夢見|人の使命は死神が教えてくれている件について
本日の夢、タコになる夢でした。・・・、ほら海にいるあれだよ。あれになりました。・・・・・・。で、投網がうえからかぶさってくるのを見ていた。
タコの夢の意味は、
自己推進力を備えた宇宙意識。とらえどころのない人物。まとわりつく人物。逃げようとしている人物(詐欺師・犯罪者・偽りの恋人・心の離れた配偶者等)。独占欲。依存。母親から逃れられない気持ち。障害。滞り。損失。無意識の不安。セックスの愛撫。
とのことで。分析として「タコになった」ので、タコの象徴そのものが自己である——として考えるべきである。このなかで「自己推進力を備えた宇宙意識」というのが一番に合うかなと思った。
同時に「使命とは」についてを情報としてタコとなりながら教えてもらってきたためである。
そう、私はタコになりながら「使命は死神により伝えられている」とのことを知ったのである。
タコになりながら。
過去に私は一度、死にかけている。そのとき、地上のツインレイのサイレント期間である。その日の夢では作務衣をきたおじさんが私に「死にかけるよ!」とは教えてくれているとき、私は毒で死にかけたのである。
そして、そのとき「死ぬわけにはいかない。」とも思った。その理由は、父と母と師匠、これから出会う結婚相手が悲しむからである。だから死ぬわけにはいかないのである。
これが「死神による教えられる使命」なのだそうな。
死にかけるとき、意識上で「死ぬかもしれない」という予感をさせることに意味があり、それ以上には特に何もなく。「死ぬ!」と想えばいいみたい。
この死により私たちは「死ぬわけにはいかない理由」があり、その理由が私たちの使命なのである。
たぶんほとんどの人が「誰か」を思い浮かべると思う。
この誰かが私たちの使命のヒントとなる。私は父と母と師匠が私の使命のヒントとなっている。
「死にたくない」だとエゴイズム性が高くて、使命ではないんだと思う。私たちは自分の為に生きているわけではなくて「誰かの為」に生きているから、この時間を、この命を誰の為に使うのかに意味があるのである。
だから死の概念を持って「死ぬわけにはいかない理由」が私たちの使命だということ。それはすべて「自分以外の誰かの為」が使命。
死にかけるときにそれを魂が自覚する。それが使命となる。使命は後天的に出来上がるもので先天的に出来上がるものではないようだ。
その人生で「大事なもの」がこの世にあるとき、それが使命となる。
私は両親と共に生きているのもあって、これは、まァ、そのままにおいておく。私は親を背負って生きていくつもり。
当時、サイレント中の地上のツインレイのことは一切頭のなかによぎることもなかった。つまり、私は地上のツインレイの彼との間に使命は存在していない。ゆえに離別でよかったんだろうなと思っている。
そして師匠である。私は師匠以上に賢い人を知らない。そして、この人以上に賢いがゆえの苦しみや孤独を持っている人を知らない。
私はその「天才が持つ独特な孤独」をなんとかしたいと思っていたのである。それを癒してくれるのは母だけってことも知っている。
そして、もうひとつ。私がこの死にかけたときに思ったことが「これから、なとちゃが出会う人がひとりになっちゃう!」ってこと。彼くんのことだとは思うんだが、私が結婚する相手が私が死んだらひとりになってしまうこと。
それは困ることだった、さびしいじゃないか。
これもまた、私のひとつの使命なのだと思う。
その後、私は神さんに「タマヨリ」の名をいただいとる。神武天皇の母なんだよなァ~、この人。
やぱ、これが私の使命なんだなと、改めて思った。
人それぞれ使命は違う。その使命は身近にある。あなたが生きる理由が使命って感じ。
その使命の為にこの世に存在し、また、死神は私たちに使命を教えてくれている。その使命を受け取ったあとから「どう生きるべきなのか」の定まりがでてくる。
だから一度ぐらいは死にかけて、自分の命をどのように使い果たしていくのかを考えてもいいかもしれない。まァ、死にかけるが。
それから、私たちは使命を「人のなか」にしか見つけられないし、「この人生のなか」だけにしか見つけられないなとも思った。
つまり魂の使命よりも、人の使命のほうが実際はとてつもなく重要な感じ。そして、その使命を私たちは生きている。
それはやっぱり「人の為」な感じ。自分の時間は人の為にしか使えないから。自分の為に時間はずっと使っている。だって私は私の時間を生きているから、人の為に自分の時間を使ってても、やっぱり、それは自分の時間だなって感じ。
で、私は地上のツインレイの人とは別れた。違うから。私のもとめている遺伝子ではないから。
別れた後「どういう人と結婚するのか」を色々予測がついたのと、どんな人なのかも夢見で色々知っていた。まんま彼くんだった。
私が求める最良の遺伝子がそこにあるって感じ。そして「あたいの結婚相手、精神をやみやすいな。」と思って心理学とか医学関係も本を読んでいた。
この一件のデータをタコになりながら得。
この一連の内容は、自己促進力を備えた宇宙意識のことなんだと思う。
つまり「自分を鼓舞して生きていく意識」って感じ。それが使命なんだと思う。
ただ生きているだけのみならず、自分を鼓舞して生きていく内容が使命。
最近、ギフテッドの話が増えてきたけれど、ギフテッドは「自分を鼓舞して生きている」人たちが多くて、なにかをなそうとしている人たちが多い。
その作品や、そのお話とか。色々な、その人のオリジナルのなかから、ギフテッド同士は何かを感じていて「よし、自分もがんばろう。」って思える瞬間がある。
なんかギフテッド同士の回線みたいなものがあって、それは人の使命に対してイチャモンつけたりとか、何かそこから『学ぶ』とかでもなくて「なるほど、この人はこの人の人生を、この人のやるべきことをやっている。だから自分も自分の人生を頑張ろう。」みたいな感じになる。
自分の人生へ立ち戻るとき、やる気がでてくるんだ。そして「自分も頑張ろう」って思える。人が持っているものを羨ましいとか、人が何かやっててもギフテッドがあんまり気にしていないのは「自分がするべきことを頑張っている人たち」だからなんだと思う。
テレビのドラマとかでも、ギフテッドが作った作品とかは、私もなんとなくわかる。それから、そのギフテッドが若いと「若いな!」と思うのと、歳重ねているとギフテッド向けへのメッセージが隠れていることがある。
無自覚だとは思うが、駄々洩れてしまう。エネルギーみたいなものな感じ。
そのメッセージは「いっしょにがんばろう。」って感じなんだけれど、作品のなかで直接的そのように語られることもなくて全然関係ないシーンなんだけれど、、ただ、勝手に「よし、がんばろう。」と思える。
「そうだよな、うん。そうなんだよ。よし、頑張ろう。」って勝手になっちゃう。
世のなかにはたくさんのギフテッドがいる。だけれど隠れている。まだ伝えきれることができないでいるギフテッドもいる。なんか頑張れないでいるギフテッドも多くて、心折れちゃったりもする。
たいてい発信していかなきゃいけなくて、でも、そのなかでやっぱり人って残酷だからね。
ギフテッドへ伝えたいのに伝えられないだなんてこともあるんじゃないかなァと思った。だけれど、そういうときは受け取ればいいんだろうなと思う。受け取りつづければ、いつか差し出したくなるから、そのときまで受け取りつづければいいんじゃないかって思った。
私もやっぱり元々は矢面にたつのは怖い人だった。
ブログにもなんかよくわからん攻撃性を持って書き込んでくる人もいるし、その傍らで私が活動し続けることができるのは、ギフテッドさんたちがこのブログから「がんばろう」って感じてくれているからなんだろうなと思っている。
がんばろうって思ってくれる人たちの為に、私はがんばれる気がする。
あともうひとつの夢見として。というか、向こうとこっちの世界のはざまの世界で。
私が寝ているところの横に、お坊さんが壁に寄りかかっていた。
緑色の作務衣を着て、その下には青いシャツがみえた。お坊さんはつるつるの頭してた。ほんと、つるつる。
その横顔がすごくスマートで、とてもきれいなお顔をしていた。正面から見ると普通なんだけれど、横顔がとてもきれいな人。微笑んでいた。
◆僧侶と話をする・お経や真言を聞く…幸運で願いが叶い、良き協力者に恵まれる吉兆。
何話したのかはもう忘れちゃったけれどね。
あたい。彼くんがよかったのは「横顔がかっこいいから」っていうのがあった。
男の人がちゃんと社会をみている姿はやっぱりかっこいいものだと思うよ。