インナーチャイルドの訴えと癒しの実践について
インナーチャイルドの潜在意識が『悲しみ』となっていて、その奥底には『愛』が存在している構造がある。
親への愛⇒愛を受け止めてもらえない悲しみ⇒承認欲求の怒り⇒怒りの記憶が定着し恨む
という状態になっている。
根源的には親への愛が存在し、親への愛とは社会への愛である。社会への愛への到達までは、少々色々な感情が介入している仕組みとなっている。
組み換えがおかしくなると、
親への恨み⇒恨みを受け止めてもらえない怒り⇒承認欲求の悲しみ⇒歪んだ変質愛による記憶が定着する
っていう状態になる。
単純に『親を愛している意識』を思い出せばいいだけでもあるんだ。それがインナーチャイルドはひっくり返って『親への恨み』となり、表層するのは『歪んだ変質的な愛』になってしまい、それが『記憶』されるようになる。
つまり、歪んだ愛情がイイっていうのは根源に親への恨みがある。親への最大の逆襲は自分が不幸になることだからな。
復讐という悪魔に心を売ると、自分の人生をぶっ壊して人生すべてをかけての復讐をすることになる。
こんな感じになっている。
悲しみは怒りに変換されて、愛は恨みに変換される。これが認知のゆがみ。
で、この過程で『愛情を受け取った記憶は全部、恨みの記憶』に変換されていく感じ。
たとえば、人にものすごく恨まれたとしたら、それはその人をどれだけ愛したのかによる結果で、それを受け取ることができないインナーチャイルドの人は愛してくる人を恨む。
悲しみに暮れている人には対しては『怒り』とか『侮蔑』とかの目線を向けたりもする。感覚としては「ざまァみそづけ」って感じだと思う。
自分で自分を許せないでいること
自分が失敗したとき「ごめんなさい」と言えない。これは許してもらえないことが大前提だと思っているインナーチャイルドね。
許してもらえないから謝っても無駄と諦めている状態にある。事情を聴いて、最後の最後まで感情と向き合ってもらったり「次は気を付けようね。」とか、希望を見つけてもらって育って訳ではなくて、常に失敗したら怒られただけの記憶がある人たち。
この場合、頭痛になりやすい。
自分が失敗したことも受け入れにくいんだ。
なとりさんが基本的に人の失敗についてはとやかくいわない理由はここ。失敗してもそれは取るに足らん問題であって、当人にとっての問題は「ごめんなさい」が言えないこと。
自分が間違えたこと、自分が失敗してしまったこと。それを自覚しているにも関わらず、プライドによって「ごめんなさい」が言えない。
親にとっての問題は、子供がごめんなさいを言っても許さないことにある。この親の意識がインナーチャイルドに根付くから「人の失敗が許せない」になるし「自分の失敗を許せないからごめんなさいを言ったら、自分が間違えていることを認めることになってしまう」っていう問題になる。
失敗して一番悲しいのは当事者なんだが、その悲しみに沿うことがない共感性のない親もいる。
だから、自分で自分を許せなくなる。
自分で自分を許せないからプライドが高くなるし、そのプライドによって「自分は悪くない」「相手が悪い、間違えている」っていうカタチに着地して、自分が間違えているっていう事実と向き合えずに相手へ問題を押し付けることによって「自分の悲しみから逃げる」し「自分の失敗から逃げる」ようになる。
で、この悲しみと向き合え、失敗と向き合えってされても「向き合ったことないからどうやればいいかわからない」のもあって、再び同じ心理構造が働く。
自分は悪くない、失敗していない、相手が悪い。の繰り返しになる。
で、たいてい「失敗する」⇒「怒られる」と思い込んでいる。
「間違える」⇒「怒られる」でもある。だから先に自分が怒って相手に怒らせないっていう手段をとったりもする。
あと、間違えてしまったってときや失敗したとか。嫌われるって思ったときに過剰に言い訳をするタイプもこれかな。
自分は悪くないから言い訳をたて並べなきゃいけないわけなんだが、基本的にいいたことは「自分は悪くない」わけである。本質的には「許してもらったことがないから、許してもらえる状態にしなければならない」になっている。
なとりさんは「言い訳」をされたときは基本的に「怒ってないから」っていうんだが、基本的に相手の言い訳による自己防衛による負のループはこれで抑えてあげられたりもする。
私がこれを解消するためには、頭痛のときにやった。
自分がまず自分で自分に「ごめんなさい」と言葉にする。
次に、自分で自分に「次は気をつけようね。」って優しくいう。あと「許します」とか、とにかく謝りを受け入れてあげる必要性がある。
最後に口角がニカッてあがったら終了だけど、ニカッてならないときは『何かまだ解消できていない』ことがあると思う。
これで自分で自分を責めるインナーチャイルドは解消される。頭痛が治るまで行う。
ほとんどの人が「ごめんなさい」ではなくて脳内で「自分は悪くない言い訳」を並べたてて自分で自分を許す機会を逃しているように思われる。
原因は親に失敗を許してもらったことがないからにある。
だから他人が謝っても「謝っても警察いらないんだよ」とか「謝っても意味がない」とか「怒っている原因はお前のせいだ」とかの『自分が親にされたことを他者にする』ことになる。
で、これにより人間関係は破綻するよねっていうループを抱える。
他人の幸福への嫉妬
根源的には『金』である。よく勝ち組とか『金』により考えられている通り、お金への執着とか物品への執着、地位への執着とかも、ほとんどが「他人が持っていることへの憧れと恨みと嫉妬」って感じだ。
根源にあるのは『金』である。
経験的に、親に我慢させられた人たちが『嫉妬』を抱えるようになる。他人の幸福が願えないし、お金欲しいし、執着半端ないし、他人を恨まないとやってられんわけだ。
で、このすべての諸悪の根源が『金』にある。
だから金を持っている人とか。自分よりも優位なる存在へ嫉妬することになる。自分よりも持っているから嫉妬するのである。
経験として『親に文句を言わずに我慢した』経験がある人は嫉妬に繋がるっぽい。
ちなみに私は、寄付してみたんだ。したら、爆発的に「腹に親への恨みがしゅごい・・・」状態になった。腹が痛くなった。
私は金が欲しいわけなんだが我慢しているのに、なんにも見返りがない寄付なんかに金を使うなんて、頭おかしいんじゃないのってインナーチャイルドがガチギレしたわけである。
したらば、腹から蓄積した親への恨みがでてきて、ほとんどが「我慢」の経験にある。
我慢しているのは、なぜなのかっていうと「親への愛情」なんだが、この親への愛情を親は自覚していないから感謝もしないわけである。
ここで自分が持つ承認欲求が満たされない状態になる。それが『嫉妬』という妬みに繋がり、承認欲求を満たしている人が羨ましいとなって「その人は悪だ」とルサンチマンになる。
だから対応として「我慢してくれてありがとう」と自分に声掛けしてあげる。
ごめんねではなく、ありがとうだった。ごめんねの場合もあると思う。
私の場合は大号泣して終わった。インナーチャイルドが報われた瞬間である。
たいてい嫉妬をする理由は、この『我慢』が関係していると思われる。なにを我慢してきたのか? についてちゃんと思い出して、ひとつひとつ「我慢してくれてありがとう」って自分に声をかけていってあげると、たいてい泣いて終わる感じ。
これによって『子供時代の承認欲求』も満たされるから、承認欲求を満たそうと躍起になることもなくなると思われる。
我慢してくれてごめんねは違う理由なんだが、親に「ニコッ」てしてもらいたくて頑張っているのであって「シュン」って落ち込んでほしいわけではないからである。
だから、ありがとうって笑顔で言ってもらえると報われるんだよね。
ツインレイの相手により浮き彫りにされたインナーチャイルド
私はツインレイの彼に対して「ずっと我慢していた」わけで。だけど最終的に「ありがとう」じゃなくて「ごめんね」と言われて、関係性が終わったのである。
この関係性は、私が彼に承認欲求を求めているインナーチャイルドが浮き彫りとなっていたのもあるんだが、彼にしてもらったことは自分で自分にしてあげられるようになるのである。
また、私はツインレイの彼に「許す」みたいなターンも初期にあって。そのときに彼くんは「謝っても許してもらえない」って思いこんでいる部分を私が一度「事情を聴く」「理解する」と許すことで、彼もインナーチャイルドを自分で自分に癒してあげられる経験を積むことができる。
ただ、第二サイレント期間のはじまりのときに、どちらもインナーチャイルドの相手をしなくなった。
彼は私のありがとうの承認欲求を満たさなくなり、私は彼の事情を聞かずに終えた。
この段階で、他者に癒しを求めるのではなく、自分で自分のことをケアするような段階へ入ったともいえる。
インナーチャイルドが自分で自分を癒したな~となったときに『再会のステージの終わり』という状態だったのもあって、私たちのテーマはインナーチャイルドの自分を自分で癒し、愛を思い出すってことだったんだなと思っている。
今まで親に対して「生んでくれてありがとうなんて思えない」って感じだったんだけど、今は「お腹痛めて生んでくれてありがとう」ってちゃんと思えているから、ちゃんと感謝のある自分が戻ってきたような気がする(o^―^o)ニコ
もしかしたら、自分のなかに抱えているインナーチャイルドで自分が『嫉妬』とか『許せない気持ち』とか。悩んでいるものがあるのであれば、上記の内容を参考にしてみてほしい。