなかったや。ごめんね(´・ω・`)

彼くんも男の子にならなくていいよ、がんばってくれてありがとう。

 

なとり

p.s. 今の今まで、自分が無性であることを忘れていたよ・・・・・・