ツインレイの再会を早めたところでサイレントの二の舞にしかならない件について
ツインレイたちが望んでいることは『ツインレイの再会』なわけだがツインレイ女性は共依存でツインレイ男性は回避依存。
けっきょく、ツインレイ女性だけが再会を望んでいるような構造である。
ツインレイ男性も努力しているとか、そのような語りによってツインレイ女性に寄り添うようなこともできる。
が、私はあまっちょろい幻想や妄想により事実を見誤り、ツインレイ男性への期待を強くもつことのほうが大問題だと感じている。
希望と絶望は同時に存在する。
ツインレイ女性が再会を望んでいるとき、ツインレイ男性はツインレイ女性へ再会を望まない。
理由はひとつ。ツインレイ女性と再会すれば結婚になるだろうが、回避依存にとっての結婚なんざただの地獄である。
その地獄へざわざわ足を踏み入れるほどのツインレイ男性ならば、ツインレイなんてやっていないわけである。
回避依存でも何度も戻ってきたりする地上のツインレイも同じように結婚なんてしたくないわけである。
自分のプライベートに逐一文句を言われたり、自分のプライベートに介入されたり、自分の領域に踏み込んできて荒らしていく存在と結婚なんかしたくない。
けっきょく、ツインレイ女性(つまり私なんだが)は常に敵なのである。敵と結婚したい、化け物と結婚したい人など存在しないわけである。
おおいにツインレイ男性はここから逃げ出す機会があれば、ふたりの関係性から逃れていくだろう。
で、残された共依存側のツインレイ女性は「なんで捨てたのか」「きっと彼は戻ってくる」「彼と私はツインレイという運命だから」という幻想(というか、ただの妄想)を繰り広げていくが、実際に戻ってはこないと思われる。
けっきょく、ツインレイ男性が逃げている理由は『結ばれたくないから』なんだが、地上のツインレイは『誰かにそばにいて欲しい(孤独になれない)』状態で、楽園のツインレイは『誰にもそばにいて欲しくない(孤独になりたい)』っていう反射が違うような気がしている。
ひとりになって、そのひとりが耐えられないのが地上のツインレイ。ひとりに耐えられるのが楽園のツインレイ。
回避依存の迷惑度は前者だが、重症度は後者のように思う。
で、私は重症度の高い『逃げ出したことへの罪悪感から戻れない』『受け入れて貰えないかもしれない』と考え、戻ってくる可能性が3%と言われている回避依存である。
だけど、どっちにも言えることは、なにか自分の中で変えていかなきゃ元の木阿弥だよってこと。
回避依存のツインレイが戻ってきたところで、再びおなじ問題が生じたとき、ふたたび回避依存してくるし、共依存が苦しむ。
結婚すれば、回避依存が苦しみ、共依存が楽になる。
自分のなかにある問題を克服していかないと、上手くいかないよ、誰かが苦しむよってことなんだ。
それが回避依存にとっては信頼だともされているが、私は信頼じゃなくて、傷つく覚悟、人を傷つけている自覚だとも思う。
回避依存の人は特に『傷つきたくないから距離をとる』があるわけなんだが、それで相手を傷つけている事実に気づかんといけない。
人生のなかで傷つかないなんてありえないわけだ。なんならあたいの闇みたいに人を傷つけることを喜びだと感じる人もいる。
傷つくんだよ、何をしたって。だから必要なのが『傷つく覚悟』なんだ。根底にあるのは『自分が人を傷つけている自覚』だよ。
自分が傷つきたくないから回避するわけなんだが、それで相手が傷ついている自覚がないのだと思われる。意識が自分にばかり向いて目の前の人が傷ついた顔していることに気づいていない。
だからこそ、傷つけている自覚を持つべきなんだと思う。
逆に、共依存側は傷ついている自覚がないように思う。だからツインレイの再会を望んでいるように思う。
無意識は逆のことを思っている。こんなに傷つけてくるやつとは一緒にいたくないって。
だけど傷ついている自覚がないのと『結婚がしたい』ことや『ツインレイへのこだわり』とか。多くのエゴイズム的な視点で、傷ついている本心を無視している。
無視したら無視したぶんだけ、ツインレイの再会を望み、ツインレイは同じように苦しんでいるんだろうとか、ツインレイは同じように自分と結ばれるために頑張っているとかの妄想や幻想が始まっていく。
その努力になんの意味があるのか。相手はポテチ食ってると思うぞ。なんなら楽しくバスケしてんかも。
許せないだろうか、そりゃそうだ。だって共依存は『相手にも同じだけ苦しんで欲しい』んだから。
だからこそ、ツインレイ男性も同じように苦しんでいるとか、ツインレイ男性もツインレイ女性のために努力をしている、悩んでいるとか妄想や期待が始まる。
そこに愛はあるのかい?
愛とは相手が苦しまず、なんなら今の自分が苦しんでいるならば、相手が苦しんでいないことによかったって思えることではないだろうか。
共依存の根源は愛の見誤りにもあるように感じられる。
逃げたんだったら逃がしてあげること。戻ってきたら受け入れてあげること。共依存側のツインレイにできることなんざ、度量の深さぐらいなんだと思う。
私が第二サイレント期間にはいるとき、覚悟したものでもある。
本心では好きだと思っているのをわかったうえで『逃がしてあげなきゃ』ってことだ。そして、逃げられるところまで逃げればいいってこと。
確かに深い悲しみにも駆られたが、たいてい私は何かしらの覚悟をもって決めている。サイレントも同じように覚悟を決めていた。
この決断は今も間違ってはいないと思っているし、戻ってこないかもしれないが、まァそれはそれでもいいかなと思っている。
大事なのは、
『ツインレイと再会したくない自分』と、ちゃんと対話し、向き合っていくことにある。
愛と依存の違いに気づく。
これが共依存側のチェイサーと呼ばれるツインレイに必要なことなんだと思う。
それは幻想や期待に気づくことでもある。
妄想や想像により構築されたツインレイは、それはツインレイの相手ではないという事実に気づいていかなければならない。
私もツインレイの再会は待ち望んではいるけど、彼は素敵な王子さまに変容し、現れるわけではないんだと思っている。
なんも変わらん回避依存続行中かもしれないし、なんなら再会することもないかもしれぬ。
だが、それを悲観してもいない。変わらず私はポテチ食ってるし、なんかの理論立ててるし、人の相談乗って考えごとをしていると思う。
私は確かに自分の人生を生きている。共依存の気質も変わらずあるかもしれぬが、それが私だと思っている。
それでいいかなって思っている。
変わらなきゃとも思うけど、変わらない私も大事にしていこうと思う。
冒頭に戻るが、ツインレイの再会を早めたところで、過去の二の舞にしかならない。
なにかの変化が自分のなかになければ、再びおなじ経験を繰り返すだけ。
もし、再会し結婚したとなるならば、回避依存側が苦しむだけ。
だとしたならば、再会できていない今はとてつもなく重要な時期なんじゃないかと考えなくてはならない。
早く会いたいが為に、問題から目を背けることはあってはならないと思っている。
私は普通に「ツインレイの関係性は結ばれない」という事実も受け入れようと思っている。もっと言えば、結ばれてはならないのである。
どちらかが苦しむからである。なんなら結婚すれば相手が苦しむわけだ。私が耐えられるわけがない。
だったら、結ばれない方がいいし、連絡だって来ない方がいい。それでいいと思っている。
2人の縁が依存的であるならば、それは受け取ってはいけないものだと思う。お互いのためにならないからだ。
もしそうだとしても、愛したこと。愛されていたことには違いあるまい。