報告│ツインレイはさびしさの象徴
「もう、さびしくない。」
ツインレイの彼と出会う前に、心の底から湧き上がるような悲しみを覚えました。
ワンワン泣いて『さびしい』と思いました。
それから私はこう思うのです。
すべての人のさびしさに寄り添うことは出来ないけれど、たったひとりのさびしさだけは埋めてあげることができる。
だからそんな人を探そう。
そうして出会ったのが『彼』でした。私が埋めてあげられると思いました。
どうやら、私はもうさびしくないようです。
彼がいなくてもさびしくなくて、私には私がそばにいてあげられる。
自分の不安の埋め合わせに誰かを利用してはならないと、そんな風に思っていました。
だけどやっぱり私のなかにはさびしさがあって、そのさびしさの埋め合わせを彼でしようとしていたのかもしれません。
私はずっとさびしかった。彼がいないことにさびしくて、さびしくて。
だけど、さびしさを乗り越えたような気がします。
前と今は全然環境も変わりませんが、さびしいけどさびしくないのです。
ようやく私は、誰かを自分のぽっかり空いた穴の埋め合わせをするための道具にしなくていいんだなって思いました。
私は私の穴を埋めてあげられたんだなと思います。
彼に対してですが、今は随分とフラットにみるような感覚があります。
私にも問題があるように、彼にも同等の問題があったのだと思います。
ですが、私はつい癖で「彼は何も悪くない」と思い込みたかったのだと思います。
きっとそれが恋に落ちたということなのかなと、今更ながら感じました。
彼にも悪いところはあったのです。その判断が正常にくだせていない限り、これは神の目隠しによる恋でした。
彼は私のせいにしてみたり、無視してみたりと、思えば私の心を軽んじることが多くありました。
心の弱さもあったでしょうし、人生の走り方がまだ下手なところもあって、年上の私の方がやっぱり見通しが良いこともあったような気がします。
彼も悪かったんだと思います。私だけが悪かったわけではないのです。
そしてどちらも悪くはないのです。意図してそうしたわけではないのだから。
彼の人として他者に対しての接し方は、少なからず褒められたものではありませんでした。
自分のことばかりで、人の心よりも自分の心を守っては泣いているような子で、そのたびに「自分はできていない」と自責の念に駆られながら生きている感じでした。
思い返して、私は彼の何が好きだったのかがわからないのです。
ですが、変わらず今も愛おしい。
それは彼が私を傷つけたくないと思ってくれていたからだと思います。
私は彼を愛していました。すべてを丸ごと受け取りました。最後は「逃げてしまう彼」をも受け入れました。
それはいつかはかえってくるという見込みがあって、逃げ出す彼を受け入れられたのです。
ですが、これさえも私にとっては自我を守る防御反応だったように思います。
再会したいと思う願いは、自分の心が耐えられないから生まれたのです。
鳥かごから逃げ出した鳥は自由に空を羽ばたき、戻ってくることはありません。同じように彼も私という束縛から逃れ、自由に生きているように思います。
私は逃げた鳥が今か今かと鳥が戻ってこないかと考え続けていた愚か者ってところでしょうか。
ですが、もうさびしくありません。
私はこの『鳥かご』を捨てたい。鳥かごに誰かを仕舞いこまくても、私のそばにいてくれる友達がいます。
少しずつ『さびしい』を終わらせ『充足な日々』を過ごしています。
ツインレイ、君は私の『さびしさの埋め合わせ』の象徴でした。
もういらないよ、ばいばい(*’д’*)っ))
運命もツインレイもいらない。
そんなものがなくても、私の人生は充実してる、楽しいよ。
だから、私は運命もツインレイもここに置いていくつもり。
ツインレイステージ。ツインレイ。
この言葉に否定や肯定が入り混じるけど、私は誰かの優しさによって組み上げられたものだと思う。
ツインレイステージ。この段階の進み方は優しさによって出来上がっている。
だけど、もう私にはその優しさはいらない、充分受け取りました。
今度は私が誰かに優しくしたいと思う。
ツインレイのステージのなかで運命の優しさに触れた分だけ、運命を優しく構築したい。
誰かはきっとツインレイをバカにしている。スピリチュアルだの、そんな存在はいないだの。商業的だの――。
だけど、この世に不必要なものは存在しない。不必要なもの、それは優しさによって構築されている。
その優しさを受け取らなきゃ、やっていられないほどの大きな傷を抱えた人が多いのも事実であることに目を背けてはならない。
ツインレイが存在するのか、否かの議論じゃない。
なぜツインレイという思想が今ここに発生したのかのほうが重要なのである。
それは優しさにより生まれている。
だけど、いつまでもここにいるわけにもいかない。優しさに甘え、ずっとここにい続けることが正解だとは思わない。
ツインレイという優しさを知り、心癒すことが出来たならば、いざ現実へ立ち向かわなければならない。
私たちは傷ついている、深く深く傷ついて立ち直れないでいる。
逃げることは悪いことじゃない、ツインレイはシェルターだから。
だけど、逃げ続けていいわけでもない。準備が整えば、この避難所から抜けて現実に立ち向かわなければならない。
私は再建に二年を要した。もっとかかる人はかかるだろう。
きっと気づく。優しさに気づくよ。優しさに気づいた人からここから抜け出していく。
ツインレイ、ありがとう。
彼だけじゃない、概念へ感謝を。
どうしてかな。こういう文章を書くと、彼が見えるんだ。だけど、これは私で彼じゃない。
彼は私じゃない、私は彼じゃない。