竹取物語のかぐや姫のお話はツインレイ男性の支配によるテーマが描かれている。
最近、松竹梅について書いているなか『竹』の項目にて竹取物語に関連があるのではないか——という話も加えている。
竹取物語では『月』がメインの話であり、また、月と日の関係性においての記事にて『ツインフレーム(地上のツインレイ)』は、月ではないか——という話を随分前に書いている。
日 エネルギーを持っている 犠牲者 月 エネルギーを持っていない 搾取者
この時は、月とは太陽により明るさを持つため、その場合、月は偽物であり、太陽は本物である——としてツインレイには2種類存在しているとしての定義をしている。(のを、ぐだぐだ書いている記事だと思われる。。。)
これにて偽ツインレイが『月』と『竹』という二拍子を持って『地上のツインレイ』としているが、もはやこれは竹取物語じゃないか! ってところに私は至った。
つまり、地上のツインレイはかぐや姫による竹取物語を模しており、もはやツインレイ女性は天女設定なのか? 等を考えることになったが、ここでいくばか「なとりはかぐや姫についてをそこまで深く知らない」という問題が生じる。
よって、ここいらで『かぐや姫を追求してみよう』と思い、とりあえず、この記事が生み出される。
竹取物語のかぐや姫について
作者は不明とされているが、内容からして当時の帝になんかこう、モノ言いたそうな感じの話だと思われる。最終的に「いかなる権力があったとしても『かぐや姫』は手に入らない」という話であり、また内容的に『帝は神ではない』という話でもあるように感じられる。
とはいえ共、帝自身がこの地上の神でもあり、しかし、天上の神とはまた一線を引いての存在であることを示唆しているようにも感じられるし、当時の素晴らしい知識人が書いたことがわかる。
感覚的に「む、当時と言えば、菅原道真公。」と思ってしまうのと、私が竹取物語の真っ盛りである『竹』と『月』のテーマを遂行中の地上のツインレイの期間に菅原道真公の夢を見たこと(それがまた1月2日で竹の誕生花の日なのである)も何かしらの関係性があるのだろうか。
この竹取物語のストーリーをまずは単純に追ってみる。
竹取物語のストーリー
おじいさんが黄金の竹のなかかから「小さなお姫さま」を見つけ、光り輝いている姫を育てることにしたが、三月ほどでほぼ成人となるほどにスクスクと育った。名前を「なよ竹のかぐや姫(おしとやかで光輝く姫)」と名付けられる。
とりあえず、恋愛依存的な貴族が五人ほど求婚してくるが、どれもこれもかぐや姫はお断りを申し上げるも、おじいさんには申し訳ない気持ちがあるので「条件を満たしたやつとは結婚してもいい」とのことで、かぐや姫は『宝物を見つけてこい』という。
- 石作皇子(嘘つき)・・・「仏の御石の鉢」
- 車持皇子(策略家)・・・「蓬萊の玉の枝(根が銀、茎が金、実が真珠の木の枝)」
- 右大臣阿倍御主人(金持ち)・・・「火鼠の裘(かわごろも、焼いても燃えない布)」
- 大納言大伴御行(豪快)・・・「龍の首の珠」
- 中納言石上麻呂(人徳はあるが恥により命を落とす)・・・「燕の産んだ子安貝」
それぞれに宝物を持ってきてもらうことになるが、鉢は偽物。玉の枝も作り物。皮衣は高いもの。龍の玉は持ち込まれず、子安貝も持ち込まれず。
というような散々な結果で終わった。かぐや姫も「相手に断る理由をみつけてあげる」ことにより、縁談はどれも無くなった。
そこまで手に入らん姫ともなれば、この国の王子様も黙っちゃいないわけで、帝までもがかぐや姫を手に入れようと考える。
帝が家に侵入してかぐや姫を連れ出そうとしたが、かぐや姫が腕の中からスッと消えて「あたい、この世の人間じゃないの」という告白から、帝もいよいよ降参するわけである。(実態が影になる)
一応、帝はこれにて「文通友達」になる。当時での恋は文通からだったので、いわゆる『恋人未満友達以上』みたいなウキウキドキドキタイムだと思われる。
最後のクライマックスでは「あたい、そろそろ月に帰らないといけないの。」とかぐや姫が告白。かえるときには、おじいさんにも帝にも手紙と不死の薬を残して天女と共に月へとお帰りあそばせた。
さて、単純に説明するとこんな感じである。
私的に、かぐや姫の話を読んで思うことはかぐや姫はこの地上における数々のエゴを愛していたのだなと思うことだ。
月の住人には思うことがないのは、永遠の命があるからこそ『情緒』もなければ『愛情』もない。それはおじいさんから貰った深い愛情、帝との文通のなかで生み出した恋心。そして別れを寂しいと思う心も感じることがない。
この地上には『心』がある。だからこそ、愛情、恋心、さびしいと思う心が存在し、その心をかぐや姫は愛おしいと思っていたようである。
しかし、月へかえればその『思う心』は失ってしまうこと。それをまたさびしいと思っていたのがかぐや姫ではないかと思う。
かぐや姫と五人の求婚者
かぐや姫には五人の求婚者が存在している。
- 石作皇子(頭は回るが嘘つき)・・・「仏の御石の鉢」
- 車持皇子(先を読み考える策略家)・・・「蓬萊の玉の枝(根が銀、茎が金、実が真珠の木の枝)」
- 右大臣阿倍御主人(金はあるが無駄遣い)・・・「火鼠の裘(かわごろも、焼いても燃えない布)」
- 大納言大伴御行(豪快さにより損をする)・・・「龍の首の珠」
- 中納言石上麻呂(人徳はあるが恥により命を落とす)・・・「燕の産んだ子安貝」
それぞれ性格的なものがあり、()のなかで説明をしている。けっきょく、人にはいいところもあれば悪いところもある。しかし、かぐや姫と関われば『欲が勝りすぎて悪い部分が浮き彫りになる』としている。
頭が回る石作皇子はかぐや姫欲しさに仏の御石の鉢により嘘を吐く。
車持皇子は先を考える策略家。かぐや姫が欲しいあまりに木の枝を作り、ストーリーまで綿密に創り上げるも嘘がバレる。
金がある右大臣阿倍御主人も、美しい衣を金で買ったが良いが、かぐや姫に一瞬で燃やされて終わる。
大納言大伴御行は龍の首をとりに船旅に出るも、最後は病気になって、ふんだりけったりの状態で「かぐや姫は大悪人」と言葉にしてののしるようになる。(先に妻へは離縁しており、最後には何も残らんかった感じ)
中納言石上麻呂は、最後の最後にでてくるがかぐや姫が唯一文を送った存在でもある。人徳があるようで、慕われていたようだ。しかし、燕の巣で糞を掴んで落ちて腰をやらかし、そのまま恥を世間に知られるのを恐れて死んだ。
それぞれ、かぐや姫が欲しいと欲をかかなければこんなことにはならなかったのである。
かぐや姫の罪とは
最後の最後に、かぐや姫の罪とは何か——という問いかけのようなものもあるのかもしれないが、これは作者による最後に辻褄性を整えるための詭弁のように感じられる。
文章を読んでいると、作者が「納得がいかない部分」ってなんとなく浮き彫りにしてみえるもんなんだが、このかぐや姫が地上に来た罪については後付けのようなもので「なぜ、かぐや姫が月に今帰らねばならないのか」の理由がほかにあてがうことが出来なくて、悩みに悩んだ結果『罪』に落ち着いたのだと思う。
が、この作者も、かなり誤謬やら辻褄性やら気にするタイプだと思う。この部分だけがきっと納得がいかないまま終わったんだと思う。それはそうとて、とても素晴らしい作品だとは思うが、それだけが無念だったように思う。
だから、私は、このかぐや姫がどんな罪を背負って地上に来たのか——については問わない。理由は「作者の作品への辻褄合わせの為に表現された内容」だからだ。
とはいえども、作者の『罪』に対してのこだわりも感じられる。彼は罪を問いたいと思っているんだろう。
なぜ私たちはこの地球に生まれてきたのかという哲学も感じられるんだ。
かぐや姫は『なぜ私たちは地球に生まれてきたのか』の答えを作者は、そっくりとそのまま『かぐや姫』のなかに描いているように思う。
私たちは死ねば永遠の魂となるかもしれないが「なにも感じなくなるんだよ」ってこと。死ねばそれで終わり。なにも感じられず、この地上において感じたことも忘れてしまう。
この地上が『地獄』やら『穢土』やら呼ばれ、浮上の地であるとしても、この地にはこの地における素晴らしさが存在している。
月からすれば『罪ある世界』かもしれない。だけれども、生きているときに感じられるこの感情は、いかなる経験よりも尊いものなのだとかぐや姫は教えてくれている。
それでも、死という運命に逆らうことができないこと(かぐや姫が天へかえること)。生きている私たちが月のような不死となることは望まないこと。これが『生きる』ということなのだ、と。
かぐや姫のお話のなかで、かぐや姫がどんな罪を背負ったのかは問いかけではないのだと思っている。
この地上における罪とは『なにか』である。月でかぐや姫がいかなる罪を背負ったのかではない、かぐや姫がみた世界のなかに存在する罪とは何かである。
そして、かぐや姫が最後の最後に『不死の薬』を残したわけなんだが、それを受け取ってもおじいさんもおばあさんも、帝も喜ばず飲まなかった。これこそが人が持つ徳なんじゃないか——という話なのかな、と。
それはかぐや姫がいないことを憂いる心である。それは月の住人には存在しない心なのではないだろうか。
人の良さとは何か。それは「その人がいないことを悲しむ心」なのかもしれない。
かぐや姫を読んで私が思ったことは、作者が、ものすごく大事にしていた娘を失ったときに書いたものなのかなァと思った。だとしたならば、なんとなく納得がいくんだ。
亡くなった今でも君がいないことを悲しんでいるよ、君はもう忘れてしまったかもしれないけれど。
もしかしたら、この悲しみは罪なのかもしれない。だけど、この悲しみと生きることができるのもまた人であり、人の良さだから、君がいなくなった今でも思い出しては悲しむことを許してね。
かぐや姫はツインレイ男性の課題
竹取物語の視点からして、主人公はかぐや姫である。私たちも子供の頃は『竹取物語』ではなく『かぐや姫』としてのタイトルで絵本を手に取っているように思う。
竹取物語のタイトルを知ったのは、もはや高校のときだったようにすら思うのである。
私たちはツインレイ女性がかぐや姫としての視点を持って竹取物語を分析しやすいのではないかと思うが、それはフェイクで。主人公はツインレイ男性側の『男性陣』のように感じられる。
ツインレイ男性にも『月』と『明かり』の2種類が存在し、月が実体化している存在もいれば、月が虚像となっている存在もいる。
月が本性ならば、その本性に対しての明かりと影では『表と裏』が生じるということだ。
偽ツインレイの場合、裏表が存在し、真実のツインレイの場合、裏表が存在しない。
これは竹による『竹に割ったような性格』が関係しているように思う。
月には『本性』が存在し、その本性を明らかにするのがかぐや姫(ツインレイ女性)であり、ツインレイ女性はツインレイ男性の嘘を見抜き、実体を見抜くことができるのである。
ツインレイ女性が見抜く『五人の求婚者』
かぐや姫は結婚したくない男性に対して『宝物を持ってこい』と無理難題を押し付ける。しかし、課題を終わらせることができないだろうとかんがえる求婚者は偽物を持っていったり、課題を終わらせられないからこその最後を迎えることになる。
1人は嘘を吐く。
1人は騙す。
1人はお金で買う。
1人はかぐや姫を悪人にする。
1人は死ぬ。
それぞれ自分の欲求を満たすために、それぞれがそれぞれに自分の欲求を騙した方法のように思う。自分のなかにある欲求そのものがかぐや姫であり、かぐや姫を手に入れるためには『なにか』が必要なわけなんだが、それをかぐや姫はこの世のものではないものをおねだりする。
もちろんかぐや姫は結婚したくないからではあるが、どうして結婚したくないのかっていうと「嘘つきだから」とか「騙すから」「お金でなんでも解決できると思っている」「あたいを悪人にするから」「恥で動けなくなるから」という色々な心のなさによることが原因である。
これはツインレイ男性が持つ未熟な自分であり、かぐや姫はアニマなのではないか——ということだ。
ツインレイ男性はアニマによる希望を叶えようと一所懸命がんばっているわけなんだが、そのためにツインレイ男性は嘘を吐かねばアニマの欲求を満たせないと思い込んでいたり、お金がなければ意味がないと思っているのかもしれない。
そして、もし、ツインレイ男性が戻ってきたとき、嘘を吐くようであるならば。あなたをストーリーによってだまくらかすようなことがあるならば。お金で解決しようとしているのであれば。あなたを悪人に仕立て上げるようであるならば。最悪、死んでいる可能性もあるわけなんだが。
このように、多くの問題を抱えたまま戻ってくるようであるのであれば、ツインレイ女性は頷くことはできないのだと思う。ツインレイ女性はツインレイ男性にとってアニマであり、またかぐや姫でもあるのだから。
ツインレイ男性の忘れられない思い『帝』
前述の通り、かぐや姫はアニマであり、またツインレイ女性であると同時に、でてくる男性陣はツインレイ男性だと仮定することができる。
かぐや姫に対してツインレイ男性は『欲求』を捨てるように向かわされ、欲求のままにかぐや姫を意のものにしようとする意識を排除する方向性へ向かう。
つまり、男の悪いところって女を手に入れるためになんやかんや悪いことするじゃん、それ直してよって話だ。
最後にやってくるのが『帝』であり、帝によってかぐや姫は権力から意のままにされそうになる。かぐや姫は「だったら死ぬ」ぐらいの言葉で拒否をしている。
帝はかぐや姫を手に入れる経緯で、だまして手に入れようとしたならば、かぐや姫は影となり実態を失うという描写がある。
いわば、ツインレイ男性は『見せかけの権力』や『無理やり』。ほかにも『支配者』であるとき、アニマであるツインレイ女性は消えてしまうのである。
これはツインレイ女性がツインレイ男性を選べない理由は『支配者だから』でもあるのだ。
ツインレイ女性がツインレイ男性を選べない理由
かぐや姫の話のなかではいくつかツインレイ女性がツインレイ男性を拒否する理由が存在している。
- 嘘つきだから
- 人を騙すから
- お金でなんでも解決できると思っているから
- 人を悪者に仕立て上げて自分をいい人間にしようとするから
- 恥で動けなくなるから
- 権力で人の心まで支配してくるから
という理由である。これらはツインレイ男性が抱えている心の問題であり、また自分の欲求をこの地球でいかに満たすかの手段を多くの『支配』のもとに行っていることがわかってくる。
最初の求婚者たちも『支配者』であり、最後の求婚者となる帝が真実なる『支配者』である。
最初の小物的な五人は、支配と欲求の繋がりが存在するが、帝は真実なる支配者である。しかし、帝は少々違い、身を引くこともできるイイ男でもあったことはいうまでもない。(だからかぐや姫にとってはいい相手だったのかも)
ツインレイ男性が書かている男性性たるアニムスでは、根源に『支配』が存在しているからである。
ツインレイ女性は、嘘が通じず、騙そうとしても騙せない。お金でも解決は出来ないし、いい人間を装うとも誰かを悪者にしていることも許さない。人徳は在れども恥で動けなくなる彼には少々同情はしていたが。
そして、権力があれば、支配力があれば、力でねじ伏せられると思い込んでいる、なんでも自分の思い通りになると思い込んでいるツインレイ男性が嫌いなのがツインレイ女性なのかもしれない。
本来のアニムスとは『支配』とは縁遠い存在にあるのだろう。そして、なぜアニムスが支配者となったのかといえば、別れの悲しみに耐えられなかったことがあげられる。
かぐや姫の話のなかでの終盤では、どのようにも抗うことができない別れが存在している。その別れを受け入れることができない為に、武力権力を行使し、運命さえも支配しようとする帝の姿が描かれている。
しかし、かぐや姫と地上の世界では明確に『死』という壁がそびえたち、この死という運命を支配することができないことを受け入れていくことがツインレイ男性(アニムス)には必要なのである。
ツインレイ男性の究極なる壁『死と運命』
ツインレイ男性が乗り越えなければならないのは、死という運命であり、また死により別つ存在への悲しみである。
その悲しみを抱えきることができないのがツインレイ男性であり、だからこそ、ツインレイ男性は『不死の薬』を飲むことがない。
ツインレイ男性がしなければならないことは泣くことかもしれない。
そして己のなかに存在する運命さえも支配することができると思い込んでいる傲慢さを手放さなければならない。
ツインレイ男性のなかに存在する悲しみとは、別れへの悲しみであり、別れへの抵抗でもある。
ツインレイ男性が受け入れなければならないのは『ツインレイ女性との別れ』である。ツインレイ男性は未だ、ツインレイ女性と別れられていない状態にあり、だからこそ、ツインレイ女性は忘れられないのである。
ツインレイ女性がかぐや姫ならば、月へ還るときにこの世のことを忘れる。しかし、ツインレイ女性がこの地上にいる限りは、ツインレイ女性はツインレイ男性のことを忘れないだろう。
『支配』や『傲慢』をツインレイ男性が手放せば、ツインレイ女性はツインレイ男性を忘れるだろう。
運命を支配できるという傲慢が打ち砕かれたとき、ツインレイ男性は絶望するのかもしれない。そしてそのとき、ツインレイ女性は忘れるのである。
しかし、この世の地上とは『支配』や『傲慢』に溢れ、また運命さえをも変えようと躍起になる私たちがいる。
かぐや姫の話でもそうだ。この世はけがれている、この世は地獄である。だがしかし、だからこその良さもあるんだと言う。
それはそこに『心があること』である。それは愛情、それは恋情たる、人を想う優しい心である。
支配や傲慢を手放したとき、ツインレイ男性のなかに存在しているかぐや姫は消えていくだろう。運命さえをも受け入れることになる。
そして、その心には「別れによる悲しみ」でいっぱいに満たされることになる。
それこそが『心』なのだと竹取物語は語っている。
つまりだな、ツインレイ男性が取り戻すべき心は『悲しみ』である。悲しめよってこと。この世に別れはつきもので、その別れを悲しまずとして、その心が生きることはない。
ツインレイ男性がなぜ支配をしようとするのか。理由がわかったね。「悲しみと向き合いたくないから」である。
ツインレイ男性が失っている心とは『悲しみ』にあり、そのとき『支配』が始まるが、支配をツインレイ女性が愛おしいと思い受け入れたとき、ツインレイ男性は初めて悲しむのかもしれない。
ツインレイ男性は支配し続けた結果に失い、ようやく失った事実に気づくのである。そして悲しむ。だけどもう後の祭りだ。
ツインレイ男性のなかに『欲求』や『支配』が失われたとき、また魅力を感じる女性とは別になってくるだろう。
かぐや姫になぜ惹かれたのか。それは支配したくなるほどの美しさがあったからである。しかし、支配を失ったツインレイ男性が次にどんな女性に惹かれるのか——。それはかぐや姫には描かれてはいないが、きっと支配できないからこそいいと思える人なのかもしれない。
ありのままのあなたである。
かぐや姫はありのままではなかったと言える。それは「いつかは月へ還らねばならないから」である。
月へ還らなくてもいいのであれば、かぐや姫は帝の胸に飛び込んだのだろうか。その恋を叶えようとしたのだろうか。