報告|縄文人的ななとりがでてきた件について

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ツインレイステージまとめ

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さよなら、ツインレイ Kindle版
さよなら、ツインレイ

当時はこれでおしまいなんだ・・・。そんな風に思いながら書いた『さよならツインレイ』。結果的にさよならしたのは、神交法の相手であるツインレイの霊体だった件。今更振り返って読んでみると納得がいく一冊だが、当時はよくわかっていなかった。

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まどろみのなかでは、この世の存在ではない「誰か」をみるんだが、前回はmamiさんのご主人が死神姿で私のもとへやってきた。

こたびのまどろみでは「縄文人的ななとり」がでてきた。

雰囲気的には、アリアエルによく似ている。アリエアルは、野性的な神々しさがあったが、ここはもう「なとり」である。普通の人だったけど、野性的な雰囲気だった。

縄文人みたいな感じだったけれども、顔立ちは弥生人に似ている方だったが、うーん。弥生人ではなかった。

なんだろうな? と思って色々と検索して「縄文時代」とか「弥生時代」関係のことを調べた。

したら、つい最近、新しいゲノムの発見があったらしい記事を発見。

日本人って「縄文人の遺伝子」「弥生人の遺伝子」と、新しくもうひとつの「古墳人の遺伝子」が発見されたらしい。

マ ジ か よ 。

ここ最近まったくもって最新情報を私の中に入れていない。まさかの、まさかの第三の遺伝子が発見されていたとは!

ってことに、先ずは感動して、そこから「古墳人」について調べるんだが、何も一切合切、情報がネットには落ちていない。

とりあえず話の流れ的な時代の流れをおおまかにいうと、こんな感じだよっていう話を書いておこうと思う。が、めちゃくちゃざっくり書くので、本当のことを知りたい人は、ちゃんと調べてほしい。

 

もともと日本人には「縄文人」っていう遺伝子と「弥生人」っていう遺伝子があった。

元々、この日本には縄文人がいたって話なんだけれども、こちらの遺伝子はどうやら大陸から来たようである。

そして日本に土着したわけ。そして縄文の分化が発展していく。みんな、仲良く自然を信仰しつつ、その日暮らしていた。

これが縄文時代。

 

そうしたら、ずーっと向こうの大陸側から新しい弥生人がやってきた。弥生人たちは「稲作」とかできたので、縄文人に教えつつ、弥生人たちも、日本に土着した。

今度は仲良くならなかった。今までその日暮らしだった縄文人たちは「米を有事に備える」ことを知ってしまった。

いわゆるここで「明日、ご飯が食べられないかもしれない不安」を知ったんだ。米がくっそ美味かったんだと思う。毎日食べたいぐらいには。(糖への依存が完成したんかな?)

とにもかくにも、米を守りたいがゆえに、あちこちで戦争が起きるようになった。明日のご飯を守るために。

そして、明日のご飯のために争いを起こす人たちによって勝者と敗者による「ランク付け」がされて、ここで「支配」と「奴隷」という関係性となった。原因は「ぶどう糖」ってことにしておこう。

これが弥生時代。

 

そんな時代が過ぎていき、今度は「馬つれているやつ」がやってきた。こいつが古墳人である。なぜか知らんが、前方後円墳とか作ってドでかい墓も作り始めた。

墓のなかには土偶とかも入れちゃって「死後、さびしい思いがないように」っていう感情が発生した感じ。死後、困ることがないように、みたいな愛情がつまってる。

これが古墳時代。

 

という感じで、新しい時代がうまれてきた。そして、日本人の遺伝子は「馬を連れている古墳人」の遺伝子が、実は弥生と縄文の遺伝子よりもパーセンテージ的には強いみたい。

つまり、日本人って「馬つれている古墳人的」ってことである。

そんななとり、古墳人の顔の写真をみた。

「縄文人的ななとり」と言ったが、めっちゃ似てた。

でも、ごめん。こんなヒラメ顔ではなかった。もうちょっとりりしかったかな。あと、頭にかんざしみたいな飾りつけていたかも。原文読みたかったら↓どうぞ。

なるほど、なとりは「古墳人」だったんだな~と思った。たしかになとり、馬といっしょにおったよ。ずーっとはるか昔の記憶だけれど、なとりはずっと馬といっしょにいた。

覚えていないけれど、覚えているよ。

 

・・・・、なんかこれ。新しい人種の遺伝子を神さんが後付けで追加していないか。あとから創造したんじゃないかな、古墳人の遺伝子。人に追加した。元々はなかったものだと思う。

 

 

ここで、とりあえず、それぞれの気質みたいなものを取り上げていってみようかなと思った。

縄文人からわかることは「その日暮らし」ぐらいかな。貯蓄することとか、明日のことを考えるみたいな知性はなさそうだな。

でも、この状態になると「スピリチュアル的」ではあると思う。不安が何もない状態ってわけじゃなくてだな、これは「不安と言う感情を持っていない」に等しいと思う。

もっていない感情を認識することはできない。あと、さびしいっていう感情も持っていないんじゃないかな。恐怖とかもない。

この「不安」「恐怖」っていう感情を日本にもたらした遺伝子が「弥生の遺伝子」になる。

この遺伝子は、私たちに「明日」をもたらした。つまり明日のことを考えることを知った。そして「過去」をも理解させた。過去はこうだった、だから未来は貯蓄するっていう概念が生まれた。

つまり「時間的概念」が弥生時代に発生した。この時間的概念を認識することができるから私たちは「不安」「恐怖」を感じ、また同時に「支配」っていう意識も産んだ。

不安や恐怖があるから、他者を支配したいっていう感覚が生まれる。これが戦争ってことな。

古墳の遺伝子にて「さびしい」っていう感情が生まれた。それが墓の在り方からわかるかも。弥生時代はどうだったんだろう? わからんな、弥生時代の墓、どうなってたんだろ。

とりあえず、古墳時代の遺伝子には「さびしい」という概念を知っていて、これは「空間の概念」になるのかなと思った。

同じ空間にいなくなるっていう「死後の世界を信じる」っていう思想にある。つまり、古墳時代には「想像性」というか「視えないものを視えている」という認識がうまれる。

この時代に「宗教が立ち上がる」んじゃないかな。それまでは「信仰と呼べるもの」というよりも「信仰と一体化していた」かもしれないんだけれども、その信仰と呼べるものに対して「宗教」という認識を齎したのかも。

つまり、縄文自体は「自然崇拝的なもの」はあったかもしれないけれど、当人たちからするとそれは「生活」でしかない感じ。たとえば、縄文さんたちが妖精がみえていたとしても、それは普通のことで「宗教」という概念にはならない。

そもそも「そこにいる」ものを信仰する必要性はない。当たり前の存在としてそこにいたものにたいして改めて信仰する人はいない。信じるとは「いない」という認識のもとに「信じる」が成立するんだが、そこに「いる」のであれば、それはもう事実なんだよな。

この古墳時代には「視えている人」と「視えていない人」の分類が明確化したかもしれない。