覚醒とは何か——火の覚醒者と水の覚醒者(出雲の覚醒と伊勢の覚醒)
火の覚醒と水の覚醒と——。今のところ、覚醒の種類が2種類しかわかっていないんだが、この2種について覚醒の種類が違うみたいなので、これについて記録しておく。
左右においての脳で左を「現実領域」とし、右を「覚醒領域」とする。
覚醒領域では「空間反転世界」を認識することができる。これを覚醒として定義する。いわば、右脳がいくばか使えるようになっていくことが覚醒ということ。
そして、左では「覚醒を言語化」「覚醒を認知」「空間を把握する」という、覚醒能力を現実領域にまで起こすことができることを意味する。
右脳だけでは覚醒しても言語が伴わなかったり、何を伝えたいのかがわからない。非現実的すぎる——などの敬遠をされることになるのが、覚醒にまでいたることで右脳にて把握している内容を現実的に繋がる他者へ伝えることができるようになる。
本来ならば、わかるはずがないことを他者へ伝えることができる。これが覚醒とも言える。
右脳の覚醒領域「第三の目」
右脳による覚醒領域では、ふたつの空間を認識される。
「現実の領域」と、反転した「現実により生み出される『もうひとつの領域』」である。
右脳では空間を「右と左」の両方を把握することができる。
- 左脳による右領域
- 右脳による左領域
- 右脳による右領域・覚醒領域
シックスセンスと呼ばれている第三の目は、この「右脳による覚醒領域」により生み出されている「右からみえている右領域」のことになる。
この右の覚醒領域により認識されるのが「霊的世界」とか「視えない世界」と呼ばれている世界観のようである。
で、最近は、色々なわけあっての疫病からの~、覚醒スイッチが入ってきた人が増えてきたのもあって、右の覚醒領域を認識している人たちも増えてきた——という感じだろうか。
この目を「第三の目」と呼んでいるわけなんだが、なぜか私は「太陽の目」として言葉がおりてくる。(すべてを見通すの意らしい。)
とりあえず、この覚醒をした人たちにおすすめなのが、朝起きたら、なるべく太陽の日のもとにおでこ当てておこうねって感じ。一昨年に夢見で「太陽になるべくおでこをあてるように」とお達しがあったので、何か意味があることなんだと思われる。
朝日浴びないと、ここの目は「起きた!」にならないのかも。ふたつの目は、目が覚めれば「起きた!」わけなんだけれども、第三の目はダイレクトに朝日を浴びなければ、寝たままかもしれない。
松果体が第三の目に関わっていると言われている。松果体の役割は「寝る」「起きる」の覚醒スイッチのオンオフを担当しており、それは太陽の日の光によって覚醒時間を決めていたりするのもあるから、これをフル活用したほうが第三の目のスイッチがはいるみたい。
最近の私は起きたら、朝日のもとでぼーっとするようにしているが、なんとなく「起きる」感覚がわかるようになってきた。稼働がまだ悪いけれども「あ、まだ寝ているやつがいるな。」っていう感覚がわかる。徐々に目覚めていく感覚。
第三の目の覚醒の種類
この第三の目により覚醒した内容にも色々種類があるようで。その種類によりけりの色々な違いがあるようである。
その種類を今のところ「火」と「水」にわけている。ちなみになとりは水の覚醒をしているらしい。
覚醒が終わると「自分の魂の意識」が戻ってくる。
火 | 水 | |
---|---|---|
覚醒 | 現実的覚醒 | 非現実的覚醒 |
系統 | 伊勢 | 出雲 |
視えているもの | 現実領域によるもの | 非現実領域によるもの |
性質 | 関係的自立 | 精神的共存 |
気質 | 現実 | 精神 |
覚醒 | 寝れない | 起きれない |
火の覚醒と水の覚醒の比較
火の性質は、より現実的アクションを好む。水の性質は、より精神的アクションを好む。
火の性質と水の性質による共通点は「過去」と「未来」を視ることが両方とも出来るということのようだ。
でも火は「幽霊」とかの死に近しいものをよく視るようである。水は「エネルギー」などをよく視ているような気がする。
火の気質は自立的なのもあり、エネルギー的な問題は起こしにくいが、水の気質は共存的なのもあり、エネルギーの問題を起こしやすいイメージ。
どっちかっていうと、火のほうがドンドン突き進んでいくが、水のほうは常に停滞しやすく、循環のためには火の気質を求める必要性がある。火の気質は水の気質が足りないと突き進みすぎて一カ所に留まることが下手になる。
火の気質と水の気質のパワーバランスは重要な感じだと思われる。
mamiさんは火の気質なんだが、もっぱら「過去」とか「幽霊」などに着眼を好むが、私は水の気質で「未来」とか「神」に着眼を好む。死と生における相関性も、火が死ならば、水は生とも言える。
火に燃えて肉体は朽ちるが、水により人は活かされる。
ゆえに、火と水の関係性は、この世の死と生の関係性である。
火の気質は死に近く、水の気質は生に近いが、火は「死ぬのが辛い」を克服し、水は「生きるのが辛い」を克服していく必要性があるのかなと思っている。
死への恐怖、生への恐怖は表裏に存在し、私たちは死ぬのも怖いし、生きるのも辛いものである。どちらも覚悟を決めていく必要性があるとも言える。
ゆえに、火と水の両方の覚醒は「生きる覚悟」と「死ぬ覚悟」の両方が必要だと思われる。
火のエネルギーが強い人は、典型的な霊能者のイメージ。視える、聞こえる、わかるを起きているときに実行が出来る。起きているときに実行が出来る。
水のエネルギーが強い人は、寝ているときに霊能を発揮する。無意識領域の霊能発揮ゆえに「夢」や「無自覚的な直感」などに実行する感じ。夢見の人は水の人が多いかも。
エネルギーの覚醒バランスは、各々に違うようである。
覚醒による魂の意識
魂の意識が目覚めていくのもあって、自分自身が「なんのためにこの地球に生まれてきたのか」を思い出したりする。
が、この魂の意識が目覚めるのも、この世の人というよりも「向こうの世界にいた人たち」とか、地球の人の魂ではない存在質が「覚醒」していくイメージ。
そこで「自分は宇宙人なのか」とか「自分の魂レベルはどれぐらいなのか」とか「自分の魂はこの世に何をしに来たのか」等を思い出すようになったりもするんだと思われる。
それらを思い出すために、火または水の覚醒を終わらせていくことにより、自分の魂の使命を思い出すようになる。でも、そもそもこの地球の人の魂の人たちは、覚醒はしないと思われる。そもそも「人生を生きることが目的」の魂だから、それが使命。
もともとこの地球では目的を探すのが目的みたいなところがある。人は自由である。理のなかでの自由であれば、何をしてもいい。なんの仕事をしてもいい、好きな趣味を見つけて没頭してもいい。そうやって「魂が大人になったら何になるのか」を探している。
その自分が何をしたいのか——を人は探していて、その探し求めているものを求めているとき、覚醒など必要ないのである。なんなら覚醒側が守らなくちゃいけない存在となっている。(やたら滅多に覚醒させちゃダメだよ、人の人生を不幸にしちゃう。人には人の幸福がある、そのカタチを守る。)
この地球における「何かしらの役割」がある場合、覚醒をするケースが必要になる。が、人そのものは覚醒するも何もするメリットもないから覚醒しないと思われる。それぞれの覚醒しなければ役割を実行することができない魂などは覚醒していくことになるようである。
覚醒に必要なトリガー
覚醒する人たちのなかでも、この世の人たちではない存在に向けて——。
覚醒に必要なトリガーは、この世におけるくさびを抜いていく経緯で覚醒へと進んでいく。これが前世における因縁を終わらせていくこと。四人いる。
また、来世の縁を結んでいくことで、この世におけるくさびを再び結びなおし、今生に留まることが可能である。
ゆえに、今生におけるくさびを抜いていく経緯では覚醒へと進み、来世におけるくさびを結んでいく経緯でも覚醒へと進んでいくことにより、合計、最低でも四人の別れと四人の出会いをしていかなければならない。
火の覚醒においては「関係的自立」を促されるために、くさびが近親にでやすいようで、水の覚醒においては「精神的共存」を促されるために、家系による因縁により引き寄せられる縁により結ばれているようである。
それぞれ自分が元々いた部署からの因縁による覚醒トリガーになっている。前世の記憶は「持っているだけ」であって、別の自分のものではない意識がある。それが合計四つ結んでこちらに生まれてきている人たちが覚醒していく。
約三十代から四十代にはいるか否か程度にてすべてのくさびを抜く人が多いので、神さん関係はこの年齢あたりで亡くなる方も多いと思われる。