ツインレイの『本来の自分に戻る』の意味と自己統合の関係性

2023-09-25

| Ⓒ なとり

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ツインレイステージまとめ

私のステージが進むごとに更新していくステージをひとつの記事にして販売しています。


さよなら、ツインレイ Kindle版
さよなら、ツインレイ

当時はこれでおしまいなんだ・・・。そんな風に思いながら書いた『さよならツインレイ』。結果的にさよならしたのは、神交法の相手であるツインレイの霊体だった件。今更振り返って読んでみると納得がいく一冊だが、当時はよくわかっていなかった。

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ツインレイは、ツインレイのステージを終えた頃には『本来の自分へ戻っている』状態になります。

では、この本来の自分に戻る——とは、どのようなことなのかについてです。

 

私たちは、自分のなかに存在している『自分』を分離させています。すべてのツインレイと出会う人たちは、自己分離をしています。

その理由は、この地球に生まれ、生きていくために『他者愛』という優しさを重要視している為のように思います。

私たちの地球が波動が重い等、言われている理由として善悪二元論による苦しみが存在しているからです。

私たちは、この世に生まれたとき、なにが善でなにが悪か——という概念を持たずとして生まれてきます。性善説も性悪説も存在しないということです。

あるのは、両親から継承される家系の因縁などの肉体に依存する善悪かと思われます。

そして、育っていく経緯で「これは正しい」「これは間違っている」という概念を教えられ、私たちは「あれは怖いもの」「あれは不安なもの」等、多くの感情を『学習』していくことになります。

私たちは、育っていく過程で『善悪の思想』を学び、そのなかで社会性を学んでいくことになります。

この善悪思想がしっかりと身についている人と『善い人生を歩む』と、考えられるかもしれません。

 

しかし、私たちは心で捉え、心で感じ、心で学ぶことが出来ます。

私たちは人に感情を教えられることがなくとも、感情を知っています。その感情とは怒りではありません。苦しみではありません。憎しみでも、嫉妬でも、不安でもありません。

私たちが知っている感情は『喜び』や『楽しさ』など、もっと軽く、地上で楽しむ人生を歩む感情です。

その感情を持って生まれてくることになりますが、私たちはネガティブな感情を親から『学習』をし、その感情を当たり前のように使っていますが、ツインレイたちはその感情に苦しみ続けています。

 

本来の私たちとは、感情に苦しむことがありません。

嫉妬で苦しむこともありませんし、怒り心頭となり、人を殴ることでもありません。

私たちは、感情のままに生きることを望んでいますが、感情で自分を含む誰かを苦しむために感情のままに生きることを望んでいません。

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ツインレイの自己統合では、ツインレイたちが社会性として学び身につけることになった『自分』を脱ぎ捨てていくタイミングとなります。

自分がどれだけ『本来の自分』からかけ離れてしまっていたのかを、ツインレイの統合のタイミングでは気づいていくことになるかと思います。

私たちは、本来の自分を押し殺し、そのうえで他者愛性のもとで生きることが、私たちを守る最大の武器でもありました。

しかし、最大の武器も最後の最後には諸刃の剣となって、自己統合のタイミングでは、本来の自分へ還るように促されていきます。

 

ありのままに存在する自分を、私たちは全否定をしてきました。

それは、ありのままの自分では愛されない——と理解しているために、私たちは、いい子の顔をして自分を押し殺すことになりました。

ありのままの自分を表現すれば、人から煙たがられ、間違っている——と指摘を受け続けるために、私たちは『自分が間違っている』と思うのです。

『自分が間違っている』とは、たしかに間違えているのです。最終的にツインレイへたどり着く人たちは『自分が間違えていることを受け入れている人たち』なのだと思います。

自分が正しい人たちに新しい道はありません。自分が間違えている人たちには間違えていると自覚がある部分にだけ正しい道が示されていきます。

ツインレイたちは『多くのネガティブ』を引き受け、そのネガティブを最大限に肯定をし、内包したとき、ツインレイが『本来ある自己肯定』を取り戻すためのステージへと切り替わっていくことになります。

 

ツインレイは、エラーだと思います。この地球における『エラー』がツインレイなのだと思います。そこに問題があることに気づかないでいるからこそ、ツインレイという異常因子が生まれます。

エラーが表示されなければ、私たちは異常を理解することがありません。

ツインレイと出会うことは異常だと思います。その感覚を私たちはどれだけ肯定的に捉えられるのでしょうか。

自分が間違えている人生だったのだ——と、どれだけ受け入れることができるのでしょうか。

そして、自分自身が異常であり、自分の人生はすべてが間違いであったと受け入れ切ったとき、私たちは、その異常であり、間違いである自分自身を愛することができるようになります。

私たちは、そうやって『自己愛』を生み出していくことにもなります。

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ツインレイにとって本来の自分とは、従来の捨てられた自分です。

いらないと切り捨てた自分は、誰かのために切り捨てました。しかし、もう誰かのために自分を切り捨てなくても大丈夫な境地へ至ります。

私たちは、誰かのために生きることも、自分のために生きることも同じことなのだと気づいていくことになります。

失敗も多くありますが、私たちは『自分らしくいること』が、人のためにあるのだと知ることが出来ます。

 

しかし、この『一度本来の自分を捨てていない』状態で、ありのままの自分を前回に出し続けていくと問題になります。これが『闇』です。

本来の自分と思っているものが、実際は本来の自分ではない——。その状態で、闇は『本来の自分だ』と思い込んでいるにすぎないような状態でもあります。

闇が持つ本来の自分とは、誰かが息苦しい善悪二元論の世界にあります。

この世界観は、私たちにとって『従来の世界』でもあります。

 

自己統合は、自己分離を統合させた分だけ、ふたたび分離をしていくことになります。その分離と、統合部分がふたつ揃うことにより、覚醒へと導かれていきます。

ちいさな自己統合がいくつも存在し、ふたたび分離をすることにより、私たちは『本来の自分』と『本来の自分ではない自分』を切り分けていくことになります。この切り分けの作業を覚醒の段階では進めていくことになります。

最終的には『本来の自分だけ』が残ります。

幼い頃には、本来の自分であることは悪いことでした。本来の自分は常に否定され、環境から善悪を学び、そのなかで『善』と呼ばれる自分へなっていくことが社会性を身に着けた私たちです。

しかし、今度の世界線では、本来の自分でなければなりません。

本来の自分でなければ、上手く回りません。本来の自分にならざるを得ないような状態へ陥り、私たちは還るしかありません。

もちろん、社会性を身に着けることになった私たちがなかったことになるわけではありません。

私たちの社会性はいつだって優しい自分がそこにいました。その優しい自分の中にも『自分』が存在しています。

 

ツインレイは、大事なものだけをずっと抱えています。

それは良心です。一番に捨ててはならないものです。

私たちは、いかなることがあったとしても、良心ある判断をしていくことが自分の心に従うことでした。

その良心が叶うときがやってきます。

それが『ツインレイ』。