ツインレイの真実なる自立(男女の経済的自立と精神的自立のメカニズム)
ツインレイたちは、後半にさしかかるサイレント期間で『自立』をするとされている。
それが精神的自立と経済的自立の話である。
これが従来の思想なのだが、私が自立の段階で理解したことは『共存と循環』にある。
従来の思想は『独立する』というカタチへ思想が着地しているが、私が提唱するのは『異種であるツインレイのふたりがいっしょに生きていくこと』である。
私たちはどうしても『依存が悪いこと』として捉えやすい。ゆえに、独立する、自立することが善である——としてツインレイの思想展開があったように思われる。
が、しかし、こたび、私自身が自立の段階で着地した場所は『共存』にあり、また『循環』にある。
ツインレイの善悪思想から脱却していくツインレイたちは、二元性へ向かい、二元性の世界では現実面を共存とし、精神面を循環させていくことになる。
どうしてか、私はお金を稼ごうとする行動をとると、数日後に具合を悪くして動けなくなるというようなサイクルをずっと続けており、金銭欲というものを上手く使いこなすことが出来ません。当たり前かなと思う。
お金を稼ぐ意識=闇が使う手口に着手するようなもので、私自身はそれがあんまり得意ではないのだと思います。
こんだけサイト運営やってても、ある一定の量以上の収入になることが絶対的にありません。それが私の収入の上限値なのだと思います。
ほかにも、自立にはいくつも存在し、ツインレイの3種類の自立の種類まとめの記事では、自立に関する種類をまとめています。
真実なるツインレイの自立とは
現実による『経済的自立』と、精神による『精神的自立』は、それぞれ『自分一人で立つことができる』という視点にある。
ゆえに『自立をする』ということだ。
しかし、真なる自立となれば『経済的自立とは何か』『精神的自立とは何か』という側面性を理解したうえで、それは『他者への影響性とはいかほどか』とまで自分のみならず、他者の視点に至るまで解釈を深めていくことになる。
ひとりで生活できることが経済的自立となる。
自分一人で精神を背負うことが精神的自立となる。
しかし、人には得手不得手というものがある。経済的に自立ができない人もいれば、精神的に自立ができないこともある。
ごく当たり前のことである。
そのなかで、私たちは『ツインレイの自立』として、独り立ちばかりへ目を向け『できていない自分』をないがしろにしてしまいやすい。
さて、ここでひとつ問いかけてみる必要性がある。
私たちは『本当に自立をすることが出来ているのか』だ。
経済的自立とは何か。私たちはどこからお金を得ているのか、それは社会にある。その社会がなければ私たちは独り暮らしは愚か、生活する金銭が得られない。
では、これは『自立』と言えるのか。
精神的自立とは何か。私たちはひとりだけで生きていくことができるのか。自分が辛い時に辛い話を誰かに聞いてもらうことをせずに生きていくことができるのか。
私たちは他者から与えられる精神的影響をなくして『精神が自立している』と言えるのか。
では、これは、本当に『自立』なのか。
けっきょくのところ、私たちは自立することなど、この地球では——。もとい、生命体としては不可能なのである。
私たちは繁殖をすることですら、異性を必要とする。そもそも繁殖をしないともなれば、人類は滅亡する。
つまり、私たちは自立することなど不可能だと考えられる。
哲学的に言えば「存在とは、他者に認識されて存在がある」ってところではないだろうか。ヴィトゲンシュタインかな、と思う。
他者という存在無くして、私たちは存在することができない。ゆえに、私たちは自立した存在だなんて言葉にすることができない。
真実なる自立とは『自立ができない事実を受け入れる』ことにある。
それは私たちが皆『依存』のもとに存在しているということだ。そして、その依存というものを受け入れていくことが、私たちにとっての『自立』に繋がっていくのである。
依存と自立と、共存の違い
依存と自立は、表裏一体的な存在にある。
自立が出来ていない存在は依存をしている。
自立が出来ている存在は依存をしていない、として考えられる。
依存していなければ、共存をすることができない。
つまり、依存とは共存のことなのである。
しかし、依存と寄生は違う。依存とは『出来ないことを支え合うこと』であり、寄生とは『出来ることをやらないこと』である。
このふたつをひとつにまとめて考えてみるから、おかしなことになっているように感じられる。
依存とは、できることをやっている。しかし、必ず人には不得手がある。不得手を誰かにやってもらうことは悪いことではない。
私はツインレイの理論を建てている。別に誰しもが同じようにツインレイの理論を建てることができなければならないわけではない。私はこの理論を組み上げていくことが苦ではないからやっている。少なからず、得意分野とも言える。
だからやっているが、誰しもがこれを『やらなくてはならない』わけではない。やれる人、やりたい人がやればいいだけである。
人は必ず『特化している部分』と『欠落している部分』がある。その欠落部分があるのであれば、特化している人からいたたけばいいだけでもある。これが共産思想に近いものがある。
持ちつ持たれつ、ということだ。
ツインレイが求める共存とは何か
ツインレイが行き着く先は『自立』ではなく『依存の先に存在している共存』にある。
ツインレイは、男女により構成されている。男性には男性にとっての得意分野があり、女性には女性にとっての得意分野が存在している。お互いがお互いにとって『出来ることを支え合う』ことが出来るのがツインレイのカタチにある。
ツインレイが持ちつ持たれつとして存在するのは『性別による不得手の支え合い』であり、『個体による不得手による支え合い』が出来る相手がツインレイである。
ツインレイたちは、自立をしようとするあまりに自分が依存している部分を受け入れられていなければ、依存の先に存在している共存を目指すことができない。
依存とは『自分には出来ない部分を自覚すること』であり、それをしっかりと『受け入れること』にある。
自分にできない部分を自覚し受け入れることが、実になかなか難しく、表面的には受け入れられていたとしても、自分自身の腑に落とすようなカタチで理解が出来ていないケースも多い。
この腑に落とすまでにいたるのが『ツインレイの共存』にある。
ツインレイの経済的自立と精神的自立のメカニズム
ツインレイたちは、何かしらの他者へ依存しなければならない部分を抱えており、その部分を必死になって消そうとするし、見なかったことにする。
ツインレイ女性は『経済的自立ができない』という事実を受け入れることができない。
ツインレイ男性は『精神的自立ができない』という事実を受け入れることができない。
理由は、ツインレイ女性が男性になろうとし、ツインレイ男性が女性になろうとしている為でもある。
ツインフレームの段階で、クンダリーニの経験をしているツインレイたちは、性別が反転している。しかし、異性の性別を生きることは出来ず、やっぱり自分は自分の性別で生きることしかできないのだということを受け入れることが大事なのである。
それが『アニマ・アニムス』の関係性にも繋がっている。
ツインレイ女性は、従来『精神的自立が出来ている』存在である。もっとも、精神的自立が成立している段階でツインレイと出会っている。
ツインレイ男性は、『経済的自立が出来ている』存在である。経済的自立が成立している段階で出会っている為、基本的にツインレイ男性が社会人になるのを待ってツインレイのふたりは惹きあわされるようになっている。
ツインレイ男性 | ツインレイ女性 | |
---|---|---|
経済 | 経済的自立 | 経済的依存 |
精神 | 精神的依存 | 精神的自立 |
ツインレイの男女は、自立している部分を自覚し、受け入れることが出来ている。しかし、依存している部分を自覚し、また受け入れることが出来ていない。
これがツインレイの『自立』の段階で、立ち向かわされる事実である。
私たちは『事実』から目を背け、その事実を受け入れることができないからこそ、先に進まないのである。
ツインレイたちは、ツインレイの相手を望む理由を『依存』により見つけ出すことができるのである。
ツインレイ男性は精神的に依存をすることを避け、ツインレイ女性は経済的に依存することを避けている。理由は、依存は悪いことだからである。
しかし、出来ないことをやれってことのほうが『悪』であり『闇』である。
ツインレイの男女は『依存』がふたつ揃うことにより『共存』となることができる。
依存している自分を受け入れることが出来なければ、自分ができることを実行することも出来ない為である。
自分にできることをする。そのために、自分の依存を受け入れていく必要性がある。
ツインレイの光の共存と闇の寄生の違い
このとき、いわゆる『闇の寄生』という概念も生じることをひとつ書いておこうと思う。
ツインレイの共存と寄生は違うと前述しているが、この違いをもっと明確に書いていく。
闇の寄生とは、闇の感情による『結びつき』を意味している。
私自身があげている闇の感情は『恐怖』『不安』『孤独』『無価値観』『存在否定』『不信』『罪悪感』である。
この闇の感情を基盤として、ツインレイのふたりが結びついていくことが、闇の寄生による関係性である。
自分の将来が不安だから、ツインレイと結ばれたい。
自分が孤独に耐えられないから、ツインレイと結ばれたい。
自分が家族とうまくいかないから、ツインレイと結ばれたい。
というような、何かしらの闇の意識による介入が『ツインレイ』との関係性を構築したとき、それが闇の寄生であり、光の共存をすることが出来ているわけではない。
ツインレイの相手を『我がために利用する』ようなことがあってはならないということだ。
先ずは、私たちが自分自身のなかに存在している『根柢の無価値観』と向き合い、ツインレイの相手から与えられるだけの価値がある自分を構築し、そして、受け取る自信をもって向き合う必要性がある。
闇の寄生とは『与えるものが何もないのに与えられると思うこと』である。
闇の寄生とは、経済的自立と精神的自立が成立していることで、ツインレイたちは闇をはらうことができる。
経済的に自立しているからこそ、相手へお金を提供することができる。精神的に自立しているからこそ、相手へ精神を提供することができる。
しかし、経済的にも精神的にも自立していなければ、それは『何も差し出せない』ということになる。そして、これが闇の寄生へと繋がっている。
ここからツインレイの特徴として、ツインレイ女性は精神的に自立をしている。ツインレイ男性は経済的に自立をしていることが大前提となる。なにかしら差し出せるものを人生において構築した存在がツインレイなのである。