レイキヒーリングと課題の一致とは?(ツインレイの『課題の解消』を含め)

| Ⓒ なとり

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さよなら、ツインレイ Kindle版
さよなら、ツインレイ

当時はこれでおしまいなんだ・・・。そんな風に思いながら書いた『さよならツインレイ』。結果的にさよならしたのは、神交法の相手であるツインレイの霊体だった件。今更振り返って読んでみると納得がいく一冊だが、当時はよくわかっていなかった。

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世明けのツインレイでは、レイキヒーリングのご提供を始めたのですが、どうにも「どうやってコンテンツを作ろうかな」というところでまごまごしてしまい、とりあえず、自分自身のなかでレイキヒーリングについての思想を固めてみるべきだと思いたった次第。

ツインレイとの関わり合いが私にとってはレイキヒーリングにもあったのもあり、こたびはレイキヒーリングについても書き述べていこうと思う。

 

『課題の一致』と私が呼んでいるものである。

私たちは、共通の課題を抱え、その共通課題を通して共通課題を克服していくような仕組みの縁を持っている。

私たちは引力により惹きあい発生する。これを『縁』と呼んでいる。すべての縁に意味があり、その縁の根源的な理由を『共通課題』と私は呼んでいる。

レイキヒーリングの思想のうち、2ndの段階では『遠隔ヒーリング』というものを学ぶ。遠隔ヒーリングではここにいない相手のことをヒーリングし、癒しのエネルギーを送ることだ。

その仕組みは『相手と自分は同じである』というワンネス的な思想を利用する。

つまり、相手は自分であるため、自分を利用して相手をヒーリングすることが出来るという仕組みである。

課題の一致とは、こういった『相手と自分は同じである』という視点により生まれている。

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課題の一致とは

課題の一致とは、本質に対して二極的に互いにとって違う側面性からテーマへ取り掛かっているからこそ、存在が違うと考えているかもしれないが本質的な部分は同じということである。

人と人の縁には必ず一致点があり、その一致に対して『受け入れられる』とき問題は生じない。しかし『受け入れられない』とき、問題が具現化されることになる。

 

もちろん、ツインレイのふたりも課題の一致が発生し、その課題が解消されるまではツインレイの相手を忘れることができないし、課題の一致の量がでかければでかいほど『ツインレイなんじゃないか』と思われる人も多くなる。

小さいものでは、コメント欄にコメントをくださる方々と私との間にも課題の一致が生じているために縁が生まれているのである。

課題の一致により回避依存と共依存のメカニズム


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私たちは、まだ『依存した存在』なので、出会いの縁が『依存』により生まれる。

図の説明:共依存の人は課題との同化、回避依存の人は課題との分離

共依存側の人は『課題との同化』の状態にあり、回避依存の人は『課題との分離』状態にある。

迷惑をかけてきているのに迷惑をかけている自覚がない側が共依存側で、迷惑をかけられ凄く嫌な気持ちになるのが回避依存側である。

課題との同化を起こしている共依存側は問題を振りまく状態にあり、課題と分離を起こしている回避依存側は問題を忌避し、逃げ出していく構造にあるが、根源には『同じ課題』を抱えている。

同じ課題とは「不安」「孤独」「恐怖」など、多岐に及んで存在している。私たちが克服していかなければならない課題のことを意味する。

共依存側は『課題との同化』を起こしているために、不安でいっぱいになる、孤独で心が折れそうになる、恐怖で誰かにしがみつこうとするというような実体験を伴い、その感情ゆえに他者へ感情を押し付けたり、罪悪感を相手に与えることで課題から逃げ出そうとする。

回避依存側は『課題との分離』を起こしているために、不安を感じなくなる、孤独を理解しない、恐怖から逃避するというような課題からの逃避をいかなる形でかの実行を行う。

そして、共依存側と回避依存側による出会いは『課題』を発生させる。

共依存側は、回避依存側に課題を押し付けようとし、回避依存側は課題から逃げ出すような構造をしている。どちらも『課題』への対応になる。しかし、そのとき対象者が存在している為に対象者からの逃避、共依存という構造を模す。

 

このときに抱えている共通の課題により縁が生じ、その縁から『課題の一致』を見だすことができる。

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課題の解消と『自立』

ツインレイのふたりが抱えている『回避依存』『共依存』の部分の間に『課題の一致』が存在している。

課題の一致により依存関係となるが、ツインレイたちがもし、この『課題』を解消し『依存』から解き放たれたとき、ツインレイたちは『自立』へと向かっていくことになる。

図の説明:回避依存の人が課題の受け入れをすると、互いの自立が促される

回避依存側では、共依存の人から逃避することにより『課題からの逃避』を模している。しかし、課題からの逃避をしている限り、頭から相手のことが離れない。共依存側も同じだと思われる。

回避依存側が降伏しサレンダーすることにより『課題の受け入れ』が生じる。課題の受け入れにより、ふたりの縁が依存的な関係性により生じた縁が切れることに繋がる。

縁が切れたとき、私たちは「相手のことがどうでもよくなる」状態になる。理由は相手と自分が共通に持つ課題が解消されたからである。この課題が解消されることにより、依存の関係性が終わり、自立の関係性へと導かれるようになる。

 

しかし、この段階では自立した同士、共存することは出来ていない。自立で対立してしまうのである。

精神が自立すると依存による課題は理解できる

依存の関係性は二元論状態となっており、自分が悪いか相手が悪いかのどちらかになっている。

しかし、自立した存在へと己がなっているとき、二元論ではなく『どちらも同じ本質』が視えてくるようににある。

自分を客観的に視ることができるようになるため、相手と自分の共通要項が視えてくると言うこと。第三の眼ともいえるんじゃないかと思う。

相手は常に『自分』という視点は、レイキヒーリングにもあるが、ワンネス的な感覚でもある。相手と自分が『同じ』であるため、嫌悪は特に自分への嫌悪にほかならない。

相手がなにか自分にやらかしたとしても、それは『自分が自分にやらかしていること』でもあるため、あんまり人に目くじら立てることも無くなる。たいていの本質的な部分の縁が依存関係性になっている引力により生じるものが問題化されやすく、感情をかき乱しやすい。

 

ほかにも、自分が自立している段階になっていると、相手に依存されるケースも多い。その場合、どのように対応すればいいのかを考えなければならない。

回避依存側が自立として考えやすいが、回避依存の感覚では『逃げたい』感覚があるが、自立の感覚では共依存として課題を持ち込んでくる人から逃げたいとは感じない。感じないが「困ったなァ」とか「弱ったなァ」とか毎度に渡り、感じている。

嫌だなとか、嫌悪感とかよりも「ここにこの感情でよからぬ方に進んでいるな」とかが分かるのが先決ゆえに嫌悪感とはほとんど感じない。

ただ「相手が何も感じない存在」になるとサンドバックになってしまうので「私にも心があるんだよ」っていう感覚をちゃんと持つようにはしている。自尊心が芽生えてきたんで。

共依存者が課題と同化してしまっているものを自覚させることも大事だし、自覚といっしょにどうやったら分離させられるのかを考えなければならない。そして問題の持ち込みは絶対的に『共依存者』にある。

回避依存者側の課題の問題は顕在化されない(逃避により隠すため)が、人生のなかで共依存者を引き寄せては問題を吹っ掛けられる、または問題を抱え続けては自分の人生を破壊するような方向性へ向かうように思う。

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課題の一致と自立と共存のメカニズム

私の場合は闇の刺客として発生した、私のなかに存在している依存を抜け出さないでいい言い訳みたいなものである。

 

天使は『共依存』により私のなかにある問題を肯定(課題の肯定)し、悪魔は『回避依存』により私のなかにある問題を否定(課題の逃避)する。

どちらも根源にあるのは課題と向き合わないことにある。こたびの課題は『依存』にあるため、回避依存と共依存の二者との三つ巴により、自立が促されるのである。

図の説明:ツインレイの関係性は依存と自立の関係性にある

従来は『回避依存と共依存』による相関性しか認識できないわけだが『依存(回避依存と共依存)と自立』という相関性からは、自立の視点が得られるため、回避依存と共依存については自覚が持てるようになる。(認知が出来る)

ツインレイの彼にとって私という課題は『依存から逃げて自立する』ということになるが、依存から逃げている時点で回避となっている。これは真実なる自立にはならない。

私の場合『依存して自立する』状態にっている為、これは真実なる自立ではない。

そして、このときのツインレイの関係性の課題は『真実なる自立』にある。

ここから『真実なる自立』を目指すことになる。そのためには『依存を理解する』『逃避を理解する』必要性がある。(ちなみに私の課題は今ここ)そして、自立を理解することにある。

私たちは、ひとりでは生きていけない。できないことはやっぱりできないし、苦手なことは苦手だし、やりたくないことはやりたくねえんだ。そのために支え合いがあり、その支え合いは依存ではないのである。

自立とは共存のなかに存在している。共存するために、自立(個性化)が必要なのである。

自立段階について

1.回避依存と共依存の課題を終わらせる(地上のツインレイ)と、依存または回避となる。

2.依存と回避の課題を終わらせる(楽園のツインレイ)と、自立または共存となる。

常に二元性を保っている。

1.回避依存・共依存(思春期)・・・依存テーマ(地上のツインレイ)

2.依存・回避(青年期)・・・自立テーマ(楽園のツインレイ)

3.自立・共存(社会人)・・・共存テーマ(真実へ到達したツインレイ)

こんな感じだろうか。

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課題の解消をコメントしてくれる人にレイキヒーリングで実行している件

たとえば、コメント欄にコメントしてくださった方々は、ほぼ全員私と課題の一致を起こしている状態にある。お互いに一致する課題があるからこそ、縁が生じているためにある。

この縁により生まれた課題の一致を私、またはコメント者のどちらかが課題の解消をすれば、お互いの関係性が自立した関係性にある。

いっしょにいられる共存の縁ならば、引き続きブログを読んでくれたりもある。しかし、回避の縁ならばブログから離れてお互いが自立を保つようになる。

『回避依存と共依存』の関係性が解消されると『共存、または回避』のどちらかに分類された自立状態になると言うことだ。つながりがあるのが共存側で、つながりがない側が回避側になる。(どっちでもOKですね。)

 

私がずっとコメント欄にコメントをいただくたびにやっていることが『課題の解消』にある。

ここに課題の一致があるかなと思う部分をレイキヒーリングにより解消していく。私の問題を解消すれば相手の問題も解消される。それをレイキを習ってからずっとやっている。

相手が幸せになりますように——っていうお祈りをしているだけ。めっちゃ簡単。お祈りしているだけなんだけど、瞑想状態に入っていることが多いから勝手にレイキが発動していると思われる。

お祈りしていると、課題の一致部分が浮き彫りになるように『理解』できるようになるんだ。

その部分を私のほうで解消すると、お互いの関係性が『自立』になるという仕組み。

 

そして、レイキにも深さみたいなものがある。私の固有の感覚かもしれない。

一層、二層、三層とあって一層目(記憶のある記憶の層)へお祈りをする人の場合は、特に瞑想にならない。二層目(精神の層)へお祈りする人は瞑想状態になる。三層目(霊魂の層)へお祈りする人は深い瞑想にはいっているので『すべての情報が断絶されている』状態になる。

たぶん、縁という課題の一致部分が『記憶』『精神』『霊魂』のベクトルに存在していて、深く潜ってまで瞑想になってしまうことも度々ある。

二層の精神の人が多いかもしれない、たまに三層の霊魂の人もいる。逆に一層目の記憶の人が少ないかもしれない。記憶の層の人は私との確実なる現実的なつながりがあると生じると思われる。

四層までいったのは、大天使アリエルさん関係でのnaoさんかな。

思考が保てない領域で聴覚などの情報が一切遮断される。

ほぼ気絶状態で気づいたら真夜中の3時だったりするんだ。瞑想って思考しようとすれば出来るんだが、四層は出来ない。そもそも思考がない領域なのだと思われる。時間の概念もないから時間間隔が失われる、3次元レベルの感覚だと思われる。死んでいるけど死んでいない領域。

 

記事の下に「気軽にコメントを書いていけよ」って書いてありますが、基本的に「書く」という行動の実行がある人は、課題の一致がある。だからその課題は私の課題でもあるから勝手に解消しているよって感じです。

なのでコメントはお気軽にどうぞ。適当に私の方で課題の一致がみつけられたら解消しているので。

私から見てあなたに見つけられる問題は、私の問題ですってことですね。

あ、ちなみに投げ銭システム導入しています。爆


サイト自体にもレイキヒーリングしたりして、レイキを楽しんでいるのだが、たまに視える何かが面白い。

先日はサイトから金色の鳥が巣立っていく姿が視えた、いつだったかは忘れたが。

またレイキをかけるにあたっても瞑想状態がレベル3(三層目)にまでいくとき、たぶん、魂的に縁がある人が来ている可能性があるのかなと思っている。

レイキで「このサイトにくる人がツインレイの再会が出来ますように」っていうお祈りしている。

できれば皆、幸せになってほしいからね。