魂の大人と人間の大人の違い

2022-11-14

| Ⓒ なとり

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ツインレイステージまとめ

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さよなら、ツインレイ Kindle版
さよなら、ツインレイ

当時はこれでおしまいなんだ・・・。そんな風に思いながら書いた『さよならツインレイ』。結果的にさよならしたのは、神交法の相手であるツインレイの霊体だった件。今更振り返って読んでみると納得がいく一冊だが、当時はよくわかっていなかった。

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子供の頃、大人は完璧な存在だと思っていました。

だけど、二十を超え、成人を迎えた後の『大人』になってみて思ったことは、自分は全然大人ではないっていうこと。

二十歳ではまだまだわからなかったけれど、三十になればそれなりの大人になるんじゃないかとも思っていました。

教養も学もない。私自身が二十歳でやってきたことは、教養と学を持つことだったのかもしれません。三十歳になったとき、自分自身が思う自分になれれば『大人』になれるような気がしていました。

二十代の私は、まだまだ自分が子供の気分でいたから、大人になりたかったのかもしれません。

 

三十代を迎えても私は『大人』にはなりませんでした。

嫌いな食べ物は食べられなかったし、嫌なものは嫌だったし。やりたくないことはやりたくなかったし、出来ないことは出来ませんでした。

私が思う大人は『できないことができるようになること』であり『嫌いなものが存在しないこと』でした。

思い返せば、私のまわりにいた大人たちはできないことがあったし、嫌いなものだってあったはずなのに、大人は子供にどうしてできないことを責め、嫌いなものが存在することを咎めるのでしょうか。

 

人間が『大人』と定義するには『年齢』というものが指針なのかもしれません。

しかし、年齢に見合った精神を持っているのか——は別の話です。それに、その精神性の本質をみなければ、見掛け倒しで本質的な部分ではまるで子供のようなこともある。

残念ながら、私は大人にはなれないでいました。精神も、身体も、子供のままだったかもしれません。

苦いものは食べられないし、きのこのムニムニ感は歯が浮きました。嫌なことはできなかったし、やりたくなかったし。おかしいことはおかしいと思っていたし、郷に入っては郷に従えという教えでさえ、守ることがなかなか難しく。

そのルールに対して、私はいつも疑問を抱くような幼さを持っていました。

けっきょく、私は年齢に見合うような形で成長することは出来ずに、くすぶっていたようにも思いますが、魂的に大人になる人たちはこのような経緯を経ていくことが多いのではないでしょうか。

 

精神年齢が高ければ高いほど——。もとい、魂の成熟性が高ければ高いほど、個人の持つ許容量を増やしていく必要性があります。

その成長の過度期となるのが、二十代。いわば、親の因縁を抜けていったあとになるのではないでしょうか。

その二十代で、人は『魂の成熟』に向かい、成長していくことになる。

 

魂の大人とは6次元以降になります。

いわば、ツインレイと出会い、その後、再会を経ていくなかでもポジティブツインレイとなっている存在こそが魂の大人であり、6次元に入ってからこの世界を抜けていくため、この3次元~5次元で形成されている世界に存在するすべての人が魂的には未熟であると判断されることになります。

その世界のなかで、魂の大人になるべく6次元へ向かっていく段階がツインレイです。

 

魂の大人とは人間的な未熟へ向かっていくことでもあります。

それは精神的に落ち着いていくのではなく、好奇心を忘れないこと。何も知らない子供のように他者を受け入れていくことでもあります。

 

魂の大人になっていく道にはふたつあり、ひとつが本当の大人となりますが、もうひとつが真逆の嘘の大人となっていきます。

本当の大人とは、自分を律してくことを常におこなっていくことになりますが、嘘の大人とは、他者を律しようと躍起になっているところがある。

他人こそが自分の思い通りになると思い込んでいるのか、はたまた自分の思い通りにしないと気が済まないのかはわかりませんが、他者を思い通りにしようと躍起になっている嘘の大人たちは、自分たちは素晴らしい大人の存在であるような皮をかぶって「あなたのため」と微笑んでいる。

関心と、そして未来へ信頼のない人たちです。

しかし、本当の魂の大人になっていく人たちは、ある種の無関心であり、ある種の信頼を持って他者に対しての過剰な干渉がありません。

 

人間的な大人へなっていく人と、魂的な大人になっていく人。

死んだ魚の目をした大人になるぐらいならば私は大人になりたくない、子供で構わないと私は豪語したものですが、私にとって人間でいう大人はつまらなそうな顔をして、自分ばかりが不幸を背負っているような人たちばかりでした。

魂的な大人になっていく人たちは、子供のままでした。無邪気に過ごし、やりたいことをやりたいと思い、やりたいことに没頭し。そして、人との調和を持ちながら、そのなかで生きていこうとする適応能力を持っています。

いわば柔軟性の高い人たちが多いのです。

 

ツインレイたちは、人間的な大人になっていくような人たちと、魂的な大人になっていく人たちの二分類へ別れていきます。

人間的な大人は自分の心に無頓着であり、感情を重要視しては感情に心をうばわれていく。

魂的な大人は自分の心を大事にし、感情を噛みしめるようにして生きている。

自分の心と感情の違いを理解していくツインレイたちは、その先で他者と自分の生きる道の違いを理解し、そして魂の大人へと繰り上がっていくことになります。

 

ツインレイたちがアダルトチルドレンのように見えるのは、ツインレイが持つ魂的な成熟へ向かう道のなかで、人間的な子供の時間を長く持つことで、魂的な成長を進めていけるようになっているのかもしれません。