夢見の報告|バベルの塔を抜けた夢、パウロと呼ばれた夢。最も小さき人になるよ。
夢見の内容
塔の中にいる私。どうやら私は暗殺される可能性があるらしい。周囲の人たちが、人形を私に見立て落下させた。逃げ出したと見せかけ、その途中で死んだとしたのである。
そしてこれから本当に死んだのかの確認に誰かがやってくるだろう。だからそのために私は従者ふたりといっしょに逃げることになった。暗闇の中、従者と大きな鳥の背中に乗った。そして逃げ出した。
最後に「パウロ、パウロ、パウロ!」と三回呼ばれた。
この塔、何を意味しているのかがまずわからないのだが、昨日いったところは東京タワー。東京タワーのなかには天照が祀られている。
芝大神宮は「豊受姫」だが、近くにある東京タワーに「天照」がいることで、これが「東京の伊勢」なのだと思われる。
芝大神宮には天照というよりも、メインは豊受姫だと思われる。だから東京タワーそのものが天照になる。
先日「外に出ろ」と火の私の役割の方に教えてもらった。これのことかなと思った。
「塔の中から出ろ」なのだと思う。
そして、夢見の内容がバベルの塔っぽいなと思った。タロットカードの塔とも。
【バベルの塔の物語】
ノアの大洪水の後、人間はみな同じ言葉、同じ言語を使って話をしていた。人々は東に移動しながら暮らし、やがてシナルという土地にたどり着いた。
そこで人々は、神が作った石の代わりにレンガを作り、漆喰の代わりにアスファルトを作る技術を身に付けていった。しかし、こうした技術の進歩は、次第に人間を傲慢にしていく。天まで届く塔を建てて町を作り、有名になろうとした。
「我々は、もう神に近づいた」「これでもう、神を恐れる必要はない」「この高い塔こそが我々の神だ」とばかりに、どんどんどんどん、塔の高さを上げていった。
その様子をご覧になった神は、人間の傲慢な企てに怒った。これを放置しておけば、人間はますます傲慢になり、神をも恐れぬ存在になり、高い塔を崇めるようなことになるだろう。
偶像崇拝を厳しく禁じるユダヤの神は、「これは神に対する冒涜(ぼうとく)行為である」と、バベルの塔を一瞬にして崩壊させてしまった。
さらに神は、「このような状況になったのは、人々がみな、同じ言葉を使っているせいである」と考えた。そしてバベルの塔を破壊した後、神は人間の言葉をバラバラに分断してしまった。引用:「バベルの塔」から導き出した、巨万の富を得るために重要な二つの共通言語 世界の富を支配するユダヤ人の成功哲学を「タルムード」から読み解く(4)(1/4) | JBpress (ジェイビープレス)
なぜ神は「人々が皆同じ言葉を使っていること」が、バベルの塔をたてる人たちがもつ神への冒涜(人の傲慢)に繋がったんだろう? と思った。
とりあえず、簡略的な文章にしてみよう。
「人々が同じ言葉を使っていたら、高い塔を崇め、神を恐れることはないほどのド偉い人間さまになってしまいました。」
つまり、神はこのようなことが言いたいのだろうか。
高い塔をたてることが出来たとしても、人が神ほどに偉くなることはない。どれだけお金を持っていても、それは神のように偉いわけではない。
それは高い技術があったとしても「神ほどに偉い」わけではなく、人は人なのである。だけど、人は「自分は偉い」と感じ、自分よりも劣等している人たちなどを見下し、侮るようになる——ということ。
で、これの原因は「言葉が同じだから」ということだ。
天照大神を偉いと思っている人が多いのかもしれない。だけど、本当に偉いかどうかはまた別の話なのかもしれない。
けっきょく「どうして偉いのか」を証明することができない。だからこそ、それが本当に偉いのか——なんてわからない。わからないけれども、人が「偉い」と言っているから「偉い」になっているかもしれない。
これが言葉が持つ魔力みたいなものなのかもしれない。
もしかして、多くの天照は「傲慢」になってしまっている人たちが多いのかもしれないと思った。
人の心は、神に通じている。その主軸になるのは「自分」という「太陽」なわけなんだけれども、この太陽が「傲慢」となっている人たちが多くて、それが東京タワーのシンボルになっているのかな? と思った。あれこそが傲慢のシンボルなのかな。
私が持っている天照さんに対しての印象だが「玉座に座っているなんもできない人」って感じのイメージがある。
だから「偉い」のである。これが「自分」である。
自分とは何もできないから偉いのである。何かできることが偉いんじゃない、何もできないから偉いのである。この理屈がどう転ばせれば理解できるのか、なかなか難しいのだけれども。
「できる、だから偉い」ではない。「できない、だから偉い」のである。
だから、高い塔に天照がいるのはおかしいのかな? と思った。高い位置に座っているのが天照ではないのかも。
実際、そこにいる神は「傲慢の神」かもしれないね。
傲慢の神の段階を抜けていくと、闇の世界を抜けていけるのかも。
そして、闇の世界を抜けていくと「言葉の弊害」をも失うようになるのかもね。
もともと、バベルの塔は「地球にいる色々な言語」について書いているように思うのだが、私たちの個人個人においても「言葉の弊害」は存在している。
傲慢の神による言葉の弊害があるんだと思われる。人を侮り、見下し、無礼を働く。これぞ傲慢にある。
心と言葉の不一致は、無礼に見えるんだよな。慇懃無礼もいるし、そのまま態度そのものが無礼にも感じられるきらいがある。
その心が「自分は上だ」という意識こそが傲慢な意識なんだが、この「自分が上だ」という意識そのものが神の意識ではない。
一番偉いとされている天照さんは「自分が一番偉い」わけではないと思われる。「自分が一番下だ」という意識が神の意識だと思われる。
たまに「あなたは上だ」と上に据えているように見せかけて「見下している」人とかもいて、これが慇懃無礼にしか感じられない。
こういう人たちは「言葉の裏側が読めない」という感じ。言葉の裏側に存在している精神的な背景を読めないから、言葉が通じないよ。これは本当に。
自分が一番に偉いから傲慢がある。傲慢さは人の言葉を理解しない。人の言葉の背景が読めない。だから「傲慢な人は同じ言葉をつかえない、会話ができない」のである。
この世に存在している人は「傲慢の罪」を背負っていて、傲慢があればあるほど、人の言葉を理解できずに曲解しか出来ない状態に陥るのだと思われる。
これがバベルの塔の意味かな。
これから「傲慢がある(人を見下す人)」と「傲慢がない(人と対等な人)」の2種に分類されていくのかも。明らかに言葉が通じないからわかるよって感じだと思われる。
「鶏」は、天照大御神が隠れた「天の岩屋戸」の前で鳴声をあげて、大神を迎え出し、闇を払い、再び光(太陽)を取り戻す役割を担った。
天照大神の再現を知らせる、鶏のときの声が、暗闇の中で、はびこっ ていた邪や災いを霧散させることになった。
主祭神、天照大御神(「神宮」)の神使は「鶏」とされている。
引用:鶏~ニワトリ(2)
鳥の背中にのって抜け出してきたんだが、鶏だったのかな?
まだ暗闇の中だけれど、逃げてきたよ。
あと、パウロ。調べた。
キリスト教の人で、新約聖書の後半を創った人。もともとはキリストさんの信者ではないんだけれども、キリストさんの声を聴き、奇跡により回心によって使徒になった伝道師。
パウロは、キリスト教の初期にあって、伝道に最も力を注いだ使徒です。イエスの十二人の弟子の一人ではありませんが、キリスト教圏では最もよく知られた馴染みのある聖人の一人です。
(中略)
彼は生まれた時からキリスト教徒だったわけではありません。それどころか、もとはサウロという名で、古代ローマ帝国の市民権を得ていたユダヤ人でした。当時、興ったばかりのキリスト教を信奉する人々は、古代ローマの神々を信仰せず皇帝の権限を認めないため、迫害の対象となっていました。そうしたキリスト教徒を捕縛することに極めて熱心に力を注いでいた一人が、実はサウロだったのです。引用:B.island(新潟県立万代島美術館ニュース)第20号-5 「眼から鱗が落ちる―聖パウロの改宗」 | 新潟県立万代島美術館
サウロとは、イスラエルの初代の王様のサウルから取った名前です。 一方、パウロとは、最も小さな者の意味です。
なとちゃ、パウロになったかも。最も小さき者になったのかも。
確かに、塔の上から抜け出してしまえば、最も小さき者なのかもしれない。なんか、すごくしっくりくる。
「最も小さき者」。しっくりくる、これが私だと感じられるなァ。
東京タワーから地上を見下ろして「人」を実感しなかった。そこにいるのが「人」だと感じなかった。
この感覚こそ「サウロ」である。
私は東京タワーから抜け出した私はパウロである。
塔の上から感じることができない最も小さき人を生きる存在である。
なんて愛おしいんだろう。
私は「布教」に怒っていたんだが、これにて回収である。なんでかキリスト教の布教が許せなかったんだ。
あと「東京大空襲」にも怒っていた。昨日で回収かな・・・・。許せるかな、ようやくのことだ。