ツインレイの四苦八苦『愛別離苦』『求不得苦』
ツインレイは四苦八苦なのかなと思いました。
- 生苦・・・生まれたことによる苦しみ
- 老苦・・・老いによる苦しみ
- 病苦・・・病気による苦しみ
- 死苦・・・死による苦しみ
- 愛別離苦・・・愛する人と離別する苦しみ
- 怨憎会苦・・・憎む相手と出会う苦しみ
- 求不得苦・・・求めているものが得られない苦しみ
- 五蘊盛苦・・・人の肉体・心があることによる苦しみ
これが四苦八苦って感じかなと思います。
それぞれ、私はツインレイの期間に苦しみとして経験していたように思います。
生まれた家系や家族によっていろいろと悩みはつきませんし、日々老化していく身体についていくこともしんどく、老い先のことを考えれば苦しい。この歳にもなれば、病をも背負い「なおしたい」と思う心があれば、苦しみが増す。
死ぬことがまだ知らぬ境地であるがゆえに「痛いのは嫌だなー」と、死が怖くて苦しい。
大好きな人なのに、恋愛はうまくいかないから苦しいし、なのに嫌いなやつに付きまとわられて苦しい。本当に欲しいものを求めてみても手に入らないし、なんなら『自分が存在しているだけで苦痛』みたいな感覚。
とりあえず、生きているだけで苦痛だよねっていうのが四苦八苦。
私が抱えている苦しみも「家族との関係性(生苦)」「老い先の心配(老苦)」「病気を治したい(病苦)」「まだ死にたくねえ(死苦)」「彼くんとバイバイして傷心(愛別離苦)」「闇がウザかった(怨憎会苦)」「結婚したいのに出来ない・再会したい(求不得苦)」「先のこと考えるとよくない妄想が始まる(五蘊盛苦)」みたいな感じで、苦しい。
書いてみて思いましたが、生きているなかで私自身も「苦しい」と思うような感覚が希薄だったような気もしました。
苦しみをすべて背負う覚悟を持って生きている。
先を想うと、正直、気が滅入る。だけど、苦しみばかりではないのも事実で、もうひとつの苦しみではないもうひとつの側面性を受け取っていくことが大事なのだと思います。
それが「今に生きること」なのだと思います。
ツインレイも『愛別離苦』という苦しみに耐えられないからこそ、サイレント期間でもがき苦しんでいる気がする。
だけど「人を好きになること」「人を愛したこと」。これが自分なりにできる限りのことをし尽くした人にとって、愛別離苦が「苦しみもがくほど」のことでもなく、ある種ひとつの納得の中にあるように思う。
少なからず私は、彼を愛すると決めたなかで結論を出しているからこそ、なにひとつ後悔がなかったのもありました。
だけど、後から後から五蘊盛苦。でてくる、でてくる。後から苦しみが。
そして「いい思い出」とすら今ならば思えるところがある。
あのとき、彼を愛することよりも自分を愛することを優先していれば、きっと今も後悔の念に苛まれ続けているんじゃないかと思う。
どうして苦しみが生じるのか。それは『今の幸福』に目を向けることがなかなか難しいからなのかもしれない。
私たちは生きている。生きているだけで、私たちは苦しみを感じるけど、私たちは生きているからこそ、喜びを感じることもできる。
しかし、喜びとは刺激ではない。当たり前なのである。幸福ってことだな。
案外苦しみは、刺激として与えられているものばかりで、幸福は常日頃から「そこにあり続けている」のである。
そこあり続けているものを私たちが受け取りそこなっていれば、やっぱり苦しみのほうばかりへ意識がいってしまうんだと思います。
たとえば、すごく嫌な人がいて、その嫌な人のことばかりを考えていると苦しいけど、私たちのまわりにいる本当に親身な人たちは、優しい人たちが多い。
その優しい人たちのことを思えばいいだけなんだけど、どうしても、私たちは刺激が大好きだから、嫌な人のほうへ意識が向きがちなのである。
ツインレイでいえば、愛別離苦。そして、求不得苦でもあるのかなと思います。
サイレント期間のはじまりでは、愛別離苦となって、愛する人が自分の思い通りにならないことを知るかと思う。
それこそがある種ひとつの『喜び』でもあるように思う。そこには必ず『意思』があり、また自分以外の別の存在を知覚することでもあるから。
最終的には離別へとなるかもしれないが、私たちは別れることなく、ずっと仲良くしている友達だっている。
その一時で離れるような人を思うよりも、ずっと長く仲良くしている友達がいることが私たちの喜びなわけだけど、ぶっちゃけ、ずっと仲良しだからわからないよね、当たり前だとねと思う。
求不得苦では「再会を待ち望む」とか、求めているのに、手に入ることがないことを意味する。
ツインレイのサイレント期間の苦しみは、基本的に求不得苦なのだと思います。
もとめているのに手に入らないものがある。
だけど、私たちは求めれば手に入るものだってある。求めれば手に入るものを手に入れればいいんじゃないか? と思う。
いわゆる、私たちは「身の丈に合わないもの」を欲しい欲しいと思い続け、自分の思い通りにならないことを苦しい苦しいと嘆き悲しんでいる。
じゃあ、本当に欲しいのかっていうとそうでも無いし、思い通りいかせたいのかっていうそうでもない。
ツインレイの期間で、どれだけ自分が気づかずに目を向けることが出来なかったモノがたくさんあるのかに気づいていくことのような気がします。
そして、どうして苦しいのかの根源に気づいていく必要性もあるように思いました。
自分の望みは常に叶え続けられているし、叶え続けることができる。
だけど、自分の力量を超えた範囲のものは手に入れることができない。
器からこぼれ落ちてしまうほどの水が欲しいといっても、器からこぼれた水は手に入れることが出来ないように。
今、私に四苦八苦があるのかと言えば、そうでもない。
- 生苦・・・今は生活がそこそこ楽しい
- 老苦・・・老いる前にやりたいことやろう
- 病苦・・・受け入れるってよりも、治す経緯で色々勉強している
- 死苦・・・死にたくはないけど
- 愛別離苦・・・それなりに一生懸命いっしょにいようと頑張ったから、それ以上のことはもうどうしょもねえや
- 怨憎会苦・・・どうでもいいカモ
- 求不得苦・・・手に入るものを手に入れるようにしている
- 五蘊盛苦・・・好きなものを食べたりする
けっきょく、サイレント期間で多くのどんでん返しがやってきたって感じ。苦しみが多くあった人生だったけど、そこへ視点をシフトしないように気を付けていました。ですが、プラスの方向性へ向けることも出来なかったけど、それこそ『停滞』して、ゼロ地点にいたような気がします。
今はプラス側が見えてきて、世界がとても広くなったような気がします。
今現在に出来る限りのことをする。それをし続けることが苦しみから逃れていくことが出来る最善の道なんだと思います。
そう考えると、私は彼に対して現実的なサイドで『出来る限りのこと』をしたことがありません。彼も同じです、私に現実的に何かひとつでもしてくれたことはありませんでした。
精神的には出来る限りのことをしましたが――。
次は、現実的にも精神的にも、出来る限りのことを私が恋愛でしていこうかなと思っています(o^―^o)ニコ
また、ツインレイのことが課題のひとつとして存在し、四苦八苦がこの3年間の間に全部やってきたって感じでしょうか。
ツインレイは四苦八苦の課題のひとつであり、ツインレイが主題ではないのでしょうね。
ほかにも、多くの苦を理解している期間で、ツインレイによる課題がそこに存在したって感じです。
- 愛別離苦・・・ツインレイ
- 怨憎会苦・・・闇(悪魔)
- 求不得苦・・・ツインフレーム(偽ツインレイ)
- 五蘊盛苦・・・闇(天使)?
こんな感じでしょうか。それぞれの苦しみに『別れ』を告げさせていただきました。
苦しみよ、バイバイ。
楽しみよ、いらっしゃい。