「失敗失敗、仕切りなおしてもう一回」は何だったのか(サイレント突入の前後の詳細から記憶が戻るまでの経緯)
「失敗、失敗。仕切りなおしてもう一回!」
と私のなかで誰かがしゃべっていた件が、そういやなんだったんだろう? っていうことが未だにわかっていない。
そろそろこの辺の時系列も忘れ始めているが、思い出す限りについてを書きだしてみる。
サイレント期間が始まる前の時期にあたる。サイレントにはいる詳細だが、怒涛で一気に過ぎていった。
1.突然湧いてでてくる彼くんへの不信感を吐きまくる(これは一方通行的な精神的なDVである主張)私はこれを「????」と感じている、なんだこれって感じ。
2.彼くんは(´・ω・`)となる、私は再び不信感を抑圧する
3.その後「失敗、失敗、仕切りなおしてもう一回♪」と誰かがタップダンスしながら心で喋っている
4.バーミヤンの道の前で一気に彼への不信感が理由もなくこみあげてくる
5.抑圧しまくる(彼くんは悪くない!)
6.心のドアがバキッと割れて開く(音でバキッと聞こえる)
7.自分のホワイトなとちゃがバタッと倒れて、扉の奥に連れていかれる
同時に奥からブラッキーなとちゃがやってきて扉が閉じる
8.その後、どんどん心が開けていって、心の鎖が外れていく感覚がする(1週間ぐらいかけて)
9.彼くんを『受け入れる』ことが全体的にできる「愛する、できるよ!」
「ありがとう」してもらって嬉しいになる
10.彼くんを『待つ』ができるようになる「なとちゃ、待てるよ!」
「ありがとう」してもらう
11.他にも何か「ありがとう」してもらうはずが「ごめんね」言われて、大ショックを受ける
彼くんが「(´・ω・`)」状態を維持してて、私が耐えられなくなる、困らせたいわけじゃない
12.心のなかで「一緒にいてはいけない」と「このままじゃいけない」っていう気持ちがこみあげてくる
私はそれに従わなければならず、大泣きする
13.最後の最後にと思い「いっしょに共感して生きていきたい」と伝える
「出来ない」と言われるが、出来ないことを受け入れてサイレントに突入
14.離人してふらふらになる
15.誰かが「ばいばいだよ」って言っていなくなる
っていう経緯があった。(時系列おかしいかもしれないけれど、たぶん、これであっていると思う。)
たぶん、この経緯は『循環』なのだと思われる。
まず『一方的な精神的なDVである』という主張が最初にあるんだが、これは違うんだろうなと今ならば理解ができる。
私は彼に差し出す、彼は受け取る。この視点のみにしか着眼が出来ていないから「精神的なDV」に感じられる。
だけれど、彼も差し出している、私も受け取っている。この視点が存在していない。
その『相手への不信感』みたいなものを、全力で抑制しきる(というか、彼くんは悪くない。)と、扉がバキッと開いてしまうんだと思う。で、このバキッと開く経緯が必要で、これを1回目は失敗したのかなという感じ。
2回目は『抑圧された本心のブラックなとちゃ』があって『建前のホワイトなとちゃ』と交代をしている。
つまり「建前で喋れなくなった」って感じ。本心では「一緒にいちゃいけないんだ」「このままじゃいけない」「迷惑をかけちゃっているから離れなきゃいけない」みたいなものがあった。こっちが私の本心なんだと思う。
本心のなとりは「彼くんを苦しめたくない」んだと思う。一緒にいることで苦しめている、だから離れたかったんだと思う。だけれど、建前のホワイトないい子のなとちゃは、彼の傍にい続けたって感じ。
つまり、私は『建前のホワイトなとちゃの記憶喪失』みたいになっている感じだったのかな? と今更ながらに感じられる。
『一方的な精神的なDVである』という主張のなとちゃは『なとちゃではない』んだと思う。だから私は「なんだこれ?」って思ったんだと思う。彼くんも、それを読んで「(´・ω・`)」でしかないと思う。
善悪二元論は、扉が開かず『闇の意見(エゴ)』を手に取ったのかなと思う。でも、それは真実ではないと思う。
建前の意識が『信念(男性の場合、優しさ)』になるんだが、闇の意識が『エゴ』として生まれる。で、この信念の世界観が樹立しきらないと心の扉が解放されないから『待つ』と『すべて受け入れる』ができない。
ゆえに、本音が抑圧されたままとなる。
つまり、善悪二元論の人の思想は、人を信じられないんだと思う。つまりツインレイ男性を信じられなかった。だから逆に『悪』が生じるのかもしれない。
扉が解放されると、そのなかには『本心』が入っている。それは「本当はどう思っているのか」なんだと思う。この本心を手に取るとき、私たちは「本音のぶつかり合い」をするんだと思う。
それが私にとっては「彼くんといっしょに共感していきたい」わけで、彼くんは「それはできない」ってことだった。
多分『信念』って、本音の抑圧なんだと思う。この抑圧により『信じる心』が成立する。そうすると、エゴに打ち勝っては『本心を獲得する』んだと思う。
「彼くんといっしょに共感して生きていきたい」は『信念』だったのかもしれない。このぶつかり合いのとき、私は妙に「よし、わかった。」みたいなひとつの達成的な意識も目覚めていて『本音』の生きる方へむかったような気がする。
では、なぜ信念が生まれたのか。それはエゴがあるから。
そもそも、私たちは私たちのなかにエゴがある。そのエゴを破壊していかなければならないんだが、そのエゴの破壊をするには信念を持つ必要性がある。
「自分がこうするって決めたんだからこうする!」っていう意思がある。つまり、彼くんを信じるって決めたんだから最後まで信じ抜く! みたいな信念。
その信念は『エゴを破壊する為』にある。で、たぶん、エゴを私は抑圧しきってしまったのだと思われる。すると、扉が開く。自分の思い通りにならない現実を全力で受け入れ続ける感じかな。自分の思い通りにならない彼くんを全力で受け入れること。それに対して不満をひとつも漏らさないこと——。
で、エゴを抑圧しきると、
というような構造が生まれる。で、私は自分の本音というものを確立していくことになる。
この抑圧したものが分離していて、この分離によって糸を切っていくんだが、いろんな人が糸を持ってきてくれるって感じかな。この糸をひとりひとり切っていく。
本音がエゴとしてやってくる闇の刺客の人を内包すると『自分』が確立していく。内包したくもないんだが、内包していくときもある。受け入れる、すべてをね。で、すべてを受け入れると『糸が切れる』感覚がする。それが「さよなら」って感じになっている。
受け入れ切ってしまうと、真逆の私の『本音』がやってくる。その本音を手に入れていく。
つまり、ツインレイの期間に辛いことがたくさんあったんだが、ホワイトなとちゃはもうここにはいないのである。いないので、エゴをひっくり返して内包することで『ツインレイの期間について想いだす』って感じ。
ツインレイは反転する。この経緯のなかで、私にとっては本音が『彼』だったと思われる。で、彼にとっては本音が『私』だったのかもしれない。
私は精神的なエゴ、彼は現実的なエゴにとりかかっているような気がする。最終的には、どちらもエゴが回収され「自分の本心」が建前のなかのときの記憶からもとりだされたとき、最初はどうだったのかを思い出すような気がする。
本音は「みんな同じもの」なんだと思う。イコールで繋がっている。
で、エゴで繋がっているとき「みんなエゴがでてくる」のね。
で、私はそのエゴを内包して、エゴがあることを認めて受け入れる。そうすると、ひっくり返って『何か』が取り戻されてくる。
本心のままに生きるよ。
自分の中にあるエゴを丸ごとすべて彼は受け入れてくれた。受け入れてくれて認めてくれていた。
それは、彼の優しさだった。その優しさを今回、受け取った。
優しくしてくれて、愛してくれてありがとう。だから大好きだったんだと思う。