ツインレイという蛇の生殺し、勝敗のない世界で。
一思いに殺さず、半死半生にして苦しめること。物事の決着をつけずにおいて苦しめることのたとえ。引用:蛇の生殺し(へびのなまごろし)
ツインレイとは、蛇の生殺しのようだ。
最後の最後に、物事の決着をつけさせてもらえない。それによってツインレイという泥沼にはまり込み、そこから抜け出すことができない。
私たちは白黒つけたい。結論を出したい。だからこそ私たちは悩んでいる。
それは正解、不正解というように、付き合う、付き合わないというような白黒の決着をつけては、安心を覚えている。
そこに決着がないからこそ私たちは苦しんでいる。
もちろん欲求も相まって「再会したい」とか考えてしまうことから、この場において抜け出すことも難しい。
だけど、根源的には「諦める理由を与えられていないこと」なんだと思う。これが蛇の生殺し。
ツインレイの別れのときに、物事の決着をつけさせてもらえなかった。ツインレイとちゃんと話が出来なかったのもあるかもしれない。そして、相手の気持ちをちゃんと聞かなかったこともあるのかもしれないね。
そして、ちゃんと話さなかった人もいるのかもしれないし。
どっちなのかわからないけれど、どっちにしたって「ふたりの結論」をちゃんとだせなかったことがあるんじゃないか。
白と黒の結論を出していくことから、脱却することもひとつの課題なのかもしれないね。
私は先日のテレパスで「彼は結婚したんだな」と思った。だけれど、そんなの理由にならないんだな。
それこそ、結婚をしている、結婚をしていない。このふたつによる二元性の思想が、私たちを苦しめている。
結婚をしていても、結婚をしていなくても、ふたりの結論がでていれば、私たちはここまで苦しむことはなかった。
この結婚をしているから諦める——というのは、二元性による結論だったんだろう。
だけど、なんかもう三元性へ突入していく身からして「もうひとつの視点があるでしょう?」と言われている。
今現在、結婚をしていても、結婚をしていなくても、あのとき、彼を好きだった記憶は何も変わらない。
ただそれだけなんだと思う。
私たちは、いかなる決断をも繰り返し望まれている。この人生で大きな決断として女性の多くが、お付き合いのなかにあると思う。
だけど、私たちは上手な別れ方を知らない。ふたりで結論を出せればいいよ、もちろん、次に新しい人がいればいい。
でもすべての人にそんな恩恵が与えられているわけじゃない。
だからこそ、私たちは過去を肯定することで前を向いて生きていかなければならない。
私たちが肯定しなければならないのは「今」ではない。人生のなかで、私たちは「私たち」のなかに結論を出していかなければならない。
相手がどうだから自分のことを決めるのではない。
それをスピリチュアルで他人軸という。
私は、地上のツインレイのときの最後「私の未来の人生の為に」と結論を出した。その結論は「彼が私と別れたいと思っているから」ではない。
私は「私の未来の人生があり、私の未来の人生を守るために私の結論を出した」のである。
そして、私は今回、私の人生の過去を振り返って思うんだ。
私は、あのとき、とても一生懸命に向き合ってきた。
結果、あんまりな状態となった。それはやっぱり苦しみしかない関係性となった。
これ以上いっしょにいることはお互いの為にならないと思った。あのときはあのときで一所懸命にお互いの為に結論を導き出してきた。
そして、今も私は「あのときの私の結論」が本当に正しかったのかを考えてしまうときがある。
もっとほかにやり方があったんじゃないか、と。後悔ばかり。
最後の最後にはもう私の話は彼の耳には届かなかった。自分のことばかりの人になっていた。
それでもやっぱり一緒にいたい思いがあったから、ほかにもやり方があったんじゃないかと今でも考えてしまう。
そして、今でもやりなおしたいって思う気持ちがあるのは、やっぱり好きだったからなんだろうなって思う。
私が肯定するべきものは「過去、私は彼のことが好きだった」。ただそれに尽きる。
今更、彼が結婚をしていると知ったところで「過去に彼のことが好きだったこと」がなくなるわけじゃない。
私の人生がなくなるわけでもないし、私のその想いだってなかったことになるわけじゃない。
私はただ「過去にあった真実の心」だけを肯定すればいい。
今の彼がどんな状態であろうが、私のなかでなにかが変わるわけじゃない。
ただ「過去、好きだった人がいた」ことに何も変わらない。
彼が今、どんな生活をし、どんな生き方をしていようが、それは私にはあんまり変わりがない。
蛇の生殺し。どうしてこのような状態になってしまうのか。
それは「結論を出そうとするから」である。
私たちは私たちの人生のなかでひとつのものがある。それが過去である。過去にある事実だけは絶対に変わらない。
それを手に取ればいいだけ。過去にある真実を手に取るとき、私たちは「過去を過去として理解する」のである。そして、それが事実であり、真実である。
私たちは私たちのなかにある真実を持っている。
私は地上のツインレイで「未来の自分」を手に取って、その自分を肯定した。私はあのとき、一本道をまっすぐに歩く決意をした。私は私の想いを肯定した。
これからも彼のことが好きになるんだろうという未来の私を肯定した。だからもう二度と連絡してほしくないと告げた。
私はこたびのツインレイで「過去の自分」を手に取って、その自分を肯定する。私はずっと一本道を歩いて生きてきた。
過去、私が好きだった気持ちは、彼が今、私にとっていかなる都合の悪い状態であろうが、変わらない。何も変わらない。
過去はかえられないよ。どんなに憎まれても過去はかえられない。
過去の自分も、未来の自分も肯定する。その気持ちを肯定して生きていく。
そして、今の自分の気持ちも丸ごと肯定して生きていく。私は未来の自分を肯定して生きていきたい。
きっとふたたび出会えば、きっと愛する人なんだろう。
だから再会したくない。ふたたび出会いたくない。
だから私に連絡をしないでほしい。私を見捨ててほしい。
私の人生の為に、私は彼との再会を望まない。私の人生を奪わないでほしい。
もう二度と愛する苦しみを味わいたくない。
だから、さようなら。
あなたがあなたの人生を生きているように、私も私の人生を生きていく。
いつのツインレイもみんな同じだった。結論を与えてくれない。だから私たちは苦しんでいる。
でも肯定すればいいのは「過去の気持ち」「未来の気持ち」、そして、そこから導き出される本心を受け取ればいい。
再会したくない。それはやっぱり愛していたからなんだと思う。
もし、どこかですれ違うことがあったとしても無視してほしい。
私の優しさにつけこまないでほしい。
勝敗の世界で生きていない人たちもいる。
その人たちは、きっと白黒つかない決着のつけ方をしらないのかもしれない。
私のことである。複雑なんだよ、物事は。
現象ではない、気持ちの感情部分で生きている人たちは、この「勝敗のない世界」にいる。
感情部分で結論をだしていかなければならない。なかなか難しいことなんじゃないか。
一生懸命がんばって誰かを、ツインレイを愛しぬいた経験をなかったことにしないでね。
その経験を、その自分を、その感情を肯定するとき、きっと本心がわかるよ。
根源的には「諦める理由を与えられていないこと」なんだと思う。これが蛇の生殺し。
私は、諦める理由を受け取らない。だから蛇に生殺しにはされない。
私は私の過去と未来と今の心を大事にするよ。
アダムとイブの原罪——、あなたが蛇だったんですね。
私に理由はいらない。私に必要なのは道理。たったひとつの理の道。