ツインレイの自立の目的『充実した人生を生き、あなたらしい幸福を手に入れること』
ツインレイはよく『自立』を求められていますが、どうして自立せねばならないのか? についてを理解すると「あ、なるほど。」と思いましたので、その件について触れたいなと思いました。
私はほとんどのツインレイがアダルトチルドレンだなと思っています。そのなかでアダルトチルドレンに対して求められていることは、精神的自立になります。
精神的自立とは「ひとりで精神を維持できる」と考えることができます。
本来、ツインレイたちは精神的自立が出来ていない状態で出会っていますから、お互いがお互いを支え合うようなカタチで出会っている。それがツインレイ。
つまり、ふたりでひとつとなっている状態がツインレイたちです。
ふたつでひとつを維持し、支え合っている状態では片方が必ず食いつぶされることになる。だからこそ、支え合っている状態を脱却し、各々が自立した存在になっておくことが重要です。
さて、この精神的自立が、なぜ必要なのか? 同じだけ、経済的自立もなぜ必要なのか——についてです。
それは、あなたが満たされた生活を送る必要性があるからです。
ツインレイたちは元々満たされていないがゆえに惹きあうような関係性でした。ほかにも色々と『惹きあう理由』がありますが、ツインレイたちが持つトリガーとして、そこに不足の関係性を構築します。
お互いが不足と感じるのは、お互いがお互いを支え合ってしまっている状態にあるからでした。
しかし、ひとりで自立するような状態になると『満足』となります。このとき、お互いが惹きあう必要性が無くなりますので、ツインレイへの執着は失われつつあります。
不足の状態から満足の状態へなっていくことがサイレント期間の目的です。
では、満たされている状態とはどのような状態なのでしょうか。
私たちは好きなものを食べる、好きな場所に行く、会いたい人に会う——というような自分で行動していきますが、満たされていない状態では、ひとりでは好きなものを食べに行けませんし、ひとりでは好きな場所に行けず、会いたい人に会いに行くことも出来ません。
満たされていない状態とは、常に「誰か」を求め、自分の不足部分を補う必要性がありました。その不足部分は人それぞれ違います。「満たされていない」と思う部分は皆違うからです。
私の場合は「さびしい」をトリガーとして出会っていますから、ひとりでもさびしくない状態になっていくことが満たされていくことに繋がります。
満たされていないツインレイとは『マイナスの感情』を動機として出会っている状態を意味しています。ふたりはマイナスとマイナスを寄せ合わせてプラスにしようとしていますが、マイナスとマイナスを合わせても、どう頑張っても、めっちゃマイナスになってしまった・・・・・・という状態からサイレント期間へ突入していきます。
自分のなかにどんなマイナスの感情があって、そのマイナスを相手で埋め合わせようとしている動機を知ってみる必要性があります。
そして、この『満たされていない』を『満たされている』という方向性へ転換するとき、私たちは自立しているのです。
私たちは、満たされていないからこその出会いから、満たされているからこその出会いへ切り替えていくことが出来ます。
そのとき、もし、ツインレイとのご縁が再び生じるのであれば、ツインレイと結ばれるも良し。ツインレイとのご縁がなくとも、それはそれで満たされた世界。自立した世界で新しい誰かと結ばれていくも良し。
どちらを選ぶことになったとしても、私たちは自立していますので、自分で選ぶことが出来ます。
自立とは自分で選んだことによる責任をとることでもあります。自分で自分の道を選び、その道を進む責任をとるために、私たちは選ぶ責任が生まれていきます。
つまり、ツインレイに求められていることは『経済的自立』『精神的自立』ではないとも言えるのではないか? と思います。
そもそも自立は後からやってくるものであり、自立を目的として自立しようとしても自立はなかなか難しいということです。
私たちは『経済的に満たされていますか?』『精神的に満たされていますか?』と問いかけられていると思えば、もっと自立への理解を進めやすいかなと思います。
経済的に満たされていない不足感がある場合、過剰に働いたり、もしくはやりたくない仕事を率先して行ったりなどもあるかなと思います。ほかにも、搾取するような稼ぎ方をしたり、お金への不安や不満がボロボロとでてくるような状態になっていきます。
しかし、経済的に満たされているとき、私たちはお金を使うこと、お金を使った後の不安や不満もなく。お金の稼ぎ方にも無理はなく。自分に必要な分だけ手に取ることが出来るようになると思います。
経済的自立とは、自分自身のなかにあるお金に対しての不安や不満としっかりと向き合っていくことだと思います。(ほかにも罪悪感などが存在しているかなと思います。)
もし、経済的自立を果たすことが出来たとき、私たちはお金に対しての不足感よりも満足感のほうが上回っている状態だと思います。
精神的に満たされていない不足感があるとき、誰かに依存してしまいやすいです。もちろん、共依存・回避依存共々、根っこの部分には不足感が存在し、その不足を補いたいと思っています。
アダルトチルドレンの方々の多くが、この精神的に満たされておらず、自立が出来ていない状態になっているのかな? と考えられます。
私たちは『安心感を持って生きていい』ということに許可を出していく必要性があります。
ネガティブ的な側面で、精神的自立をみるとき「依存してはいけない」というNOによる視点を持つことになりますが、精神的自立は「誰かがそばにいることに喜びを覚えること」の視点を持ちます。
依存は不安を軸に構成する関係性ですが、自立した精神は安心を軸に構成する関係性です。
つまり自分の精神のなかに「ひとりでも安心できる」という状態を作っておくことは、これから誰かと添い遂げる為にも必要な精神性なのです。
私たちは精神をも自立させていくことで「ひとりで精神が完結する」ようになるので、相手へ怒りを押し付けたり、人のせいにしたりなどがなくなり、自分の感情や精神を自己完結させていくことが出来るようになります。
相手へ自分の感情を押し付けることで、私たちは自分の感情責任がとれていない——ということになります。たとえば、嫌なことがあったら不機嫌になるとか、自分の正義を人に押し付けてみるとか、自分の思い込みで相手を罵倒してみたりとか。
多くが精神的自立の結果、投影を終わらせていくことになると思います。
まず、自分の自立について考えてみる時は「満たされているのか」「満たされていないのか」を見ているといいかもしれません。
その心のなかにネガティブな感情が渦巻いて「ひとりでは出来ない」「ツインレイがいなければ」という感覚は、あなたの自立できていない部分を教えてくれているサインとなります。
ツインレイはあなたのなかにある『自立できていない部分』を教えてくれます。
もしかしたら、ひとつの側面として、これが執着のように目にうつるかもしれませんが、執着をしているのではなく、ツインレイが自分の持つ自立が出来ていない部分を道しるべとして示してくれているんだと思えると、なんだか少し前を向けるような気がします。
ツインレイは「補い合い」「支え合い」のために出会っているわけではありません。
ツインレイたちはふたつでひとつという存在ではなく、ふたつでふたつ。そして、ツインレイたちが自立していくことで、そこから多くの恩恵が生まれていくとき、二倍、三倍にも幸福が広がっていく構造が存在しています。
ツインレイは、0.5+0.5=1ではなく、2²=4という数式なのかな? と思います。
私たちは自立していくと、生活の中が満たされ、いつだって「愛されていること」に安心感を覚えます。それはツインレイに愛されていることに安心感を覚えるのではなく、生活のなかに充実感を覚えているということです。
自立をするとは、とてつもなく単純なことなんです。
「あなたの今の生活は充実していますか?」
自分の生活が充実しているとき、あなたはほかの誰かに気を取られることがありません。
ツインレイのことすら忘れていきます。あなたは自分の人生を自立して歩いていくことが出来ます。
そのとき、私たちは自分の経済や自分の精神が勝手に自立している状態です。
あなたが充実した生活を送ることが自立していくことです。あなたらしい幸福を手に入れることが自立です。