ツインレイの覚醒とは『天王星と海王星』により引き起こされるのか。

| Ⓒ なとり

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ツインレイステージまとめ

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さよなら、ツインレイ Kindle版
さよなら、ツインレイ

当時はこれでおしまいなんだ・・・。そんな風に思いながら書いた『さよならツインレイ』。結果的にさよならしたのは、神交法の相手であるツインレイの霊体だった件。今更振り返って読んでみると納得がいく一冊だが、当時はよくわかっていなかった。

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この日本の人たちのほとんどが海王星的なのかなと思う。神道なども海王星的。

海王星っていうとテーマは『あいまい』とされているかもしれないが、もっと、この私らしく言語化してみると『結合』とか『依存』とか。

アニメや薬物依存もそう。麻薬もそうだし、ほかにも色々な依存物がこの分類にはいると思う。

そのなかでも『ツインレイ』というスピリチュアルワードも海王星的だし、心理学やスピリチュアルっていう枠組みも海王星なのである。ほかにも集合的無意識もそうだし、シュタイナーも海王星のようだ。

ツインレイの海王星の基本的な部分にあるものは「あなたとわたしは融けてひとつになりました」っていう統合的な意識のこと。

あなたと私はひとつではありません。しかし、それが「ひとつ」になっているような感覚があるとき、私たちは海王星のエネルギーを受け取っているのだと思う。

ほかにもツインレイの期間では多く「霊的な何か」を私は見てきた。少なからず、ツインレイの彼からの『何か』を常に受け取っているのである。この『何か』とか、ツインレイの彼を通しての海王星のエネルギーだったかな? とすら感じる。

 

この点からまず「ツインレイとは海王星からの恩恵なのである」と定義が出来る。

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ツインレイとは海王星の影響により発生する

さて、ここで少々語弊が生じる。地上のツインレイは私にとって『天王星』のテーマで、楽園のツインレイは『海王星』のテーマだったってこと。

地上のツインレイでは、最後の最後に「自分の意思で別れを決断すること」により、天王星のテーマを終わらせたような節がある。

この決断は、今までの人生で恋愛依存的な側面があった私にとって画期的なもの。もともと海王星的な意識が強かったのかな? と思う。

依存をしてしまいやすい私の気質は、地上のツインレイにて決定打のように依存が立ち消えたのである。

ただ、これは海王星の依存ではなく、個人天体的なエネルギーの金星の負を終わらせたのかな? と感じられた。キャッキャウフフの楽しいだけの恋愛。これをもし、金星が表すのであれば、私はその金星への終止符を打ったのである。

そして、その金星への終止符を打つために『天王星』のエネルギーを使った可能性がある。(もしくは太陽かなァ。太陽カモ。)

自分の人生の決断を天王星が実行したような感じ。その人生を選択したのは私なのである。

 

地上のツインレイにより私は金星(恋愛中毒)から、天王星(恋愛から自由になる選択)を導き出した。

次に楽園のツインレイまでの期間にずっとニートでありながら文章を書き続ける経緯は水星(知性)のような気がする。

いついかなるときも私たちは決断をしていて、その決断を『己で実行する』とき、天王星はいつもサポートしてくれている。

そして、楽園のツインレイと出会うとき、私の海王星が爆発し始めたような感じ。出会ったときから、彼と私の境界線はあいまい。そして、ふらふらしながらも彼と統合していくことになる。そして、サイレント期間の始まりの時点で離別を迎える。

この流れそのものが海王星により依存関係になり「ふたつはひとつ」という依存関係(海王星)になり、そこに離別の決断(天王星)が入ることで「ふたつはふたつ」という自立した共存関係(海王星と天王星)というカタチに着地する。

海王星の眠りの世界へ天王星による覚醒スイッチ


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天王星って覚醒を意味する。これってもしかしたら、海王星による『眠りの世界』とか『未覚醒』『逃避行動』などの現実からの逃避活動に対して、天王星による選択の意思による決断がそこにあるとき、覚醒のスイッチがはいるのだと思われる。

私たちはツインレイと共にあるとき、夢見心地のような世界にいる。

その夢見心地のような世界から脱却していくには、天王星による決断と、そして土星による現実を重要視していく必要性があるのではないか——と思った。

 

ツインレイという存在に対して依存してしまう——というよりも、私たちは海王星のテーマを持ってくるツインレイという存在にそっくりそのまま呑み込まれてしまうのである。

そのとき、性エネルギー交流に依存したり、不思議な霊現象を『ツインレイの彼きゅん♡』と受容し続けたり、自分に起こりえる問題の多くが土星と言う現実から逃避するために必要なものを海王星により具現化されてしまうような状態になってしまう。

私たちはツインレイにより海王星のエネルギーを受け取り、その海王星のエネルギーをまんま『自分の欲求願望の具現化』に使っただけって感じ。海王星は創作などのエネルギーともなりえるけれども、現実逃避の道具にも使えるようになる。

私は性エネルギー交流とかも「いや、ウザいからやめてほしい」ってことでキレた人なんだが、ツインレイへの依存があると性エネルギーがくるかこないか——、腰が触れるのか、触れないのかなどの霊的な——、不思議な現象に対しての期待が生まれていく。

ツインレイにはすべての依存が赤裸々にされるようなイメージ。

自分の中にある依存とは何かの多くが、女性の場合は『異性』にあるのかな? と思った。

つまり「愛されたい」という欲求なんだと思う。愛されたいのに愛されていない、その現実を直視できないとき、海王星のエネルギーは全体的に『霊現象』とか『不思議現象』とかに象られていくんだと思う。

海王星のエネルギーは「愛されたい」っていう欲求に呼応するようにして霊現象や依存を呼び起こし、他にも必要な依存物を引き寄せては、その依存物にどっぷりハマりながら愛されたい欲求を満たすようになる。そして、妄想を現実と思い込みやすくなり、現実との領域があいまいになっていく。

アニメみていると、主人公が彼に見えてくる感じな。あいまいになりすぎて、意味が分からないのである。

しかし、海王星のエネルギーが「愛したい」っていう欲求に呼応するとき、創造力を齎してく。

愛したいエネルギーがあるとき、そのエネルギーを受け取る存在がいなくなったら、今度はその愛をどこに矛先を向ければいいの? あ、そうだ『創造しよう』になってしまう。

海王星のエネルギーは芸術的でもあるし、シュタイナーの神秘哲学もまた海王星のエネルギーの元にあるとは思うが、シュタイナーは天王星のエネルギーをもセットにして覚醒状態にあると思っている。

 

海王星のエネルギーが「依存という搾取」なのか「提供」なのか。それは天王星による決断も変わってくる。

天王星は、依存という搾取者を断ち切るように運命が舵をきる。(環境に依存する・運命論者)

そして、天王星は提供者に依存する存在を断ち切るように運命を断ち切らせる。(自分で決断をする・実存主義者)

天王星のエネルギーを使っている人は、自分で自分の人生の決断をしているのである。そして、他人が決断した内容も自分の決断として受け入れることができるのである。

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ツインレイの課題『海王星を打破すること』

私の場合、なぜか「水になった」わけで。たぶん、集合的無意識を理解したんだろうなと思った。

しかし、ほとんどの人がツインレイの課題は、海王星を打破することなのだと思う。

それは、いかに海王星により夢見心地となって現実感のない状態になってしまったのか? っていう状態から現実感を手に取っては現実をいきるほうへ地に足をつけるように向かわせられるのかである。

海王星は現実感が無ければないほどに海王星のなかに囚われることになる。

そして、その海王星による夢見心地の妄想状態などの状態から、天王星により決断を持って現実へ切り返すことにより、ツインレイたちは『覚醒』していくのである。

もともと私は「ツインレイの覚醒は霊的覚醒ではない」としていた(本音を言うと、霊的覚醒をしたくない)のだが、霊的覚醒をする人たちの多くが海王星のなかに留まり続ける愛されたい欲求を解消しきれなかった人たち。

ツインレイを追い求める人たちはずっと「愛されたい」のだと思われる。だからこそ、ツインレイを立ち切っていく決断がなかなかできない状態に陥る。

海王星は天王星によるエネルギーを必要とする。それは『現実感を持つこと』への決断である。

 

海王星を打破するとしても『愛が依存だと思っている』とき、それは依存だよって海王星へとどまらされる。

『愛は自立した上にしか存在していない』と思っているとき、それは海王星のエネルギーを純粋に使ってよねって話で、海王星のエネルギーをもらえる。

♆「海王星のエネルギーを与えるぞ、このエネルギーを使いこなし、身をたててみよ。」ということなのかなと思う。

ツインレイは愛することにより自立する。それは『自立』を求めていくためにツインレイとは離別しなければならない。その離別の決断を受け入れ、または決断をしていくことになるだろう。

この『自立』は最終的に愛による循環が生まれるだろう。

ツインレイが海王星の課題を終わらせていないとき

この海王星のテーマを終わらせていないとき、ツインレイたちは必ず『依存物』を残している。それは創造的ではない依存物である。

依存物とは、

  • アニメやドラマ
  • ゲーム
  • 薬物・麻薬
  • 嗜好品(酒・たばこ)
  • 現実逃避物
  • 妄想に耽る
  • スピリチュアル
  • 占い
  • 霊能力
  • ギャンブル
  • 信仰宗教
  • SNS(婚活アプリなど)
  • 依存対象の人(ツインレイ・DV夫など)
  • スマホ
  • etc….

って感じだろうか。

この人生のなかで、ほとんどきり捨ててきたものだなと思う。

ちなみに私はアニメみてるし、スピリチュアル的だし、宗教的な存在だと思っている。が、これからに依存しているのとは別の話でもあるのかな? と思っている。

現実逃避を求めていることが問題なのである。たぶん、これらのなかでどれか「やっているもの」があるとき、それを1か月断ってみたらいいのかもしれない。

去年の夏にスマホを1か月断ってみたが、自分のなかにあるスマホ依存の実体がわかったよ。また、今年に1回やりたいなと思っている。面白いから。

 

この海王星の期間では『詐欺』『依存物』『中毒性』に関するものに注意が必要とされている。

ツインレイの期間では、詐欺にあったり、依存しやすいものに出会ったり、中毒になりやすいものを受け入れてしまい、いつの間にか「洗脳状態」にあっていて——だなんてこともあるみたい。

この状態から脱却せよってのがテーマだとも思われる。

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ツインレイが海王星の課題を終わらせているとき

芸術的だと思われる。海王星のエネルギーは、逆転して『依存物をつくる』ことでもあるんだ。

それがアニメやドラマなどの創造物でもあるし、もしかしたら、この世明けのツインレイを毎日読みに来ているのであれば、このブログもひとつの嗜好品になっているってこと。

依存物と考えられるものは『一時的に遮断される』ようになる。そのときに「必要だ」と思う人と「不必要だ」と思う人の2種類がいる。

この選択権は天王星にあるんじゃないかなと思っていて、天王星による決断力が保てているのか。それとも、海王星に敗けてりうのか——によって結論は違うような気がしている。

天王星は『海王星からの解放』でもある。いわば、自由への扉にあたるんだが、自由になるためには依存をやめていかなければならない。

それが子供時代の習慣が抜けきらないことかもしれないし、薬物に関する依存かもしれないし、なんなら、依存することで自分を保っているのであれば、海王星からは抜けきらない。

天王星の自由は「この地上における自由」であって、海王星の自由は「頭の中の妄想における自由」となっている。そもそも意味が違うんだが、海王星は現実と妄想を曖昧とさせるから海王星の自由を得ている人も「この地上における自由」を得ていると錯覚させられている感じのこともある。

逆転の発想からすれば「地上の自由」と「妄想の自由」を分離して認識することが出来ている場合、地上の自由の獲得権を持っているともいえる。

昨日、宇宙関係のものを読んでいたが、そのあとに気づいたことをひとつ書いておく。
これ「洗脳」に関わっているなと思った。
その人を洗脳することによって「空間に閉じ込めること」ができるようになる。
(中略)

宇宙に関するSF的な話が現実にある、宇宙人は存在する。そんな風に思ったとき、先ずは「洗脳を疑う」必要性もある。
ただ、私たちは宇宙人がいることは知っていると思う。だって私たちは宇宙生命体だし、地球に生命体があるのに、ほかの惑星に生命体がないとは絶対的に言い切れないってこと。
この絶対性がない状態を「存在している」と舵を振っているとき、私たちは洗脳を疑うべきなんだと思う。
そして、洗脳にあいやすいものとして「スマホ」がある。

引用:注意するべきスピリチュアル系の洗脳の話。

ツインレイ男性は、ツインレイ女性を洗脳していくのかなと思う。役割が逆なのである。

ツインレイ女性は洗脳された分だけ、サイレント期間に苦しむことになる。それはツインレイ男性に洗脳をされたと言うのに、ポイ捨てされた人もいると思うし、洗脳されて「こりゃヤバい」と気づいて脱却しようと逃げ出してきた人もいる感じ。

宗教にハマってしまい、その宗教から抜け出すにも、色々な種類がいる感じ。

引用:ツインレイの洗脳から抜け出すことが覚醒なのか。

少し前に「洗脳」について書いているんだが、たぶん、海王星の洗脳と月の洗脳があるのかもしれないな。後者のツインレイに関しての洗脳は『月』として私が書いている。(なぜ、こんなことを思ったのかすら、今更思い出すことも出来ないのだが。)

このように「これは現実的な話なのか」「これは妄想的な話なのか」の審判を下らせることができる力を齎すのが「覚醒の力」でもあって、未覚醒による創造の話のなかにとどまってしまうとき、未覚醒なのだと思われる。

未覚醒のとき、私たちは何かしらの依存物と洗脳にあっている。そして、その洗脳に気づけない理由がある。自己肯定感があること、自分は正しいと思っていること。根底には「愛されたい欲求」が眠っている。

 

しかし、海王星のテーマを終わらせている人たちは『創造の提供』をし、そして『愛したい』と思っているのである。

愛されたいと思っている人たちをではない。愛したいと思っている人たちを愛し、また、これからの未来を担う存在たちを愛することで育てたいと思っているのである。

海王星とは『創造と言う子育て』の世界観にあるのかなと思っている。これが創造力を持つ母の力ではないだろうか。