ツインレイのアダムとイブとリリスの関係性とツインレイの契約(盟約)と被害者・加害者意識について

| Ⓒ なとり

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ツインレイステージまとめ

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さよなら、ツインレイ Kindle版
さよなら、ツインレイ

当時はこれでおしまいなんだ・・・。そんな風に思いながら書いた『さよならツインレイ』。結果的にさよならしたのは、神交法の相手であるツインレイの霊体だった件。今更振り返って読んでみると納得がいく一冊だが、当時はよくわかっていなかった。

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アダムとイブの神話を少々もう少し詳しく調べてみる必要性に駆られて、ツインレイとの関係性を考えてみた。

そのなかで、アダムは6日目に同様に生み出されたリリスという女性がいる。アダムにとっての最初の妻は対等性のあるリリスであった。しかし、その後、リリスはアダムの男性優位思想に反してはサタンの妻となったようである。

ゆえ、アダムの肋骨から生み出された女性がイブであり、ツインレイの関係性はアダムとイブに依存されるとして考えられた。

次に、アダムとイブの子供のなかにも双子が生まれている。人類初の殺人者となるカインと、その妻であるルルワである。しかし、当初の結婚相手はアベルである。

図の説明:アダムとイブの家系図

さて、この三つの関係性は、ツインレイ・ツインフレーム・ツインソウルの関係性に少々似ているような気がしてならない。少なからず、私が経験してきたケースである。

また、サイレント期間に人員が揃っているのも事実である。

人の中には、すべての気質が宿っているような気がしており、この気質を『どのような形に着地させるのか』に意味があるように思う。

人類初の女性であるリリスは『男をたぶらかす』のか、それとも『女性としての自立的姿』なのか。このふたつの両側面のうち、リリスの話は悪魔的な側面が独り歩きしているような気がしてならない。

また、創世記のなかで語られているこの話も、私たちの『裏側』を話しているように思う。

私はサイレント期間に、この人員に出会った。表を知るには裏を知らねばならないのだろう。そして、私はその裏を肯定するのか、否定するのかという結論を『繋がり続けるのか』という結論でだしているよな気がする。

 

この世は『アダムとイブ』の関係性が男女の関係性である。

私たちはアダムという神から生まれた女性という命を持っている存在がツインレイ女性として考えている。

当初も私はそんな感じで捉えていたんだが、実際のところ、アダムとイブの関係性は主従関係にある。

アダムに逆らうことが出来ない純粋なイブを求めているのがアダムである。女性に求められている、ツインレイ女性に求められていることが純粋性なのである。

しかし、女性のなかには『リリス』という自由奔放な気質もはらんでいる。ツインレイ女性はイブであり、リリスではないかと考える。

ツインレイたちは、先ずは『アダムとイブ』という関係性を構築し、次に『アダムとリリス』という関係性を構築する必要性があるということだ。

この段階を負うにも、ツインレイ男性であるアダムに問題があるとも考えることができる。リリスと対等に立つ覚悟のない状態となっているのがアダムである。男性性とは女性よりも強く——とかあるのかもしれない。私は男じゃないからわからんが、ツインレイ男性はツインレイ男性になりのプライドみたいなもんがあるんだろう。

その気質を支えることができるのがイブである。イブはアダムのプライドを守るだろう。

しかし、リリスはアダムのプライドをぶち壊すだろう。ツインレイ女性は『イブでありリリス』である。

純粋さからツインレイ男性をぶち壊していくのがツインレイ女性ということでもある。

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イブとリリスの契約と盟約

当初、ツインレイの男女は契約をする。それはツインレイの契約であり、アダムとイブの契約だ。

アダムとイブは『ひとつになる』約束をする。この契約により、ツインレイの男女はひとつになる。これが統合である。ゆえ、片方が死に、片方が生きる。

イブがアダムのなかへ吸収されるとき、イブは死ぬ。ツインレイの片方は死ぬ運命にあるのがツインレイの約束である、そして契約である。

この契約を盟約へ持ち込むことがアダムとリリスの盟約である。

ツインレイの契約と盟約の違いについては自己統合(契約)とツインレイの統合(ツインレイの盟約)で説明をしています。
図の説明:ツインレイの契約と盟約

当初、イブとの契約により『命の契約』をする。それは『時間の契約』である。

命とは時間である。私たちは時間があるからこそ命の概念が存在する。次元的な設定をするのであれば、これが4次元的観念である。

次に、リリスとの盟約により『風の契約』をする。それは『空間の盟約』である。

リリスの盟約では生じる空間とは、空間のシェアによる盟約である。つまり、次元的な解釈では3次元により生じる空間のことである。

このふたつである『契約』と『盟約』の両方を必要としているのがツインレイではないだろうか。

なぜならば、ツインレイのふたりはこの神話にはまるで関係がないからだ。

つまりだな、ツインレイは『神話のなかにどこにも存在していない』。ゆえに、どこにも当てはめることが出来ない関係性であり、私たちは隠された関係性を持ったふたりだということである。

しかし、私たちは、神話上に生じている心の在り方に乗っ取りながら、契約や盟約を都度アップロードしている状態ともいえる。

私たちは『象意』である彼らと共に心を定義しているようなものだ。ツインレイとして結ばれるために——だ。

つまり、どの人物も『自分』である。そして、その断片である。

ツインレイ男性がアダムであり、ツインレイ女性がイブだと断定する必要性もない。私たちはひとりの人間のなかに『アダムとイブ、リリス』のすべてがそろっているのである。

 

ツインレイたちはこの『時間の契約』と『空間の盟約』が必要である。

なぜならば、ツインレイたちは『時間が真逆』であり、『空間反転している』からである。

 

私たちは、その時間と空間を整えていく必要性がある。ならば、アクセスしなければならない。私たちの心の中にいる管理者たちへアクセスし、そして、時間と空間を自分の思うとおりに組み替える権利を手に入れる必要性があるということだ。

私は当初、ツインレイの相手と契約や盟約を結んでいるのだとばかり思っていた。

違う。私は私の時間と契約し、私の空間と盟約を結んだのである。

この契約と盟約により、私は『私の時間と空間』を好きに扱っても構わないっていうことだ。使い方はまだよくわからんが、まァ、勝手がいいことは確かなんだろう。

図の説明:ツインレイの法則性
図の説明:ツインレイの時間と空間の法則性

ツインレイ男性による被害者意識と加害者意識

ツインレイ男性は『アダム』と『カイン』『アベル』の関係性が生じているように思う。

図の説明:ツインレイとアベルとカイン
図の説明:ツインレイとアベルとカイン

ツインレイ女性はアダムを通じて、イブとリリスの契約を済ませていく必要性がある。が、ツインレイ男性はアベルとカインの関係性に悩んでいるように思う。

それは『被害者意識』と『加害者意識』である。これは支配したい感情(嫉妬の感情・カイン)と、他者に支配される被害意識(アベル)である。

ツインレイ男性の中でも『アベル』になるのか『カイン』になるのか。それとも三男である『セト』になるのかで随分と意味が違ってくるんじゃないだろうか。(私は最後にセトがでてきました。)

このとき、アベルとなって神に愛された存在となるとき、人よりも優位な生活をすることを望むかもしれない。しかし、ツインレイ女性はリリスとの契約が出来ない。(空間による悪が舞い込む)

カインとなって嫉妬に狂いアベルを殺すとき、ツインレイ男性は独占欲のおばけになって排他主義となるかもしれない。ツインレイ女性はイブとの契約が出来ない。(時間による悪が舞い込む)

また、この引き金は『ルルワ』である。ツインレイの相手により、自分自身のなかに嫉妬の感情と、それから嫉妬を恐れる自分の感情がやってくる。ふたつの同居した感覚をツインレイ男性は抱えることになる。で、逃げる。爆

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ツインレイ男性の愛を受け入れる経緯

ツインレイ女性は先ずはツインレイ男性となってイブとリリスと『時間』『空間』の契約をする。

このときツインレイ男性は『アベル』『カイン』となって分離している状態である。

図の説明:ツインレイ男性とツインレイ女性のサイレント期間の状態

ルルワとはアベルとカインのどっちにつくかでモメているわけなんだが、ルルワは『ツインレイ女性』である。被害者であるアベルも加害者であるカインも両方とも大事だと思える心をツインレイ男性へサイレント期間に入る前に差し出している。

ツインレイ女性の愛とはルルワである。嫉妬に燃える男でもあり、逃げ腰で逃げ続けている男でもあるツインレイ男性の両側面を愛することができてツインレイ女性の愛となる。

だけど、女性にとってもっとも嫌なことは『逃げられること』である。アベルは嫉妬が怖くて逃げだした存在である。ツインレイ女性はツインレイ男性を『逃がすことができるのか?』ってことも問われていることが分かる。

『逃げている自分を受け入れてくれいるツインレイ女性』をアベルが受け入れることにより、ようやくツインレイ男性のなかに心が戻ると言うか、愛を受け入れる経緯が生まれる。

けっきょく、アベルもカインも、どちらもツインレイ男性。自分の中による葛藤の問題を解決するきっかけは、自分の弱さを受け入れることである。

カインも同じだ。カインも結局『父と言う抑圧から逃げ出した』のである。その逃げ出した結果、アベルに八つ当たりしただけっていう。

図の説明:ツインレイ男性による葛藤
図の説明:ツインレイ男性による葛藤

いわゆるサイレント期間のツインレイ女性はツインレイ男性に取り込まれて『ごう慢』『謀反』『嫉妬』のカタチに着地している。しかし、ツインレイ女性は『自己』『信頼』『共存』のようなカタチに着地している。ゆえに、ツインレイ女性はアダムとなるのである。

男女が反転してしまっているがゆえに、ツインレイ女性はそのまま『時間と空間の盟約』を結びに進むのがサイレント期間である。

ツインレイ男性がごう慢を自己へと切り替え、神への謀反(自己への批判心だな)を自己信頼へと切り替え、嫉妬を共存へと組み替えることが出来たとき、チェイサーは解き放たれることになる。

そのとき、イブとリリスの間で契約の主体をアダムが行っていたが、そのアダムはルルワとなる。

つまり、イブの時間契約とリリスの空間契約はアダムに引き継がれる。同時に、イブとリリスのふたつを繋げるルルワの心の契約はツインレイ女性が最後に行う契約だと思われる。

図の説明:ツインレイ男性とツインレイ女性の最終形態
図の説明:ツインレイ男性とツインレイ女性の最終形態

契約にしてしまっているけども、一応、盟約なのかな・・・・? 感覚的には同盟のほうが近しい感覚がするが、一応契約とする。

イブとリリスは『ルルワ』により、ふたりは和解をすることになる。アダムを通さなくてもふたりは仲たがいをしなくなる。

まァ、イブを唆したのはリリスで、それはアダムとの奪い合いが起きていた。その意識はアベルとカインがひとつの側面として体現していると思うんだが、イブのことが羨ましかったのがリリスだ。

自分だってアダムと仲良くしていたかったんだし。最終的に、ルルワが生まれ、アベルとカインの仲たがいによる不仲の問題は『自信がないこと』と『信頼がないこと』に帰する。

これはアダムの問題である。どうしてリリスとアダムがうまくいかなくなったのかって、そりゃ、アダムが男性優位の思想が強すぎたってのもあると思うけど、やっぱり、自信がなかったんだと思う。女性である以前に他者より負けることに恐怖を覚えていたというか。

それがアダムであるツインレイ男性の問題。

で、根源的にある兄弟の不仲を治すことは、先祖返りみたいな形でアダムとリリスの関係性まで良質に戻したということである。

アダムとイブのトライアングルとツインレイ

図の説明:アダムとイブのトライアングルとツインレイ
図の説明:アダムとイブのトライアングル

男性のトライアングルは『共存』を導き出している。それは自信と信頼により『自分』というアダムを構築することができる。このとき、共存意識が生まれてくる。アダムとは『共存』である。

女性のトライナグルは『人生』を導き出している。それは時間と空間により『人生』というルルワを構築している。女性は人生そのものである。

女性は三代目により構築されているが、男性は一代目を構築する。女性は時間を進め、男性は時間を巻き戻す必要性がある。時間の流れ方が逆なのである。

アダムとリリスは過去である。しかし、リリスはルルワの未来でもあった。

このふたつを結んでいるのはイブである。それは生命であり、時間である。アダムの一部から生まれた存在である。

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ツインレイが誰と結ばれるのか

さて、最後に少々余談だが。

アベルはカインに殺される。神に愛されている子であるアベルである。カインは神に愛されているアベルを殺したがゆえに、追放されるが、神はアベルの代わりにセトをイブへ授ける。

セトはアベルの代役である。アベルはセトに切り替えていくとき、それがランナーをやめるときである。セトはノアの箱舟の先祖にあたり、イエス・キリストの先祖でもある。善良なる心を残したセトの子孫が箱舟を創るのである。

カインを自分の中から私は追放をした。アベルも追放した。したらばセトがやってきた。

加害者意識も被害者意識も違くね? ってなったから。

たぶん、男性側もイブもリリスもちげえわってなるんじゃないんかな。イブは従順だけど依存だよねってなるし、リリスも性に奔放すぎね? って。

 

自分自身のなかに存在している性質がたくさんあって、そのなかにある『どの性質と結婚するのか』という話でもあるんだと思う。

とりあえず、全部の性質を人は持っているから、その性質を一つ一つ吟味して「これは違うな」って思うものを取捨選択していく必要性がある期間がサイレント期間だった。

最終的に残ったものによる集まりが自己である。その自己そのものを持ってツインレイと再び出会うことになるけど、このとき、ツインレイのふたりが『誰なのか』なのかなんて関係がない。

どれも私たちであり、どれも私たちではないっていうこと。

どこかで一枚かんでいる自分はいるけど、でも、どれに当てはめて自分がどの役割かなんてどうでもいい。私たちはすべてを内包しているし、そしてすべてを凌駕しているときにツインレイと結ばれる。

ふたりが持つ神話は、自らが生みだせばいいだけの話で、私たちは多くの神話に縛られているけど、その束縛からも解放されるべきではないかとも思っている。

それは『心理に縛られない』ってことでもあり、そのために私たちは心理に縛られるべきなのである。

 

自分が誰なのかなんて誰も知らないし、誰もわからない。その答えを神話の中に探してもやっぱり私は『誰でもあるけど誰でもない』っていう結論になってしまったから、私はやっぱり『みんなであり、わたしである』という感覚になってしまっている。

この感覚がどこまで正解なのか、いつまで続くのかはわからないけど、だけど、私は『世界』であり『個』でもあり、役割もあり、そして役割のない自分をも持っている存在でもあり、どこまでも自由でどこまでも不自由な自分である矛盾をはらむ自己を抱いて生きていく。