ツインレイの3種類の自立の種類まとめ
ツインレイは多くのツインレイステージのなかで自立を促されると言われています。
ツインレイの自立は3種類存在しています。
- ツインレイの自立の種類
- ツインレイからの自立
- 神からの自立
- 経済的自立(社会的自立)
このなかで一番多く語られている自立は『経済的自立』かと思います。
ツインレイの3種類の自立とは
ツインレイの3種類となる自立は、それぞれの次元にて行われています。
次元の意味 | 自立の種類 | |
---|---|---|
3次元 | 肉体 | ツインレイの経済的自立(社会的自立) |
4次元 | 命・時間・精神 | ツインレイからの自立 |
5次元 | 魂 | 神からの自立 |
ツインレイの自立は、それぞれの次元を克服することができようやく成立することになります。
しかし、それぞれの次元の克服についての理解は少々複雑です。
克服する次元 | 自立の種類 | |
---|---|---|
3次元 | 5次元 | ツインレイの経済的自立(社会的自立) |
4次元 | 3~5次元 | ツインレイからの自立 |
5次元 | 3次元 | 神からの自立 |
3次元により生じているツインレイの経済的自立は、5次元を克服することにより、自立することが出来ます。
4次元により生じているツインレイからの自立は、この世の次元をすべて克服することにより、自立することが出来ます。
5次元により生じている神からの自立は、3次元による次元を克服することにより、自立することが出来ます。
この自立とは『統合後における分離』を意味しており、ツインレイのふたりがそれぞれの次元を『自己のなかで成立させる』ことにより、自立を促されていくことになります。
ツインレイの自立とは魂の自立
ツインレイの3種類の自立の本質足る『自立』とは、ツインレイのなかで『個としての存在を生み出すこと』です。
私たちは、親離れすることなどを自立するという言葉で表現することがありますが、それと同じようにツインレイの自立は『ツインレイ離れ』『神離れ』『社会離れ』という形によって生まれます。
ツインレイステージを踏んでいる段階では、まだ親離れできていない子供の状態の魂である背景がツインレイの自立という言葉を生んでいます。
このなかで私は自立するべき項目として、
- ツインレイ
- 神
- 社会
という三つの項目をあげています。
この項目は、ツインレイたちにとって『依存しているもの』でもあるんですね。
つまり『ツインレイ』『神』『社会』に依存している状態を自立させ、依存からの脱却をすることにより、ツインレイの自立は成立していきます。
つまり、ツインレイの自立とは、ツインレイから自立し、神から自立し、人間社会的に自立していくことで最終的には『魂による自立』を促すこととなります。
ツインレイの自立と二元論の依存
ツインレイの自立は、ふたつのパワーバランスとして二元論が成立しています。
これは『依存』と『自立』という形で、二元論が成立しているために、経済的に自立しなければ——。独り立ちしなければならない。ひとりで生きていかねばならないという考え方が生まれます。
このとき、依存は悪いもの・自立は良いものとして捉えられているんですね。(善悪二元論ですね)
しかし、三元論的な考え方を持つとき、人は『依存』『自立』、そして『共存』という考え方をもたらします。
二元論 | 三元論 |
---|
依存と自立のみの視点になると、
- だれかに依存して生きていく
- 自分一人で生きていく
という究極の選択性を生み出します。
そのとき、誰かに依存していれば、自分はひとりでは生きていけていないという考え方ゆえに、自分を否定することになります。
しかし、三元論的な『依存』と『自立』、そして『共存』という三つ目の視点を持つことにより、依存することは共存することであるという意識を持つことが出来ます。
ツインレイの自立とは『依存という考え方を共存に切り替えていく』ことにあります。
しかし、依存は共存である! と依存者がいっても意味がありません。先ずはいろんな意味で自立していく必要性があります。
その自立が『社会的自立』『ツインレイからの自立』『神からの自立』であり、すべてまとめて『魂の自立』をすることにより、結果的に依存することが共存することの架け橋になることを魂的に理解することが出来ます。
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順序的にツインレイが自立するまでの学習経緯を説明します。
- 依存をする魂の子供の期間をもうける
- 自立を促されることがツインレイステージ
- 自分は完璧でないことを知る
- 依存という形で持っていたものを共存とする
この順序によりツインレイは、共存を学ぶことになります。
自立しているとは、ひとりでいきていくことではありません。それは依存的な考え方です。
自立している本当の意味では、共存的に人と繋がりながら生きていくことが自立となっています。
依存と共存は、表裏一体となり、どちらも同じことです。しかし、自立をしていない共存は依存となります。
ネガティブ世界寄りのツインレイの自立は『依存』という自立をすることになります。
ポジティブ世界寄りのツインレイの自立は『共存』という自立をすることになります。
本質的にある自立の意味が違います。
ネガティブ側の自立は必ずどこかに依存が潜んでおり、ポジティブ側の自立は必ずどこかに共存が潜んでいます。
ネガティブ側のツインレイの自立は孤立を生んでいくことになりますが、ポジティブ側のツインレイの自立は共栄を生み出していきます。
ネガティブ世界のツインレイの自立 | ポジティブ世界のツインレイの自立 |
---|---|
依存 | 共存 |
孤立 | 共栄 |
一人 | 複数人 |
大いなる違いは『一人になるのか』『複数人になるのか』という違いです。
ネガティブ側へ進めば進むほど、ツインレイは一人の孤独状態へとなっていくことになりますが、ポジティブ側へ進めば進むほど、ツインレイは多くの人たちに囲まれていくことになります。
これから精神状態が明らかに現実世界へ適応されていく時代となっていくため、ツインレイの自立の意味合いがどのような形に着地することが出来ているのかにより、ツインレイを取り巻く環境が変わっていきます。
ツインレイの経済的自立・社会的自立
ツインレイは最終的に『経済的自立』を果たすと言われていますが、大局的に見てみると『社会的自立』としてみたほうがもっとわかりやすいのではないか——と感じられます。
また、経済的自立という言葉自体は、ネガティブ世界の思想ではないかとも思っています。
理由は経済的自立をしたほうがよいという意見は『お金を自力でいっぱい稼ぐ』ということをツインレイの経済的自立では伝えており、そのためには金欲や勝利したい意識などのネガティブ世界寄りの欲求をかき立たせているような気がしてならないからです。
経済的自立をしているとは『会社に属さないこと』という意味合いを持っているようで、起業をすることとも言われていますが、私的に魂の方向性から考えてみたとき、経済と魂にどのような因果関係が生まれているのかがよくわかりません。
けっきょく経済的自立とは結果論に過ぎず、ネガティブ世界により生まれたネガティブ側のツインレイたちが『経済的に成功したほうが良い』という意識を根付かせるために吹聴したような気がしています。
ので、ここでは私は経済的自立というよりも、社会的自立という言葉のほうが正確ではないかと感じています。
ここでは先ず『社会とはどのように成立しているのか』についての着眼が必要ではないかと思います。
- 社会で通じているルールや法則性
- 社会で稼ぐお金による流通
- 社会のコミュニティー
社会の成立は『ルール』『お金(食べ物を買う為の)』『コミュニティー』は最低限必要であり、社会的自立をする人たちは、この三つを克服している状態だと考えられます。
このなかでひとつの『社会で稼ぐお金による流通』という項目がツインレイの経済的自立と呼ばれているものに当てはめることが出来ます。
しかし、私的に現実的には確かに経済的自立が必要となりますが、ほかにも『社会によるルールや法則性』『社会によるコミュニティー』という項目も必要なツインレイの自立項目だと感じられます。
ツインレイは社会のルールから自立する
社会のルールや法則性とは『法律』という言葉が一番わかりやすいものかもしれません。
もし、犯罪を犯したならば警察に捕まる。そのようなものを意味しています。
しかし、ツインレイを語るうえで必要な社会のルールとは、私たちが生きていくなかで抑圧的な意識となっている超エゴに関する意識として捉えてみたらもっとわかりやすいのではないでしょうか。
- 〇〇でなければならない
- 働かなければならない
- 人に迷惑をかけてはいけない
- ひとりで生活をしていなければならない
- 二十歳を過ぎたら自立していなければならない
私たちは無意識のなかで、〇〇しなければならない規則的なルールと、〇〇してはいけない抑圧的なルールというものを持っています。
実はこの項目。悪魔に取りつかれやすい人による記事により書かれている項目と酷似しています。
- 支配者となりやすい者が頂点にいるピラミッド社会の上下観念とその仕組み
- 毎日の日常・インターネットでの比較競争
- お金による貧富の差
- メディアによる恐怖や不安を煽る情報
- 自分より仕事を優先する意識
- 他人をコントロールする意識
- 勝ち負けの判断
- 一番を目指す意識
- 支配する意識
- 人・物・役割・環境などへの執着心
- 自分が正しいという意識
- 否定の言葉
- 常識やルールが絶対の意識
- こうであるべき縛り
- 自分を大事にしない無価値感
- 自分が悪いと感じる罪悪感
- 自分を否定する意識
- 自分を傷つける意識
- 自分を大切にせず心が病む状態
- 人と同じことに価値を置く意識
- 人に合わせ自分らしさが消えていく状態
- 社会のルールをはみ出さないよう自分を殺す意識
- 物質的な豊かさだけを求める意識
- 精神性を大事にしない意識
引用:悪魔に取り憑かれやすい人(分離と統合)(削除された記事です)
類似している箇所を太文字にさせてもらいました。
それは社会で生きていくために人と人との調和性を持たせました。悪魔——というよりも、この意識は社会で人と人とがうまくやっていくために必要な調和性によりうみだされたルールでしたが、調和性のための意識は悪魔のエサとなっているのが実情かもしれません。
法律が『犯罪を犯してはいけない』というように、社会では『人に迷惑をかけてはいけない』というような自分ひとりでいきていかねばならないという考え方を持たせる必要性がありました。
しかし、本当にそうなのか——。ということです。
社会で働くことが得意な人もいれば、HSPという共感性の高い気質を持っている人は社会で働くことを荷が重いと感じている人もいる。それでもHSPの人たちは『社会で働かなければらない』という抑圧から、社会で働くという選択をします。
理由は社会のルールがそのように決まっているから、です。
しかし、社会的自立を果たしていくツインレイたちは、社会のルールを大局的に見ることになっています。
暗黙の了解の社会のルールについて『どうしてルールが存在しているのか』ということを理解しているんですね。ゆえに、社会のルールに乗っかることができるんです。
このとき、ツインレイたちへ社会のルールに対しての抑圧はありません。
理由は『できないことは出来ない』という判断力にあります。
ツインレイの社会的自立とは『できないことをできないと知ること』にあり、自立することにより自分にできないことは人に頼むことができるようになります。
自立とは、自分一人で立ち上がることではありません。自立は自分に対しての客観的評価のもと無理のない範囲で『自分のできることをすること』です。
しかし、社会的ルールや法則性のなかでは『自分にできないことをも無理してさせるような抑圧』がありました。
できないことはできなくてもよく、しかし、出来ることをすることが出来ることが『自立』なんですね。
いわゆる自立とは、人と人との共存的視点がもたらされることにより、ツインレイの自立が完成していくことになります。
このとき、必要になってくるのがコミュニティーによる自立です。
ツインレイのコミュニティーからの自立
ツインレイがもたらされることになる自立は『共存的視点』により、完成していくことになります。
根本にあるものは『人と人との繋がり』です。
多くの方々が、ひとりでいきていくことが自立だと考えていらっしゃるかと思います。しかし、起業したからと言ってひとりでいきていくことが出来ているのかというと全くそんなことはありません。
会社と会社の繋がりはもちろんのこと、どこからお金が入ってくるのか——という視点を取り入れることは、自立とは共存を知ることに繋がっていることがわかります。
ツインレイたちは『人と人との繋がり』となるコミュニティーを重要視していくことになります。
もちろんこのコミュニティーは閉鎖的ではありません。
このなかで必要なものは
- コミュニケーション
- 行動
- 発言
- 心
です。
コミュニケーションとは『行動』『発言』『心』により成立しています。この三つが統一的になっている状態となり、ようやくツインレイたちはコミュニティーを形成していくことが出来ます。
ツインレイの持つコミュニティーの自立とは、人と人とのつながりを重要視をし、相手を尊重することが出来るようになり、ようやくツインレイたちは共存を導き出すことが出来、自立を完成させていくことになります。
このツインレイが生み出すコミュニティーの自立は、ツインレイたちのまわりに多くの流れ・循環を生み出し、それはお金の流通はもちろんのこと。人と人とのつながりが心の豊かさへと繋がっていきます。
ツインレイの経済的自立は結果論
ツインレイたちのなかでも、経済的自立をしなければならないのではないか——。という不安を抱えている方も多くいらっしゃるかと思います。
そんなとき、この項目を考えてみてほしいです。
- 自分は社会で働くことに向いているのか
- 自分は経済的なことに興味があるのか
- 自分は何をすることができるのか
- 社会になにをもたらすことができるのか
- 自分は人に何を手伝えるのか
この項目を考えてみたとき、私たちは『自分はなにが出来るのか』の答えを導くことが出来ます。
それがもし、お金にならないことだとしてもいいのではないでしょうか。お金を稼ぐことが得意な人もいれば、お金を稼ぐことが下手な人もいるし、興味がない人もいる。
なぜならば、ツインレイは『お金を片方が稼ぐ』という意識が強い場合、もう片割れは『お金を稼ぐことにあまり興味がわかない』というような鏡の法則性がもたらされている為、無理をしてお金を稼ぎ、無理をして自身が経済的自立を果たす必要性がないからです。
そう『無理をする必要性はない』はずなんです。
しかし、ツインレイが『経済的自立をする』というステージをもうけていることにより、無理をしなければならない人たちが生まれてきており、それが苦痛になってはいやしないかと少々心配するあまりです。
最終的に、私たちは経済的成功をもたらされるとツインレイについて語られている部分に対し、では経済的成功とは何か——と考えてみる必要性もあります。
ツインレイの経済的自立・経済的成功は結果論にすぎません。
ツインレイの経済的自立のホントのところ
ツインレイの経済的自立に対してのホントのところは、ツインレイたちが経済を循環させることになるかと思います。
いわゆる、自分たちだけが多くのお金を稼げばよいという意識よりも、周囲にお金を循環させていく意識をもたらし、自分だけが嬉しいカタチにしか経済的に恵まれないような状態からは脱却するべきではないか——ということです。
二極化世界のうち、経済的に成功を収めるカタチになっている人たちは、循環をおさえ、私腹を肥やし続けている停滞的考え方を主体としてもっています。
ネガティブ寄りのツインレイたちは、自分自身のお金を稼ぐことはできるかもしれませんが、他者のなかで一番になってしまうことにより、周囲への恩恵がなくなっていってしまう——ということです。
独占市場に君臨した人たちがもし、経済的自立をしているのだとしたならば、それは循環であるのか。はたまた経済的な停滞によりそこへお金がたまりこんでいるのかについてはしっかりと考えてみる必要性があります。
ツインレイが求められている自立とは、循環であり共存です。
ツインレイからの自立
ツインレイから自立するとは、魂が繋がっている状態を分離させ、罪をツインレイの相手にかぶってもらうことなどをやめていくことになります。
ツインレイに対して、私たちは
- 家族
- 兄弟・姉妹
という感覚を抱きます。少なからず、恋人という感覚はもたらされず、ツインレイの相手は『守る存在』でもあり『守ってくれている存在』でもあります。
ときにツインレイの相手を『兄』と感じることもあれば『弟』と感じることもあります。かばってもらうときには兄のように感じられ、かばうときは弟のように感じられます。
ツインレイの関係性はかばい、かばわれという持ちつ持たれつという関係性でもあるために、実際の家族よりも本当の意味で守ってくれている魂の家族です。
ツインレイの相手は時に親代わりを果たしているということです。それは魂による規模により行われているために、私たちはそれを理解するにはツインレイステージのなかでも最後の方に差し掛かるので、時間がかかるかもしれません。
しかし、ツインレイの相手は、ツインレイの半身が持つことになった罪を肩代わりすること、ツインレイの半身が傷ついたときにはツインレイの半身は悪くないと心をフォローするように守ってくれています。
それはツインレイの愛ですね。
ツインレイのふたりは『親子』でもあるんです。ツインレイの片方を守りたいという意識は親が子を想う気持ちそのものであり、ツインレイの相手を守ることがツインレイがツインレイである証拠のように思います。
しかし、それでは『親ありきの子』という依存的な関係性のままです。
ツインレイのふたりは、ツインレイの相手という親から自立していく必要性があるんですね。
守られてばかりなのではなく、自分一人で自分の罪を背負い、自分一人で自分の心の傷に向き合うことが出来るようになっていくことがツインレイとして一人前ということになります。
ツインレイからの自立は、
- 自分ひとりで自分の心の傷を背負うことができる
- 自分で自分の持つ罪を持つことができる
という、自己責任的な。または自己完了的な状態へとなっていくことが求められています。
ツインレイからの自立は3次元~5次元の分離の完了が必須
神からの自立と社会的な自立のふたつは、ひとつの次元による克服により、完了していくことになりますが、ツインレイからの自立だけは3次元~5次元までのすべての分離が完了する必要性があります。
- 神からの自立ができている
- 社会的自立ができている
このふたつの自立ができている状態で、ツインレイからの自立は、もう一押しで完了していくことになります。この自立がツインレイの4次元統合、そして分離の経緯で行われています。
ツインレイの神からの自立
ポジティブツインレイが成すべき最終的な自立は、神からの自立です。
人の魂は、魂の創造主となる神から生まれ、その魂のなかには神からもらった心が入っています。
その心をツインレイたちは磨き上げ、最終的には創造主となる父の心をしっかりと理解し、使いこなすようなことが出来るようになり、ツインレイの神からの自立を迎えることになります。
神は人が抱えている心理を含め、多くのものを父たる神は自身のなかに内包することになります。
魂の親子関係では、子の罪を親がかぶることは当たり前であり、父たる神は子がもつ罪を背負ってくれている状態なんですね。
父たる神と子となるツインレイは、へその緒が繋がっている状態です。また、多くの人々がこのような状態であるがゆえに、それが普通です。
よく、人のなかに神がいるのだ——という話と同じように、父たる神のエネルギーが子である人のなかを循環しています。
いわば、父は心を通じて魂の教育を行なっているような状態なんですね。
最終的に、魂の成長を遂げ、3次元・4次元・5次元というような形で、子のなかにそれぞれの父からの学習を終えた段階で、へその緒は切れ、父に『一人前』として認めてもらえるような状態となります。
魂の大人と呼ばれる状態は6次元に到達している状態であり、この地上における学習段階の子たる魂のほとんどが魂の子供であり、父である神とへその緒がつながったままの人たちばかりです。
最終的に、魂の大人として認められるほどの魂——。もとい精神性を手に入れることが出来、ようやくツインレイは神からの自立をすることができます。
日和見主義ツインレイは神からの自立はしない
ポジティブツインレイたちは、この地上における使命がガッツリある人たちが神さんたちと繋がりながら使命をこなしていく必要性がありますので、最終的に神からの自立を迎えることになりますが、日和見主義ツインレイの多くは神からの自立を迎えることがありません。
日和見主義ツインレイたちにとって必要なことは『社会的自立』と『ツインレイからの自立』です。
もちろん、神からの自立ができなければ、ツインレイからの自立を迎えることは出来ません。ゆえに、ツインレイたちの多くはツインレイのふたりが『共存できる立ち位置』に収まることにより、再会を迎えることとなります。
いわば、このツインレイの3種類の自立をすべて終わらせることになるのはポジティブツインレイたちであり、日和見主義ツインレイたちは、3種類の自立をそれぞれ、三分の二ほど終わらせることができていれば、それで合格点なんですね。
そんな状態でも、ツインレイの再会は許されています。なぜならば、ツインレイがツインレイでなくなるような魂の配置となり、鏡の法則性を脱却することが出来れば、ツインレイは再会することができるからです。
ゆえに、そこまで躍起になって自立をしなければならない——というわけではないのが日和見主義ツインレイであり、このなかで神からの自立はできなくて当然という考え方も必要です。(来世とかでできれば、全然オッケーなんです。)
そして、ツインレイのふたりが再会したのち、それからツインレイのふたりで成長をしていくということが望まれているのがツインレイの再会後のこととなっています。
日和見主義ツインレイも最終的にはポジティブツインレイへとなっていくわけですが、その経緯をツインレイのふたりで自立の道へと進んでいくことが大事なんですね。
なにかしらの自立をしなければ——。という意識そのものがツインレイが抱えている社会のルール的な縛りや人の意見を鵜呑みにしてしまっている自分軸の崩壊状態です。
ツインレイの自立ができていない場合
ツインレイからの自立ができていないケースがあり、それがネガティブツインレイ、ネガティブ世界寄りのツインレイたちとなっています。
- 人のせいにする(ツインレイへ罪を押し付ける)
- 自身の心の傷を背負えない(ツインレイにかばってもらう)
- 社会のルールや法則性がよくわかっていない(悪を行うが許されている状態)
- 神への批判が強い(批判されても許されている)
- 浪費癖が強い
- 共存が出来ない(人を否定しても許される)
- 循環を理解していない(停滞・放出状態)
というような形で、ネガティブ側のツインレイたちは自立を損なった状態になっています。
裏側には必ず依存が隠れており、すべてにおいて許されているから依存してしまっている状態です。(子供だから仕方ないでしょと言われて、甘やかされているのが現状であり、その現状が依存を強めさせています。)
自分は悪くない、誰かが悪いという意識は、自分自身が持っている罪をツインレイへ押し付けることへ繋がっています。この点、親に自分の問題を始末つけてもらうような形です。
自分が傷ついたとき、その傷と向き合うことが出来ずに自分は悪くない、傷つけてきた相手が悪い。そのような思考に傾いたとき、ツインレイの相手がかばってくれていますが、ツインレイの相手が傷つくようなメカニズムです。
社会のルールや法則性を理解していないために、郷に入っては郷に従うことが出来ません。
何かしらの難癖などを付け、自分が正しいと思っているルールを社会に投げつけ、問題を起こし続けます。
また、神への批判も強く、なにかしらにつけて神が悪いというような形に思考が着地しやすい点も含め、神へ依存していると考えられます。
ツインレイの自立ができていない場合、共存的な視点を持つことが出来ません。
ゆえに、コミュニティーの形成や、人とのコミュニケーションに難が生じやすく、関わる人たちを傷つけては殻にこもるようなきらいがあります。
そして、経済的自立となる視点のひとつとなる循環についてを、『無駄遣い』というような形で浪費をすることになりやすく、身の破綻を招きかねないお金の使い方をします。
ツインレイの自立をしたい方へ
ツインレイの自立をしたいとは一概にいえども、複数存在し、どこから手を付けたらいいのかわからない。そのような状況に陥りかねない記事となってしまいました。
ゆえに、少々、ツインレイの自立をしたい場合、どのように考えてみるべきなのか——について触れておこうかと思います。
ツインレイの自立は『依存』または『共存』の違いにあることはツインレイの自立と二元論の依存の項目で説明をしました。
つまり自分自身のなかに或る依存をなくせばいい。そのように安易に考えてみることも出来ます。『依存をなくす』ことは『共存意識を高める』ことに繋がっているんですね。
逆を言えば、共存意識を高めれば、依存をなくすことができる——ということです。
依存的な意識があるから共存ができなくなってしまいやすく、人に甘えてしまうカタチになります。
だからこそ、真逆に人を甘えさせてみよう! という考え方に変更していくことが実は共存的意識をもたせるには有効です。
つまり、否定で自身を縛り付けるのではなく、自分が何をするのか? という視点へ切り替えていくんですね。
しかし、どんなに頑張っても、ここだけがどうしても人を甘えさせることが出来ない——。っていうことがあります。
理由がわからなかったりもします。
- どーしても、人を許してあげることが出来ない
- 人を甘やかしてあげることが出来ない
- 人に寛容になれない
- 人に甘やかされている状態になってしまう・・・・・・
このような状態になぜかなってしまう。そんなとき、
- 覚えていないけど、過去の記憶で大きな心理的なダメージを負っている
- 前世の体験で、ネックになっている大きな魂のカルマが潜んでいる
という可能性があることを考えてみてください。
魂のほとんどは、共存的なことを喜んでいるはずです。共存できることが凄く嬉しいはずなのに、共存ができなくて苦しい・・・・・・ってことも度々あるんですね。
しかし、自分で解決できないようなこともあるんです。
そんなときは、専門家を頼ってほしいと思います。